第342話:『狂王の断罪、砕け散る忠誠』
本拠地の広場。
灰色の雲が垂れ込め、肌を刺すような冷たい風が吹き荒れる中、全族長が強制的に集められていた。広場は息をするのもためらわれるほどの重苦しい空気に押し潰されそうになっていた。
高壇の上には大剣を地に突き立てて座るクルガンと、その斜め後ろに冷ややかな目で群衆を見下ろすヴィクトル。
そして彼らの足元には昨夜の密会に参加していた族長たちが泥だらけの姿で縛り上げられ引き据えられていた。
ヴィクトルが一歩進み出ると、手に持った紙を冷徹に読み上げ始めた。
「――ここに引き出された者たちは覇王陛下の厳命に背き徒党を組んで密会に及んだ。これは覇国の秩序を根底から揺るがす明確な反逆である」
事実のみを淡々と告げる声が広場に響き渡る。
ヴィクトルが読み終えるとクルガンが重々しく立ち上がった。その巨躯から放たれる殺気が広場の全戦士を物理的に押さえつける。
「――俺の命を守らぬ者は同じ目に遭うと思え!!」
鼓膜を劈く咆哮が広場を揺るがした。
「こいつらは今日から族長ではない。ただの虫ケラだ。そして虫ケラにはそれ相応の罰を与えてやる」
クルガンは恐怖に顔を引き攣らせるかつての腹心の前に立ち大剣を高く振り上げた。
「ひぃっ! 陛下お許しを! 我々はただ南の噂の真偽を……!」
「言い訳は地獄でしろ!」
無慈悲な白刃が一閃した。
肉を断ち骨を砕く鈍い音が静まり返った広場に生々しく響き渡る。
「ぎゃあああああああああっ!!」
絶叫。血飛沫が弧を描いて舞い冷たい土を黒く汚した。
見せしめとして切り落とされた右腕が土埃の中に無惨に転がる。
クルガンは表情一つ変えず次の標的へと歩みを進めた。二回、三回、四回、五回。
振り下ろされる刃の音と命を削るような絶叫がただ機械的に繰り返されていく。
鮮血が広場を濡らし鉄の匂いが鼻をつく。
クルガンは血塗られた剣を掲げ満足げに高笑いした。
「見よ! これが俺に逆らう者の末路だ! これで二度と裏切ろうなどと考える馬鹿はいなくなるだろう!」
自らの恐怖支配が完璧に機能したと信じ彼は残忍な悦悦に浸っていた。
だが。
高壇からその光景を見下ろしていたヴィクトルの背筋を一筋の冷たい汗が伝い落ちた。
(……これではだめだ!!)
彼の計算ではこの見せしめによって族長たちは震え上がり、完全な「畏怖」によって平伏するはずだった。
しかし広場を支配していたのは「畏怖」ではなかった。
誰もクルガンを見ていなかった。
彼らは俯きガタガタと震えながらも、その拳を白くなるほど固く、固く握りしめていた。
すすり泣きにも似た抑えきれない嗚咽があちこちから微かに漏れ聞こえてくる。それは恐怖の震えではなく同胞を理不尽に傷つけられたことへの行き場のない「怒り」と「絶望」の震えだった。
(……これは……)
ヴィクトルは自身の誤算を瞬時に悟った。
(やりすぎた。……見せしめとしてはあまりにも理不尽で残酷すぎた。これでは恐怖ではなくただの憎悪を育てるだけだ)
彼が張り巡らせた恐怖の糸が今プツリと音を立てて切れた瞬間だった。
北の民の心はもはやクルガンから完全に離反した。
ヴィクトルは自らの手で自らの首を絞めたことを悟りギリッと奥歯を噛み締めた。
◇◆◇
その日の午後。
ヴィクトルの執務室は外の陰鬱な空気以上に冷え切っていた。
彼の前で旅の汚れにまみれた一人の密偵が片膝をつき震える声で報告を続けていた。南のアルカディア王国方面へ放った調査隊の一人だった。
「――報告いたします。ロベール伯爵の領地はすでに解体されておりました」
その言葉にヴィクトルのペンを握る手が止まる。
「解体だと?」
「はっ。伯爵の私兵は武装解除され、領地は新王アルフォンスの直轄地として完全に組み込まれております」
「……馬鹿な。ヴェネーリアのドナートからの支援はどうなった? あの莫大な資金力があればあのような小競り合いで終わるはずが……」
密偵はごくりと喉を鳴らしさらに絶望的な事実を口にした。
「ヴェネーリアのドナート・コンタリーニは……失脚した模様です」
「なっ!?」
ヴィクトルは思わず椅子から立ち上がりかけた。
「彼らの勢力は完全に無力化され、ヴェネーリア自体も帝国の『天翼の軍師』なる者が主導する新たな経済圏に呑み込まれたと……」
ヴィクトルの灰色の瞳が驚愕に見開かれた。
最後に情報を得たときから、まだ半年もたっていない。
その半年にも満たない短期間で王国が内乱を鎮圧し、あろうことか強欲なヴェネーリアまでもが帝国と新王国の掌の上に落ちている。
「それだけではありません。王国に置いていた我々の秘密拠点ですが……伯爵領の領民か、あるいは正体不明の『影』の手によって徹底的に荒らされ完全に廃墟と化しておりました」
密偵は早口に続ける。
「ただ不幸中の幸いと言うべきか……中庭の地下に設けておいた隠し施設だけは発見されず無事であることを確認いたしました。しかし周辺は王国、あるいは帝国の『影』の動きが活発で、我々も不用意に大きな動きはとれない状況です。……一旦私はこの事実を報告するため戻りましたが、残る二名はさらに南下し情報収集を続行しております」
報告が終わってもヴィクトルは言葉を発することができなかった。
彼の脳裏で南の盤面が恐るべき速度で再構築されていく。
(……ドナートが、あの老獪な商人が、たった一人の軍師の手によって盤上から消し去られた? それもこれほどの短期間で……!?)
彼の緻密な計算式が根底から崩れ去っていく音がした。
では……アルビオンとやらが描いていた壮大な大陸侵略計画。それ自体もすでに『天翼の軍師』によって察知され封じ込められたという事か?
いや、まさかそこまでは……。
かつて彼が帝国に仕えていた頃、彼は冷徹な計算のもとに未来を予見した。
皇帝ゼノンの『民草を慈しむ』弱腰な姿勢では王国の攻勢はいずれ躱せなくなる。裏から盤面を支配し無慈悲に駒を動かす者が王国の背後にいる。自分と同じ匂いを発する者だったからこそヴィクトルだけがその致命的な危機に気が付くことが出来た。
だからこそ彼は進言した。自らの策を用いて王国を早期に内部から崩壊させ帝国の力をつけるべきだと。そうしないかぎり帝国は滅亡するのみだった。
だが皇帝によりその案が廃された時点で彼は帝国を見限り次点の策に打って出た。
その後の調査で、アルビオンとやらがヴェネーリアを介して王国を食い物にしようとしている事を察することができた。ならば彼らの支配が完了するよりも早く自らがこの北の蛮族を統一し帝国をも押さえ込む。そうして北と西から王国に強大な圧力をかけヴェネーリアと裏で繋がりつつ、絶対的な力による表面上の平穏を大陸にもたらす。
それこそが彼の描いた完璧なグランドデザインだったはずなのだ。
だが全ての前提条件が変わってしまった可能性がある。
ヴィクトルは震える手で眼鏡の位置を押し上げた。カチャリと鳴る微かな音がやけに大きく執務室に響く。
(……私でもここまでの地盤を築くのに、かなり強引な手を使い、血を吐くような思いをして、それでもなお、何年も掛かったというのに)
南の空の向こうにいるであろう天翼の軍師と呼ばれる物。いったい何をどのようにしたというのだ。
其れはただの「異物」ではない。自分の想像を遥かに超える大陸の運命を意のままに操る化け物だ。
(……このままでは終わる。覇国は内から崩壊し南からはあの化け物が全てを呑み込みに来る……)
ヴィクトルの背筋を冷たい恐怖の汗が伝い落ちた。




