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第4話:真珠の如き再生と、泥を啜る使者

 帝都ベルンシュタインの朝は、王宮の澱んだ空気とは対極にある、

 抜けるような青空と共に訪れた。


 目覚めた私が鏡の前に立つと、そこには別人がいた。

 七年間、呪毒を吸い取り続けて土色に変色していた肌は、

 今や朝露に濡れた白百合のように白く、瑞々しい輝きを放っている。


 濁っていた瞳は、深い夜の海を思わせる瑠璃色へと戻り、

 ひび割れていた指先は、鍵盤を叩く繊細な楽器の奏者のように滑らかだ。


「……これが、本来の私」


 呪いを「還却」したことで、私の肉体は急速に浄化されていた。

 重苦しかった四肢は羽が生えたように軽く、

 呼吸をするたびに清浄な魔力が全身を巡るのを感じる。


 そこへ、控えめなノックの後にヴィクトールが入ってきた。

 彼は私を一目見るなり、その場に釘付けになったように足を止めた。


「……エルゼ。やはり、私の目に狂いはなかった」


 彼は迷いのない足取りで近づくと、私の長い銀髪を一房掬い上げ、

 恭しく唇を落とした。王族の礼儀を超えた、

 一人の男としての熱い献身がそこにはあった。


「君を『穢れ』と呼んだあ奴らの目は、節穴どころか腐っていたようだな。

 今の君を見れば、狂い悶えて後悔するだろう。……もっとも、奴らにはもう、

 後悔する余裕などないようだが」


 ヴィクトールの口角が、冷酷な弧を描いた。

 彼が差し出した報告書には、王国の惨状が克明に記されていた。


 エドワード王子は、全身を覆う呪瘡じゅそうの激痛で正気を失いかけ、

 地下の療養所に隔離されたという。


 イザベラ姫は、王子の呪いが伝染することを恐れて逃亡を謀ったが、

 王宮の崩落に巻き込まれ、自慢の顔に深い傷を負った。

 さらに、国中の作物は立ち枯れ、家畜は病に倒れ、

 民衆の怒りは王家へと向けられている。


 そこへ、侍従が困惑した面持ちで入室してきた。


「陛下。……国境を越え、命からがら辿り着いたという王国の使者が、

 エルゼ様に謁見を求めております。身なりはボロボロで、

 なりふり構わず泣き叫んでいるとのことですが」


 ヴィクトールは私に視線を向け、判断を委ねた。私は静かに頷いた。

 逃げる必要はない。今の私は、もうあの国の「奴隷」ではないのだから。


 謁見の間に現れたのは、かつて私を嘲笑っていた王国の宰相だった。

 高級な法衣は泥と埃に汚れ、その顔は恐怖で引き攣っている。

 彼は私を見るなり、床に額を擦り付けんばかりに平伏した。


「エルゼ様! お願いです、どうか、どうか王国へお戻りください! 

 エドワード殿下は重病に伏し、国は滅亡の危機に瀕しております! 

 あなたの祈りさえあれば、あの呪いも、天災も収まるはずなのです!」


 私は、高座の隣に用意された椅子に深く腰掛け、冷ややかな視線を投げかけた。


「宰相閣下。お忘れですか? 私は『不吉な穢れ女』として、

 公式に追放された身です。今さら戻れとは、

 少々虫が良すぎるのではありませんか?」

「そ、それは……! 全てはエドワード殿下の若気の大至急……いえ、

 過ちでございます! 国王陛下も深く反省しており、

 あなたを『第一王妃』として迎え入れる準備があると仰っております!

 さあ、今すぐこちらへ!」


 宰相が縋り付こうと手を伸ばした瞬間、

 ヴィクトールの抜剣の音が静寂を切り裂いた。

 鋭い剣先が、宰相の喉元を数ミリの距離で捉える。


「……汚らわしい手で、私の婚約者に触れようとするな。

 貴公の首をここで撥ねても良いのだぞ?」

「ひ、ひぃぃっ!」


 宰相は情けなく腰を抜かし、失禁せんばかりに震え上がった。

 私はヴィクトールの腕をそっと制し、絶望に染まる宰相を見下ろして告げた。


「お伝えください。私が七年かけて肩代わりしたものは、返却したのではなく、

 本来の持ち主に『還した』だけです。あれは私の呪いではなく、

 あなた方自身の『業』。他人に押し付けていたツケを、

 今さら踏み倒そうなどと考えないことです」

「そ、そんな……見捨てるのですか!? 何万という民が苦しんでいるのですよ!」

「民を苦しめているのは、聖女を盾にして腐敗を放置した王家です。

 ……さようなら。二度と、私の前にその姿を見せないでください」


 ヴィクトールの合図で、衛兵たちが宰相を引きずり出していく。


「エルゼ様ー!」「お助けをー!」という見苦しい叫びが遠ざかっていく。

 謁見の間が静まり返ると、ヴィクトールは剣を鞘に収め、私の手を取った。


「清々した顔だな。……だが、これで終わりではない。奴らが流した泥は、

 奴ら自身の手で飲み干させる。それが因果応報というものだ」


 私は彼の手を握り返した。

 王国の滅亡が加速する一方で、私の心には、

 初めて本当の意味での「春」が訪れようとしていた。

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