第46話:『皇子様の盛大な勘違い』
「……きっと、あなたの力になってくれるはずよ。ね?」
皇妃陛下の唇に浮かぶのは、悪戯っぽい微笑み。
その美しい貌はしかし、私に「さあ、どうするの?」と選択を迫る、有無を言わせぬ圧を放っていた。母と私の間に走る見えない火花を理解できず、ユリウス皇子はただ混乱した表情で立ち尽くしている。
(うわあああ、皇妃様! なんて意地の悪い……! ここで私の正体をバラす気ですか!?)
板挟みになった私は、助けを求めるように視線を彷徨わせる。少し離れた場所で、優雅にお茶を飲むセラさんの姿が目に入った。涙目で彼女を見つめるが、その肩は小刻みに震え、必死に笑いをこらえているのが見て取れた。味方は、いない。
……もう、こうなったら腹を括るしかない。
私は一度、胸いっぱいに薔薇の香りを吸い込み、意を決して皇妃陛下をまっすぐに見据えた。
「セレスティーナ様。ユリウス皇子には、絶対に守っていただけるのですね?(私の秘密を)」
それは、皇子本人にさえも正体を明かすという、私の覚悟だった。
だが、その言葉は全く予期せぬ方向へと火の粉を散らした。
「なっ……!?」
私の言葉に、ユリウス皇子が顔を真っ赤にして一歩後ろへ飛びのく。
「な、何を勘違いしている! わ、私はそなたを護るなどと一言も……! そもそも、そなたが何者かすら私は知らぬというのに!」
(……え? あれ……?)
彼の、あまりに盛大な勘違い。
私が言った「守る」という言葉を、少女が未来の伴侶に求める「私を護ってくれますか?」という甘い愛の告白だと、完全に誤解しているのだ。
「あら、ユリウス。何をそんなに慌てているのかしら?」
皇妃陛下は、息子の勘違いに気づいた上で、さらに油を注ぐように楽しげな声を響かせる。
「良いでしょう、リナ。私が責任を持って、(秘密を)守らせますから。ね、ユリウス?」
「は、母上っ!!」
ユリウス皇子が悲鳴に近い声を上げた。
(あー、これはもうダメだ。皇子様、完全に思考があらぬ方向へ飛んで行っちゃってる……)
そして皇妃様は、それを分かっていて心の底から楽しんでいる。
(……んー、だったら私も、少しだけ乗っかってみようかな)
三十路OLの心に眠っていた小さな悪戯心が、鎌首をもたげた。
私はわざと瞳を潤ませ、長い睫毛を伏せがちに、ちらりとユリウス皇子を見上げる。そして、恥じらうように頬を染めて、はにかんでみせた。
「……ではユリウス皇子。これから一生、お守りいただくということで、よろしいのですね?」
「お、お、お前は、一体何を……!?」
ユリウス皇子の顔は、もはや湯気の立つ茹でダコのようだ。彼の頭の中では、一体どんな壮大な妄想が繰り広げられているのだろう。
「あら、そうなのね。それならば、きちんと紹介をしなければ失礼にあたるわ」
皇妃陛下が完璧なタイミングで追い打ちをかける。
「は、は、母上ッ! か、勝手に話を進めないでいただきたい! こ、こういうことは、本人同士の、その、気持ちが一番……!」
「ええ、そうね。だから紹介するのよ。さあ、ユリウス、よくお聞きなさい」
皇妃陛下は優雅に立ち上がると、私の肩にそっと手を置いた。その指先の温もりが伝わってくる。
そして、混乱の極みにある我が息子へと告げた。
「――この子こそが、そなたがあれほど会いたがっていた帝国の英雄。我が国の勝利と平和を導く、気高き翼」
彼女は、とびきりの笑顔で言った。
「――『天翼の軍師』、リナよ」
「…………え?」
時が、止まった。
ユリウス皇子の思考が完全に停止する。彼の青い瞳が、信じられないとでも言うように私の上から下までを何度も往復する。目の前で恥じらう、自分よりもうんと小さな少女。脳裏に浮かぶのは、帝国を救った神の如き智謀を持つ、伝説の大軍師。二つのイメージが、彼の頭の中で激しく衝突し、全く結びつかない。
「……え……? ええええええええええええええええええええ!?」
やがて状況を理解した彼の絶叫が、午後の薔薇の庭園に高らかに響き渡った。
真っ白になった皇子の顔と、それを見て大笑いする母君。そして「してやったり」とほくそ笑む小さな少女。
その光景を遠巻きに眺めながら、セラ副官は(……また、閣下の頭痛の種が増えそうだわ……)と、静かに深いため息をついたのだった。