第48話:『北壁の将軍と軍師の仮面』
帝都の貴族街に佇む瀟洒な館。
与えられたその滞在先に帰り着いた時、私は門前に見慣れない一台の馬車が停まっていることに気がついた。飾り気のない、しかし隅々まで手入れの行き届いた質実剛健な造り。その扉に掲げられた紋章には、どこか見覚えがあった。
「……お客様でしょうか?」
隣を歩くセラが、訝しげに眉をひそめる。
館の重い扉を開けると、ひやりとした空気が頬を撫でた。
客間から漏れ聞こえる低い話し声を頼りに進むと、そこにはグレイグ中将が、一人の壮年の男性とソファで向かい合っていた。
その男は、まるで厳冬の北壁から削り出したかのような、峻厳な顔立ちをしていた。
白髪交じりの髪は短く刈り込まれ、その体躯は長年の鍛錬によって鋼のように引き締まっている。だが何より目を引くのは、その瞳。一切の揺らぎも妥協も許さぬ、北の凍てつく大地のような鋭い光が宿っていた。
「おお、天翼殿、セラ。戻ったか」
私達に気づいたグレイグが、安堵したように立ち上がる。
皇妃陛下とのお茶会から直行したため、私はまだ『天翼の軍師』のフル装備のままだ。フードの奥から無言で頷くと、グレイグが厳粛な面持ちで紹介の口上を述べた。
「こちらは、北部方面軍を預かる、“北壁”のゲルト・フォン・シュタイナー中将だ」
「――シュタイナー、中将……!」
セラが息を呑む気配が隣で伝わる。
私もまた、フードの闇の中で目を見開いていた。彼こそが、帝国の北の国境を何十年と破られることなく守り続けてきた、伝説の守護神。グレイグ、ロッシと並び立つ帝国三中将の最後の一人。
こんな場所で相見えることになるとは。
シュタイナー中将は、軋むような音を立ててゆっくりと立ち上がった。
その鋭い眼光が、私の頭の先から爪先までを、値踏みするようにじろりと射抜く。フードの奥の暗闇までも見透かさんとするかのような、刺すような視線だった。
やがて、地響きのような低い声が客間に響く。
「……貴様が」
空気が、ぴんと張り詰めた。
「……貴様が、このグレイグを骨抜きにし、陛下と皇妃陛下を誑かしたという、噂の『天翼の軍師』か」
あまりに直接的で、敵意すら剥き出しの物言い。
場の温度が急速に下がっていくのを感じる。セラが私を庇うように、さっと一歩前に出ようとするのを、私はそっと手で制した。
「いかにも」
変声器を通して、低く、凪いだ声を返す。一切の動揺も見せずに。
「私が、その『天翼の軍師』。……シュタイナー中将、わざわざ北の僻地よりご足労いただき、恐縮の至り」
私の物怖じしない態度に、シュタイナー中将の厳つい眉が、ぴくりと微かに動いた。
私は間髪を容れずに言葉を続ける。
「私の工房……もとい、『技術研究局』の移転先候補として、貴殿の管轄区にある古い廃坑を拝借したいと、陛下にお願いしたところです。まさか、その返事を中将自らお持ちいただけるとは」
先手を打って、本題を切り出す。そして、ふっと声の調子を和らげた。
「お話の前に、まずはお茶でもいかがですかな? 本日、皇妃陛下から大変美味な新作の焼き菓子をいただきまして」
余裕綽々の態度と、予想外の「お茶会」の誘い。
伝説の“北壁”は一瞬、虚を衝かれたように固まり、その岩のような顔が、ほんのわずかに、緩んだように見えた。
彼は、ふん、と短く鼻を鳴らす。
「……茶は欲しいが、甘いものはいらん。副官殿に」
そう吐き捨てながらも、グレイグに勧められた椅子にどさりと深く腰を下ろした。革張りのソファが重々しく軋む。
「……単刀直入に聞こう、天翼殿。貴様の真の狙いは何だ。鉄の馬だの、影の部隊だの……。貴様のやり口は、戦の常道からあまりに外れすぎている。それは時に大きな勝利をもたらすが、一歩間違えれば、帝国そのものを破滅に導きかねん危険な賭けだ」
帝国の未来を憂う、老将の偽らざる問い。
フードの奥で、私は静かに口の端を吊り上げた。
(……面白い。この人は、ただの石頭じゃない。物事の本質を、きちんと見抜いている)
帝都の平穏な日常は、どうやらまだ私を解放してはくれないらしい。
新たな、そして最も手強そうな「石頭」との腹の探り合いが、今、静かに幕を開けようとしていた。