第63話『王家のお茶会と、最後の尋問』
マキナからの『囁きの小箱』はまだかと、窓の外を眺めては溜め息をつく。そんな日の午後だった。
宿舎の石畳に、馬車の車輪と馬蹄の音が静かに響き、やがて止まる。窓からそっと窺うと、陽光を浴びて輝く皇帝陛下の紋章を掲げた、漆黒の豪奢な馬車が停まっていた。
やがて現れた侍従が、恭しく私に差し出したのは一通の招待状。封蝋を解く前から、皇妃陛下のものとわかる甘い薔薇の香りがふわりと立ち上る。
「――『天翼の軍師』殿に、皇帝陛下、皇妃殿下、並びにユリウス皇子殿下より、お茶会へのご招待にございます」
その丁寧な口上に、断るという選択肢などあろうはずもなかった。
(うわあああ、なぜ王子様までフルメンバーなんですか……! グレイグ中将もいないのに、このVIP待遇は胃に悪すぎる……!)
内心の絶叫をフードの奥に押し殺し、私は無言で頷くと、ヴォルフラムを伴って皇宮へと向かった。
◇◆◇
いつもと変わらぬ、満開の薔薇が咲き誇る庭園。
だが、ガゼボに満ちる空気はまるで違っていた。甘い花の香りさえも張り詰めているように感じる。
テーブルには皇帝陛下、皇妃陛下、そして普段よりずっと硬い表情のユリウス皇子が揃って腰を下ろしている。その様はもはや和やかなお茶会ではなく、国家の最重要案件を審議する御前会議のそれに近い。
肌を刺すような視線に、私の胃が早速きりりと痛んだ。
侍従たちに人払いを頼み、セラが押す車いすからそっと降り立つ。体型を隠すための分厚いローブを脱ぎ捨て、ようやく一息ついた私は、リナとして彼らの前にちょこんと腰を下ろした。
「――さて、リナ」
最初に沈黙を破ったのは、皇帝陛下だった。いつもの豪快さは影を潜め、為政者としての鋭い光がその瞳に宿っている。
「そなたが間もなく王国へ向かうと聞いた。……単刀直入に聞こう。なぜ、そなた自身が行かねばならん? そしてその先に、何を見据えている?」
私はカップを静かにソーサーへ戻すと、背筋を伸ばし、真っ直ぐに皇帝の眼光を見据えた。
「王国内の情勢はあまりに流動的です。その場で瞬時に判断を下さねばならない局面が必ず訪れます。アルフォンス王子、賢者グラン、そしてあの『剣聖』と『聖女』……背後で糸を引く『ヴェネーリア連合』の影。あまりにも駒が多すぎます。これを遠隔で完璧に動かすことは、不可能にございます。……故に、私が直接彼の地へ赴く必要がございます」
そして、私は覚悟を込めて言葉を続けた。
「この身がどうなろうとも、必ずや陛下の理想とされる未来を手繰り寄せてみせます。それが、私の覚悟です」
次に、皇妃陛下が心配そうに眉を寄せ、私の手をそっと握った。その手は驚くほど温かく、母のような純粋な愛情が伝わってきて、私の胸の奥を締め付けた。
「……でもリナ、それはあまりにも危険だわ。あなた自身が傷つくのを、私は見たくないのよ……」
「……大丈夫です、セレスティーナ様。それに、私には最強の護衛がついていますから」
私がそう言ってヴォルフラムの方をちらりと見やると、彼女は離れた席で感極まったように胸を張り、力強く敬礼して見せた。
最後に、それまで黙って話を聞いていたユリウス皇子が、椅子を軋ませて身を乗り出した。
「……軍師殿! ……いや、リナ殿! 僕はまだ無力かもしれない。でも、君の助けになることなら……僕にできることはないだろうか!」
その必死な、それでいて真摯な眼差しに、私は思わず微笑んだ。
「……ユリウス皇子。そのお気持ちだけで、百万の援軍を得た気分です。……ですが、あなたの本当の戦場はここです。私がいない間、どうかこの国をお願いしますね、未来の皇帝陛下?」
「……! ああ、分かった!」
ユリウス皇子は、私の言葉に力強く頷いた。
私の返答に、皇帝と皇妃は満足げに頷き、張り詰めていた空気はようやく和らいだ。
だが、尋問が終わった後も、皇妃とユリウス皇子は私をなかなか解放してくれない。
「それでリナ、潜入する時のお洋服はどんなものを考えているの?」
「あ、あの、リナ殿! 帝国に戻られたら、その……鷲ノ巣盆地の戦いのことを、詳しく教えてはいただけないだろうか!」
次から次へと繰り出される質問の嵐に、私は笑顔を貼り付けたまま内心で悲鳴を上げる。
助けを求めるようにセラとヴォルフラムの方を見れば、二人は遠くの席で、まるで別世界の住人のように優雅にお茶を飲んでいる。その目は明らかに「頑張ってください、リナ様」と微笑ましそうに語っていた。
(……この薄情者ぉぉぉ!)
私の心の叫びは、もちろん誰にも届かない。
二人には私が転生者であることは伏せている。彼らの目には、皇子に気に入られ、皇妃に可愛がられている年頃の少女にしか見えていないのだろう。
(……セラさんたち、きっと「お似合いだなあ」くらいに思っているんだろうな……)
きらきらした目で私を見る未来の皇帝と、楽しそうに服の話をする国母。そして遠くで優雅にくつろぐ部下たち。
その光景に、私はくらりと目眩がした。
天翼の軍師としてではなく、八歳のリナとしての人生。そろそろ、真剣に将来設計を見直す時期なのかもしれないと、本気で思った。




