第67話:『街道の合流と、交わす目配せ』
馬車の車輪が、乾いた土の道を軋ませる。
黄昏に染まる王国街道を、私たちはひたすら前へと進んでいた。空は燃えるような茜色から深い藍へと移ろい、長く伸びた馬車の影が、まるで私たちを追いかけるように揺れている。
国境検問所での一件以来、隣に座るヴォルフラムは少しだけ変わった。
私から片時も離れようとしない過剰なまでの護衛ぶりは相変わらずだが、その厳つい表情の奥に、時折ふっと温かい色が宿るようになった。
ガタン、と馬車が大きく揺れる。私が無意識に顔をしかめると、間髪入れずに彼女の鋭い視線が飛んできた。
「リナ様、大丈夫ですか!?」
その大げさなほどの心配性が、今はなぜか心地よかった。
「――クラウスさん」
私は揺れる車内から、御者台にいるクラウスへ声をかけた。
「次の接触ポイントはどこでしたか?」
「明日の夕刻、次の宿場町『忘れられた宿場町』にある酒場、『樫の木亭』にて。我々の仲間と落ち合う手筈です」
クラウスが、手綱を握ったまま肩越しに地図をちらりと確認して答える。
『蜘蛛の巣』作戦を各地で実行している先行部隊とは、こうして数日おきに場所を変えながら接触し、情報を更新していくのだ。
「『忘れられた宿場町』……ずいぶんと物悲しい名前ですね」
「ええ。かつては交易の中継地として栄えたそうですが、今は街道そのものが寂れまして……。まあ、我々のような裏の仕事をする人間には、かえって好都合な場所です」
クラウスはそう言って、自嘲するように口の端を上げた。
翌日の日中、私たちはその『忘れられた宿場町』へと到着した。
その名は伊達ではなかった。風が吹き抜ける通りは閑散とし、行き交う人もまばら。道の両脇に並ぶ建物の多くは古びて傾ぎ、まるで街全体がゆっくりと眠りにつこうとしているかのようだ。
だが、この寂れた風景は、よそ者である私たちの存在を悪目立ちさせる危険もはらんでいる。
「……皆、気を引き締めてください。ここではどんな些細な動きも目立ちます」
幌の隙間から外の様子を窺い、私は皆に低い声で注意を促した。
私の言葉にヴォルフラムがこくりと頷き、腰の剣の柄を確かめるように握り直す。その指先に力がこもるのが見えた。
馬車が、街の中心にあるらしい広場に差し掛かった、その時だった。
広場の隅にある古井戸の周りで、数人の旅人たちが水を飲んだり、馬に水をやったりしている。どこにでもある、ありふれた光景。
だが、その中の一人。
ぼろぼろの巡礼者のマントを被った男が、ふと顔を上げた。
そして、その視線が一瞬だけ私たちの馬車を捉え――御者台にいるクラウスと、静かに交錯した。
男の目が、わずかに細められる。
それに応えるように、クラウスもまた、ごく自然な仕草で被っていた帽子の位置を少しだけずらした。
ほんの一瞬の出来事。
私ですら見逃してしまいそうな、微かなサインの交換。だが、それだけで彼らは互いを理解したのだ。味方であること、そして接触の準備が整ったことを。
「……少し、馬の蹄鉄の具合が悪いようだ」
クラウスが、独り言のように呟いた。
「俺が鍛冶屋で見てくる。……ヴォルフラム殿、済まないが皆を先に宿屋へ頼む。場所は『樫の木亭』だ。……くれぐれも頼んだぞ」
「……承知した。任せておけ」
クラウスの真意に気づかぬまま、ヴォルフラムは力強く頷いた。
クラウスはひらりと馬車から飛び降りると、何事もなかったかのように雑踏の中へと消えていく。
その背中を、先ほどの巡礼者の男が少しだけ間を置いて追っていくのを、私だけが幌の隙間から見ていた。
(……すごい。これが、『影の部隊』……)
言葉を交わさずとも、ただ視線と仕草だけで意思を疎通させる。ライナーが鍛え上げた諜報員たちの、無駄のない洗練された仕事ぶりに、私は息を呑んだ。
馬車は再びゆっくりと動き出し、目的の宿屋『樫の木亭』へと向かう。
今夜、クラウスが持ち帰る新たな情報が、私たちの次の一手を決める。
肌を撫でる乾いた風の中に、これから始まる本格的な諜報戦の気配を感じ、私は静かに身を引き締めた。




