閑話:『古狼と商人の勘違い、茶室の余韻』333.4
『道の駅』の建設現場を背に、バラクとナディムの一行は荒野を南へと馬を進めていた。
吹き付ける北風は冷たいが、彼らの間にはあの不思議な茶室で過ごした時間の余韻がいまだに色濃く残っていた。
先頭を行くバラクは手綱を握りながら何度も首を傾げ、唸り声を上げていた。
「……恐ろしい国だ。帝国というのは」
隣を並走するナディムも深く頷く。
「ええ。全く同感です、バラク族長。……あの『チャシツ』という空間。そしてあの緑の苦い飲み物と甘い菓子の調和。……あれこそが帝国の真の力なのでしょう」
彼らはあの和風の茶室を「帝国の伝統的な様式」だと完全に勘違いしていた。
無理もない。極寒の荒野に突如として現れた洗練の極致。無駄を一切削ぎ落とした空間にあえて古代遺跡を『借景』として取り込むという、傲慢なまでにスケールの大きな美学。
力で全てをねじ伏せるクルガンの『黒の宮殿』とは対極にある強さだった。
「……あの空間に入った瞬間、外の喧騒が嘘のように消え去った」
バラクはい草の香りを思い出すように目を細めた。
「巨大な城や派手な装飾で威圧するのではない。何もない、ただの紙と木で囲まれた狭い部屋。……だというのに、あの部屋に入った者は皆丸腰にされ、身分を剥ぎ取られ、ただ一人の人間として向き合わされるような錯覚に陥った」
「まさに精神の制圧ですね」
ナディムが商人の鋭い視点で分析する。
「軍師殿はあの空間自体を『武器』として使われたのです。相手を威嚇するのではなく心を凪がせ、隙を作らせる。……そしてあの奇妙な飲み物です」
ナディムは思い出したように身震いした。
「あの泥のように濁り、草の渋みを凝縮したような緑の液体。……あれを差し出された時、私は一瞬毒かと思いました」
「わしもじゃ。だが、あの商人のような御仁(皇帝)は躊躇なく煽りおった」
「ええ。そしてその後に食べた、あの赤い豆の練り物が入った白い柔らかな菓子。……強烈な苦味の後に来る、あの脳を溶かすような極上の甘味。あれは計算し尽くされた罠です」
ナディムは手綱を握りしめ、熱っぽく語った。
「苦痛と緊張を与え、その後に究極の緩和と甘美を与える。……それはまさに帝国が今、我々北の民に対して行っている『戦略』そのものを、一杯の茶と菓子で体現していたのですよ!!」
バラクがハッと息を呑む。
「な、なるほど……! クルガンという『苦難』の後に、帝国という『甘味』を与える。あの茶会は、我々に帝国の支配構造を味覚で理解させるための、無言のプレゼンテーションだったというのか……!」
二人の老獪な男たちは顔を見合わせ、その深淵な(と彼らが勝手に思い込んでいる)計略に心底戦慄した。
あの八歳の少女は、ただの会議の場にすらこれほどの哲学と心理戦を仕込んでいたのだ。
「……恐ろしい嬢ちゃんだ。いや、恐ろしいのはあの『ワビサビ』という底知れぬ文化を日常としている帝国そのものか」
バラクは自嘲気味に笑った。
「力だけで全てを支配しようとするクルガンが、あの『文化』という名の甘い毒に勝てる道理がないわ。……我々はとんでもない相手と手を結んでしまったのかもしれんな」
「ええ。ですが同時にこれほど心強い味方はおりません。……我らカナンの知恵を以てしても、あの軍師殿の底は計り知れない」
ナディムは振り返り、地平線の彼方に沈みゆく『道の駅』の方向を見つめた。
「……あの『チャシツ』。いずれ我々が運営を任される暁には、ぜひとも我々カナンの民にも、あの『マッチャ』の点て方とあの菓子の作り方を伝授していただかねばなりませんね」
「がっはっは! 違いねえ! あんな美味いものを帝国だけが独占するなど、北の民が許さんわい!」
荒野に二人の男の豪快な笑い声が響く。
彼らは自分たちが勝手に深読みして恐怖し、勝手に感動していることなど知る由もない。
ただ、リナが前世の記憶から「疲れたからお茶が飲みたい」という一心で作らせただけの茶室と和菓子が、北方の重鎮たちの心に「帝国への絶対的な畏怖と信頼」を完璧に刻み込んでしまったことだけは、揺るぎない事実だった。




