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第74話:『王子の葛藤と、王宮への糸』


その夜、森の庵に満ちる空気は、鉛のように重かった。

か細い蝋燭の炎が、向かい合って座る男女の顔を揺らめかせる。賢者グランと、第三王子アルフォンス。その間に横たわる沈黙が、ひどく冷たい。


「――帝国が、我々の後ろ盾となります。ですがそのためには、アル……あなたが立つしかない。この国の、新たな王として」


グランの静かな、しかし石のように重い言葉が、アルフォンスの胸に突き刺さる。

彼は言葉を失い、ただ、煤と油に汚れた大きな手を、膝の上で固く、固く握りしめた。爪が掌に食い込む痛みだけが、現実感を繋ぎとめている。


「俺が……王に……?」


やがて絞り出された声は、ひどくかすれていた。

「馬鹿を言うな、グラン! 俺は宮廷を捨てた男だ! この手で何かを掴むより、何かを捨てることしかできなかった臆病者だ!」

普段の穏やかさが嘘のような、激しい自己嫌悪がほとばしる。

「それに、帝国の力を借りるなど……! それは国を、民を、売り渡すのと同じではないか!」


「いいえ」


グランは、彼の魂からの叫びを静かに受け止め、きっぱりと首を横に振った。

「これは、国を救うための唯一の道。……ですが、決めるのはあなたです。あなたの覚悟がなければ、この話は始まりません」

彼女はそれ以上、何も言わない。ただ、理知的な瞳でじっと彼を見つめている。

アルフォンスはその視線から逃れるように、椅子を蹴って立ち上がった。


「……考えさせてくれ」


苦悩に満ちた一言を吐き捨て、彼は夜の闇の中へと消えていった。


◇◆◇


同じ頃、リューンの薬屋の地下室。

そこでは、もう一つの未来を動かすための密やかな会議が行われていた。

冷たい石壁に囲まれた空間で、私はクラウス、ゲッコー、そして先行潜入班のリーダー『蜘蛛の糸』と向き合う。


「アルフォンス王子が決断されるまで、ただ待っているわけにはいきません。もう一つの布石を打ちます」


私の静かな宣言に、三人のプロフェッショナルたちの間に緊張が走った。


『蜘蛛の糸』が、影に溶けるような低い声で報告する。

「はっ。……王宮内にいる協力者を通じ、国王陛下の側近の一人と接触に成功いたしました」

「……陛下は、やはり心身共に疲弊しきっておられる、と。先の英雄たちの無礼な振る舞い以降、ほとんど政務も手につかないご様子……」


その報告に、私は静かに頷く。全ては想定通りだ。

私はきっぱりと命じた。


「その側近に伝えてください」


蝋燭の炎が、私の瞳の奥で揺らめいた。

「――『帝国の天翼の軍師が、王国との恒久的な和平を望み、陛下との極秘会談を望んでいる』、と」


あまりに大胆な一手。

だが、今の絶望の淵にいる王であれば、必ずこの蜘蛛の糸に縋り付くはずだ。


◇◆◇


それから数日、リューンの街は奇妙な静けさと張り詰めた空気に包まれていた。

鍛冶工房では、アルフォンスが昼も夜も一心不乱に槌を振り続ける。カン、カン、という硬質な金属音が、まるで彼の心の葛藤のように響き渡る。

彼は仕事の合間に街を歩き、苦しむ民衆の姿を改めてその目に焼き付けていた。痩せた子供。ため息をつく老人。希望を失った若者たちの、虚ろな目。

(……俺は、本当にこのまま逃げ続けて良いのか……?)

その問いが、槌を振るうたびに胸を打つ。


一方、王宮の奥深く。

帝国からの予期せぬ申し出が、孤独な王の心に小さな、しかし確かな波紋を広げていた。

(……和平……? 帝国が……? もしそれが真実ならば……この血塗られた戦を終わらせることができるやもしれん……)

それは、彼がとうの昔に諦めたはずの、希望という名の光だった。


そして、運命の夜が来る。

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― 新着の感想 ―
王様苦労人だし、なんとか平和に落ち着いてくれたらいいな
『多言語理解』どこいった……
リナは「軍師じゃない!」って言いたいだろうけど、立派に軍師だな。 暴力でなく、謀略で進むあたり。
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