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第3話:黄金の檻と、灰塵の王国

 ガルマニア帝国の軍馬は、夜の闇を疾走した。

 背後、王国の空は、不気味な赤黒い雲に覆われ、

 絶え間なく雷鳴が轟いている。


 それは私が七年間、祈りと肉体で押し留めていた、

 「負の精算」が始まった合図だった。


 馬上の私の背を支えるのは、皇帝ヴィクトールの腕。

 彼の胸板から伝わる鼓動は、驚くほど静かで力強かった。


 王宮の軟弱な王子とは違う、戦場を生き抜いた男の熱。

 それが、夜風にさらされた私の冷え切った身体をじわじわと溶かしていく。


「……顔色が悪いな、エルゼ。無理をさせた。間もなく帝都だ」


 彼の声には、先ほどまでの冷徹な覇気とは裏腹に、

 痛ましいほどの気遣いが混じっていた。


 やがて視界が開け、巨大な鉄の門が現れる。

 そこは「鉄血の帝国」と恐れられるガルマニアの心臓部。

 帝都ベルンシュタイン。


 しかし、門を潜った先に待っていたのは、殺伐とした軍事拠点ではなく、

 眩いばかりの光の海だった。


「「「エルゼ様、お帰りなさいませ!」」」


 城門から宮殿に至る大通りに、整列した文武百官が膝を突き、唱和する。

 あまりの光景に、私は目を疑った。

 王宮では「穢れ女」と蔑まれ、召使いたちにさえ影で石を投げられていた私を、

 この国の重鎮たちが、まるで救世主を迎えるかのような、

 至高の敬意で出迎えているのだ。


「陛下……これは、一体……」

「忘れたのか? 七年前、瀕死だった私を救い、この帝国の礎を守ったのは君だ。

 私が君の身代わりを知ったのは、君が王国へ去った後だったが……。

 この国の者たちは皆、真の恩人が誰であるかを知っている」


 ヴィクトールは私を馬から降ろすと、そのまま、

 絨毯が敷き詰められた宮殿の最奥へと導いた。

 案内されたのは、皇帝の寝室にもほど近い、豪奢な離宮。

 そこには、王宮の私の部屋など足元にも及ばないほどの、最高級の絹織物と、

 魔力を帯びた美しい調度品が揃えられていた。


「今日からここが君の居城だ。足りないものがあれば、用意させよう」

「そのような、私はただの……呪われ、捨てられた女です」

「二度とその言葉を口にするな」


 ヴィクトールが私の両肩を掴み、視線を逸らさせないように覗き込む。

 彼の黄金の瞳には、かつてないほどの烈火のような守護の意志が宿っていた。

「君を捨てたのは、真価の分からぬ盲目の愚か者共だ。いいか、エルゼ。

 君の肌が変色していたのは、醜さではなく、数万の民を救った勲章だ。

 だが——」


 彼はそっと私の頬に手を添えた。

 呪いを還却し始めた私の肌は、すでに驚くほど白く、

 透き通るような輝きを取り戻しつつある。


「その『業』を還した今、君は本来の姿に戻る。……私が七年前、戦場で魂を奪われた、あの美しい君にな」


 ヴィクトールの言葉に、胸が締め付けられる。

 一方、私たちがこうして静かな時間を過ごしている間にも。

 捨てられた王国には、「報い」の第一波が到達していた。



 ——同時刻、王宮謁見の間。


「あああああ! 痛い、痛いぞ! 肌が焼ける! 何とかしろ、医官!」


 エドワード王子は、のたうち回りながら床を転げ回っていた。

 彼の全身には、無数の「黒い紋様」が浮かび上がり、

 そこから腐敗したような異臭が放たれている。

 彼が贅沢の限りを尽くし、民を顧みなかったことで蓄積された不運の種が、

 一気に芽吹いた姿だった。


「王子、お下がりください! 近づくだけで呪いが伝染します!」


 かつて彼に媚びへつらっていた貴族たちは、

 今や一目散に彼から距離を置いている。


 寵愛を受けていたはずのイザベラさえも、

 「汚らわしい!」と叫んで自身の着物を脱ぎ捨て、

 別の部屋へ逃げ込んでしまった。


 さらに最悪なのは、国全体を覆う加護の消失だった。

 王国の象徴であった「永遠の泉」は枯れ果て、

 地中からは不気味な毒虫が湧き出す。


 国中の食料は一晩でカビに覆われ、隣国との国境付近では、

 抑え込まれていた魔物たちが一斉に暴走を始めていた。


「なぜだ……! あんな女一人いないだけで、なぜ我が国がこんな目に!」


 国王が玉座で頭を抱え、絶叫する。

 彼らは理解していなかった。

 聖女の祈りとは、単なる「癒やし」ではない。

 「不浄」を吸い取り、器を清浄に保つための「身代わり」だったのだ。


 その掃除人を、最も汚い場所へと追放した結果、

 ゴミ屋敷と化した国が自壊するのは当然の理。


「陛下……伝令です! 帝国のヴィクトール皇帝より、親書が届きました!」


 震える手で国王が受け取った書状。

 そこには、ただ一言だけ、血のような赤文字で記されていた。


『積年の業を、存分に味わうがいい。我が妻となる者に、

 二度と触れることは許さない』


 その夜。

 王宮にはさらなる雷撃が落ち、王家の象徴である大時計が粉々に砕け散った。

 崩落する天井の下、エドワード王子は醜い悲鳴を上げ続け、

 初めて「自分が何を捨てたのか」をその身の痛みで悟り始めていた。


 だが、もはや遅すぎる。

 還却された業は、主を喰らい尽くすまで止まることはないのだから。

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