第2話 神様、Wi-Fiの設定はどこですか?
あの事故で天使さんと入れ替わって、気づけばもう一ヶ月が経っていた。
ついに天使だった“澪”の退院日がやってきた。
毎日お見舞いに行き、他愛ない話を重ねたせいだろうか。
違和感はあっという間に薄れて“日常”に溶け込んだ。
鏡を見ても、もうちゃんと“元天使さんの姿=私”として認識できるようになった。
「ともり。ともり。……ほしの・ともり。うん、違和感なし」
人間の順応力ってすごい。
たぶん私の順応力もすごい。いや、えらい。
自画自賛くらいは許してほしい。
病院の玄関前。初心者マークを貼った小さなレンタカーの運転席で、私はご機嫌にハンドルを撫でていた。
この一ヶ月で免許を取り直したのだ。
名前が星野 灯になったから、澪の免許は使えないので仕方ない。
自動車学校の手続きとか諸々に必要だったので、市役所で戸籍と住民票を確認したら——。
まるで昔からそこにいたかのように、星野 灯が一人の人間として記録されていたのには驚いた。
思わず、「さすが神様」と口にした。
──神様、完璧主義にもほどがある。
今日から澪と二人暮らし。
楽しみと期待と、ちょっとした照れと、少しの不安が同居している。
大学で初めて一人暮らしを始めたときの、あのふわふわした高揚に似ている。
「灯〜!」
手を振りながら澪が駆けてくる。
自分が澪だった頃は笑顔がちょっと苦手だったのに、中身が変わるとここまで違うのか。
今の澪はほんとうに可愛い。表情筋、ちゃんと動くと強い。
「迎えに来てくれてありがとうなのです!」
「こちらこそ。ちゃんとシートベルトしてね?」
ガチャガチャとシートベルトの装着に苦戦する澪を横目に——。
私はアクセルを軽く踏み、病院をあとにした。
「で、家はどんな感じなのです?」
澪がわくわく顔で聞いてくる。
「今朝、澪のアパートは退去完了。荷物は引っ越し屋さんが預かってる。でね、神様からチャットが来てて——“お詫びとして地上住居をご用意しました”だって」
ほれ、と天界端末を澪に渡して神様とのチャットを見せる。
「なんと!至れり尽くせりなのです!」
「しかも鍵は“心の波長”と“手のぬくもり”で開くらしい」
「要するにタッチ式なのです。天界の建物も、個人の意思と同調して自動開閉するのですよ」
「もはやスマートロックも時代遅れ、これぞスピリチュアルロック、だね」
「とっても神聖な響きなのです」
「泥棒も不可能だね」
「天使が泥棒したら、即堕天なのです」
笑いながら住宅街に入る。
「さっき物件の周辺をスマホで調べたんだけど、マジで便利そう。最寄り駅から徒歩10分くらい、スーパーまで徒歩3分だって。天界補助なので家賃も光熱費もいらないらしい」
便利すぎて逆にこわい。
あ、近くに小さな商店街もあって、おしゃれなパン屋がおいしそうだった、と耳より情報も付け加える。
「なんか逆に申し訳ないんだけど、天界のお詫びってこんなにすごいの?」
「今回は天界史に残るくらいの大失態なのです。超特例なのです」
「やっぱりそうだよね……」
「こんなことがちょくちょくあったら、世界は大混乱なのです」
確かに、次の日に同じ顔の別人が現れることが頻発したら、世界中が人間不信になりそうだ。
澪はさらっと言うけど、やっぱりとんでもないバグ案件なんだろう。
「ところで天界ってさ、税金とかあるの?」
「えっとですね、“GAP”という善行システムがありまして」
「ギャップ?」
「Good Action Programの略なのです。良いことをすると善行ポイントが貯まり、経済が回る仕組みなのです」
「つまり、ポイント経済」
「そのとおりなのです。システム利用料の一部が勝手に天引きされていて、天界運営や、今回のような補填に使われるのですよ」
「なるほど……。天界、意外と合理的」
「"合理的"といえば響きはいいのですが、一言でいえば、天使は良いことをしないと生きてすらいけないのです」
「……」
「半強制の善行だと、一気にブラック感が増すね」
* * * * *
二人でくだらない話をしながら、車は住宅街に入った。
緑道があり、小さな公園もある。夕方には子どもが走り回っていそうな閑静な街並みだ。
少し細い道に入って角を曲がると、真新しい一軒家が待っていた。しかも小さな離れ付き。
玄関横の表札には——。
【Hoshino & Shiraishi】
英字のおしゃれプレート。胸の奥で小さく火が灯った。
新しい人生の、一つ目のピンだ。
「“ただいま”って言っていいのかな」
「言っていいのです。今日からここが私たちのおうちなのです」
「鍵、開くかな……ひらけごま〜」
ドアノブに手をかけた瞬間、ガチャリ。
「開いた!」
「“ごま”とは、なんなのです?」
「古から伝わる由緒正しい呪文です」
よく分からなかったので、適当に濁しておいた。
「胡麻パワー……万能なのです」
中は木をふんだんに使った、温かみのある家。
薄い木目の床、二人掛けのソファ、低めのテーブル。
「わ、木の匂いがすごい。新築っぽい!」
「檜ですね。清めの香りなのです」
リビングに、広々キッチン、寝室は二つ。
2LDKの平屋だ。2人暮らしにぴったり。
「縁側もあるのです!」
澪がぱぁっと笑う。
日当たりのいい縁側。私もいつか縁側のあるお家に住みたいと思っていたので、これは嬉しい。
冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、テレビ、エアコン……
家電もすべて揃っている。
ただ、一つだけ気になる点があった。
すべての電化製品に、金色の謎シールが貼られている。
——【祝福済み】。
「ねぇ澪、なんかこのシール怖くない?そこら中に“祝福済み”って貼ってあるんだけど」
あからさまに怪訝そうな表情をしているであろう私に、澪が説明してくれた。
「天界では電気やガスが存在しないのです。その代わりに“祝福”が動力なのですよ」
「祝福エネルギー社会……」
「祝福は、神様と上級天使のみが使えるスペシャルな術なのです。ここも家ごと祝福されているから、光熱費がかからないのです」
理由はわかったが、しかし。
見た目が完全に怪しいステッカー。
「剥がしていい?」
「剥がしたら祝福が解除されてしまうのです」
「祝福解除って響き、怖えぇな? 宗教感が強いのです」
「灯にまで、私の語尾がうつってしまったのです」
「ほんとよ」
敬語をとったらまさかこんな感じと思わなかったが、これはこれで可愛いくて親近感あるので、よし。
家や家電も、無料で使えると思えば破格には違いない。
家中べたべた貼られた祝福ステッカーは、諦めて我慢するしかないか。
「家電は普通に使えるんだよね?」
「……大丈夫、変な光とかは出ないのです」
「出たら出たで、結構盛り上がるけどな」
試しにパカっと冷蔵庫を開けると、庫内灯がぴかっと光って中を明るく照らした。
ひんやりとした空気が流れてきて、冷蔵庫として十分な性能だと分かる。
「本当にコンセントなしで動いてる」
澪が神妙な顔をする。
「神殿への灯りがついたのです」
「いや、ただの庫内灯!」
「天界では、冷蔵庫が神殿とつながるゲートなのです」
でたよ、天界謎設定。
「じゃあ何?毎晩、神様と冷蔵庫越しに通信してたの?」
「はい。神様は冷蔵庫の光を通して世界を見守っているといっても過言ではありません」
毎晩、天使達が冷蔵庫に向かってぶつぶつと呟く姿を想像したら、絵面が途端にギャグ漫画と化した。
「あれ、でも天界端末あるよね?」
「あれは、基本は冷蔵庫エネルギーを媒体にして動くので、近くに冷蔵庫がないとフル機能は使えないのです」
そして充電もできないのです、と超重要情報が付け加えられる。
「電気代ゼロでも、なんという監視社会……!」
「神様はいつでもみんなのストーカーなのです」
私は、そっと冷蔵庫の扉を閉めた。
神様、プライバシーあるから覗かないでね——。
「でも、これどうやって充電するの?」
「冷蔵庫から半径50mくらいに置いてあれば、祝福エネルギーが勝手に充填されるのです。フル充填で、大体6時間くらいは、冷蔵庫圏外から離れても使えるのです」
「ワイヤレスは便利だが、絶妙に不便」
炊飯器を見つけて、澪が優しくなでる。
「“奇跡生成機”なのです」
「それ正式名称!? 炊飯器じゃないの? お米炊く道具だよね?」
「まぁ、そういう一面もありますが」
「一面って……」
「お米を炊かない時に奇跡ボタンを押すと、ちょっとだけ奇跡が起こるのです。発動には善行ポイントを消費しますが」
パッと見、全然気が付かなかったが、本当に小さなボタンに【奇跡】と書いてある。さすが天界仕様。
天使が炊飯器で奇跡を起こしているなんて、誰が想像できるだろうか。
「課金制炊飯器……天界の闇を感じる」
「課金はできないのです。天界にはお金という概念がないですから。良いことをしないと、善行ポイントは貯められません」
「リアル徳ゲー……!天界の経済圏、奥が深すぎる」
「この聖杯みたいな器は?」
色々な家電を見て回り、洗濯機の横で足が止まった。
「地上でいう柔軟剤のようなものが無限に出るのです。衣類に“加護”を付与する装置なのです」
「いい匂い=加護、ね。たしかに、いい女はいい香りから。香りも選べるの?」
「もちろんです。イメージすれば、変わるはずです」
「これは超便利ね」
「はじめて天界のものが気に入ってもらえたのです」
一通り、神話化された家電見学ツアーを終えて、リビングで一息。
家を探検しただけなのに、ツッコミどころが多すぎてちょっと体力を消耗していた。
ソファが想像以上に柔らかく、“今日からよろしく”と言うみたいに優しく背中を受け止めてくれた。
* * * * *
【ピンポーン♪】
「こんにちは〜。白猫引っ越しセンターで〜す!」
お、引っ越しの私物が届いた。
私の宝物。PC、ゲーム、漫画——などなど、全部無事。
澪は体型が近いから下着以外の服は共有できる。
とりあえず大量に服を買わずに済んだのはラッキーだった。
荷解きは、めんどいからゆっくりぼちぼちでいいか。
しばらく澪と雑談していると、大切なことを思い出した。
そうだ。まずやるべきことがある。
——Wi-Fiの設定、だ。
「澪、Wi-Fiのルーターどこ?」
「Wi-Fi、とは?」
「え? えっ!? 澪、それは生死に関わる質問だよ!? Wi-Fiがないと自由に通信できないんだよ?」
「近くでの通信なら、心を通わせればできるのです」
「それBluetoothでも無理だから!心はデータを運ばないの!それにそれは天使限定!」
「いわれてみれば確かに、澪さんになって、天使の力がなくなった気がします」
澪が少し、しゅんとしたようにみえた。
「それが普通の人間だから……。Wi-Fiないと、アニメ見れないじゃん。このままだとパケ死して干からびるよ」
「パケ死?」
澪には、これからたくさん教えることがありそうだ。
ゆっくりと目を閉じて両手を合わせ、冷蔵庫の前で正座し、真剣に祈った。
神様、Wi-Fiの設定はどこですか?
お願いします。私、ネットがないと死んじゃうんです。
……冷蔵庫から返事はない。ただの屍のようだ。
「まぁ、家賃も光熱費もタダなのです。通信費ぐらいは払ってもバチ当たらないのです」
背後から澪の声がした。
「ぐぬぬ……確かに」
全くもって正論すぎて、言葉もでない。
確かに、なんでも神様にたかるのはよくないよね。
「スマホも契約してこようかな。澪のも一台いるし」
「そんなもの、なくても生きていけるのです」
——この時こう言った澪が、ネトゲとアニメ沼にどハマりし、
電波なしでは生きられない体になるまで、ほんの数日しかかからなかったのだった。
* * * * *
「灯は生活費どうしてたのです?」
澪はもう慣れた手つきで、スイスイと新しいスマホをいじっている。
私のスマホより型が新しいので、ちょっと羨ましい。
「基本はバイト代。学費は奨学金」
「仕送りは?」
「両親はいないの。妹が他県の大学」
「……ごめんなさいなのです」
「大丈夫。気にしないで」
私はふと悪戯っぽくニヤリとする。
「澪は大学4年だし、そろそろ就活の時期だね。卒業までよろしくね。あと退院したからバイトにも顔出そ」
「それは……なんとかならないのですか」
「なりませ〜ん。白石 澪は一人だからね」
「うぐぅ」
不安そうな顔が面白くて、ちょっと笑ってしまう。
「大学では何を専攻してたのです?」
「心理学。心を読むのです」
私は澪の左胸に、右手の人差し指をあてた。
「天使の時は、心を読むなど朝飯前でしたが、今はできないのです」
「いや、それ反則だから。テレパシーじゃなくて、ちゃんと理論あるから、これから一緒に勉強な」
「え~。勉強は苦手なのです」
「こんなに真面目そうな姿なのに」
「清楚でかわいい系だと婚活に有利かと思って、頑張って女を磨いていたら、勉強時間があまり確保できなかったのです」
「……」
あ、この子は天然おバカキャラ認定だわ。
「まぁ、おバカな私でもなんとか理解できたから、澪も大丈夫」
「そうかな」
「そこは否定しようよ」
ぽんぽんと澪の頭を叩く。
「大丈夫。大学は私も構内に入れるし、バイト先にも聞いてみるよ」
「ありがとなのです、ともりん♡」
「誰がともりんよ!そのあだ名、即封印ね!」
「え~可愛いのに」
夕日が沈み、周囲は静けさを増していく。
「次回、“元天使、大学に行く”。こうご期待!」
「ちょまっ! 変なナレーションでフラグ立てるのはやめてくださいなのです」
私たちは、笑いながら顔を見合わせた。
「そろそろ夕飯にしよっか」
「はい!私、オムライスが食べたいのです!」
読んでくださってありがとうございます!
週1くらいのペースで更新予定です。
ブクマや感想いただけると、とても励みになります☺️




