第53話:『天才の移転と魔法の糸電話』
シュタイナー中将。
帝国で最も頼りにでき、そして最も頑固な老将軍は、私の後ろ盾となることを決めてから、驚くべき手腕を発揮した。
彼の「鶴の一声」は、あらゆる官僚的な手続きを薙ぎ払い、北の山脈地帯に眠る広大な廃坑一帯を、我々のプロジェクトのために確保させた。豊富な鉄鉱石と、動力源となる雪解け水。そこは、新たな技術を生み出すための、まさに理想郷だった。
「――うおおおおっ! すっげぇ! これが、全部、私の実験場になるのか!?」
初めて現地を訪れたマキナは、土埃も構わずにだだっ広い敷地を駆け回り、峡谷に響き渡るほどの歓声を上げた。その目は、新しい玩具を与えられた子供のように爛々と輝いている。
彼女と、彼女が率いる職人たちの移転は、グレイグ中将の全面的な協力の下、極秘裏に、しかし迅速に進められた。半壊した工房の機材や、インクの染みが無数についた研究資料も、一つ残らずこの新しい拠点へと運び込まれていく。
「軍師様よ、見てみろよ! シュタイナー中将が手配してくれた最新式の魔導炉だ! 磨き上げられた銅の釜が、今にも唸りを上げそうだぜ! これさえあれば、ボイラーの出力は今までの三倍は見込めるぞ!」
興奮冷めやらぬ彼女の背中に、私は静かに声をかける。
「マキナ局長。浮かれているところ申し訳ありませんが」
一枚の羊皮紙を、彼女の目の前に差し出した。ライナー率いる『影の部隊』から提出された、特殊装備の開発要求リストだ。
「……ん? なになに……『音を消す靴』、『壁を登るための鉤爪』、『暗闇でも物が見える眼鏡』……。おいおいリナ、いくらなんでも無茶ぶりすぎないか? これじゃまるで伝説の盗賊団でも作るみたいじゃないか」
「できるでしょう? あなたなら」
フードの奥で私がにっこりと微笑むと、マキナは「……まあ、面白そうだからやってみるけどさ」と口を尖らせながらも、その瞳は挑戦者の光を宿していた。
彼女の工房、いや、新しい「研究所」を視察していた私は、ふと、作業台の隅に見慣れない一対の箱が置かれているのに気がついた。
手のひらサイズの、はんだ付けの跡も生々しい無骨な金属の箱。それぞれから奇妙なアンテナのような針金が伸び、話しかけるための筒が付いている。
「……マキナさん。これは?」
「ああ、それか」
マキナは、山積みの設計図から顔を上げ、こともなげに答えた。
「頼まれてた開発リストの中で、一番簡単そうだったから息抜きに作ってみたんだよ」
「簡単、そうだった……?」
彼女は箱の一つを私に寄越すと、もう一つを手に取り、部屋の反対側までこともなげに歩いていく。
「いいかい? その箱の横についてるボタンを押しながら、筒に向かって何か喋ってみな」
言われるがままに、私はボタンを押し込む。カチリ、と小さな感触が指に伝わった。
「……あー、あー。テスト、テスト」
次の瞬間。
部屋の反対側にいるマキナが持った箱から、雑音一つないクリアな音質で、変声機を通した私の声が響き渡った。
『……あー、あー。テスト、テスト』
「――!?」
私は自分の耳を疑った。
何が起こったのか理解できず、隣にいたセラもヴォルフラムも、目を丸くして硬直している。静まり返った研究所に、私の心臓の音だけが大きく響いた。
「……ど、どういう……原理だ……?」
「ああ、これな」と、マキナは得意げに箱を掲げた。「実は私、こっちの世界では、土魔法の才能があることに気づいたんだよ。まあ、攻撃には全然使えないけど、鉱石を生み出すのは得意でさ」
彼女は楽しそうに続ける。
「で、色んな鉱石を生成して遊んでたら、偶然、地球にはないはずの組成の結晶ができてな。硬度を測ろうとハンマーで割ってみたら、片割れをいじると、もう片方もブルブルって震えたんだ。面白くて色々試してみたら、この現象、結晶の純度をものすごく上げないと起きないことが分かった。ちなみに他に土魔法が使える人が居たとしても、元素の知識が無いとこんな超高純度の結晶は生成できないだろうな」
彼女はそこで一度言葉を切り、ニヤリと笑った。
「あとは簡単さ。こっちに来る前の知識の応用だ。この結晶が発する微弱な振動に、音声の情報を乗っけて飛ばしてるだけ。魔法と科学のハイブリッドってやつだな」
『無線通信機』。
今後の諜報活動の鍵として、私が彼女に開発を依頼していた最重要アイテム。
まさか、こんなにも早く、試作品が完成するとは。
「まだこの一対しかないけどな」と、マキナは付け加える。「試した感じだと、間に山とかの障害物がなけりゃ、かなり遠くまで届きそうだぜ。これ、何に使うんだ? 糸のいらない、糸電話か?」
その言葉に、私はハッと我に返った。
そして、マキナの元へと急いで寄せて貰うと、その両手を力任せに掴んでいた。
「マキナさん! これです! これが、今一番必要なものなんです!」
「え、あ、お、おう……?」
変声機を通した声の、ただならぬ剣幕に、マキナがたじろぐ。
「いいですか、聞いてください! この開発を最優先に! 他の全てのプロジェクトを止めても構いません! まずはこれを、最低でもあと二対、急いで作ってください!」
「は、はあ……?」
「それと、強度! 強度も最重要です! 落としても水に濡れても、多少の衝撃を受けても絶対に壊れないように! お願いします!」
私の必死の形相に、マキナは目をぱちくりさせていたが、やがて状況を悟ったように、不敵な笑みを浮かべた。
「……なるほどな。そんなに大事な“おもちゃ”なのか、こいつは」
彼女は試作品の箱を、ポンポンと軽く叩く。
「オーケー、任せとけ! 帝国軍の予算も潤沢にあることだしな! 竜に踏まれても壊れないくらい頑丈にしてやるよ! 前世で流行った、やたら強度があった、あの時計並みにな!」
「さすがです!マキナさん!」
「いや、そこまで喜ばれるとは……」
マキナはまだ知らない。
自分の「息抜き」と「偶然の発見」が、これから始まる王国の運命を左右する、極秘作戦の生命線となることを。
だが、目の前で宝物のように小さな箱をぎゅっと抱きしめる軍師の姿を見て、確信していた。
(……どうやら、とんでもなく面白いことになりそうだ)
技術革新の歯車は、私が思っていたよりもずっと速い速度で、確かな音を立てて回り始めていた。




