第2話:静かなる崩壊の序曲
私が王宮を去ってわずか一刻。
華やかだった謁見の間は、阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
「……ッ、喉が、熱い……!」
エドワード王子が喉をかきむしり、その場に崩れ落ちた。
先ほどまで私を罵倒していた声は見る影もなく、
ひび割れた不快な音を立てている。
王子の首筋には、私が七年耐え忍んだ「死の刻印」が、
どす黒い蛇のように這い回っていた。
「エドワード様!? お顔が、お顔が真っ黒に……!」
寄り添っていたイザベラが悲鳴を上げて飛び退く。
王子の端正だった顔立ちは、
みるみるうちに土色へ変色し、
醜い膿疱が吹き出していく。
それは私が肩代わりしていた、
彼自身の不摂生と傲慢が招いた「病の業」だった。
「報告します! 王宮の尖塔に落雷! 火災が発生しました!」
「陛下! 国庫の金貨が、すべて一瞬にして錆び付いたとの報告が……っ!」
次々と飛び込む悲報。
七年間、私がその身に封じ込めていたのは、個人の病だけではない。
不作、天災、疫病。
王家が垂れ流すあらゆる「負の連鎖」を、私は一手に引き受けていた。
盾を失った王家には、今、七年分のツケが一括で請求されているのだ。
一方、私は国境付近の古びた宿場町にいた。
手鏡を覗き込むと、驚くべき変化が起きていた。
ひび割れていた指先は瑞々しさを取り戻し、
濁っていた瞳には星のような輝きが戻っている。
業を還却するたび、私の身体は本来の美しさを奪還していく。
(……身体が、軽い)
七年ぶりに味わう、痛みのない呼吸。
だが、安堵に浸る暇はなかった。
宿の窓の外、夕闇を切り裂くようにして、
一団の騎馬隊が近づいてくるのが見えたからだ。
その旗印は、漆黒の地に金色の双頭龍。
北の軍事帝国——ガルマニア帝国の紋章。
「……ようやく、見つけたぞ」
馬を止め、先頭に立つ男が顔を上げた。
燃えるような銀髪に、すべてを見透かす鋭い黄金の瞳。
かつて戦場で私が命を救い、
そして王家には内緒で「呪いの肩代わり」を交わした男。
帝国皇帝、ヴィクトール・フォン・ガルマニア。
彼は馬を降りると、土足のまま宿へ踏み込み、私の前に立った。
王国の王子さえ一度もしたことのない、
一人の女性に対する最上の敬意をその瞳に湛えて。
「七年だ。君が預かっていた私の『死の呪い』が、今、私に還ってきた。
……つまり、あ奴らが君を裏切ったということだな?」
ヴィクトールの低い声が、心地よく耳朶を震わせる。
彼は私の肩をそっと抱き寄せ、自らの厚い軍服の外套で私を包み込んだ。
「積年の献身をゴミのように捨てるとは。……案ずるな、エルゼ。
これからは私が君の盾となり、安らぎを保証しよう」
背後の王国の空は、さらに赤黒く澱んでいく。
私は彼の差し出した手を取り、呪われゆく故郷に背を向けた。




