閑話:『軍師の偏愛、荒野に咲く「侘び寂び」』333.3
少し前の話になります。
お付き合いくださいませ。
輝夜。
北壁の砦、深夜の作戦室。
分厚い石壁に囲まれた室内は、暖炉の薪が爆ぜる微かな音だけが響き、息苦しいほどの静寂に包まれていた。
巨大な机の上には北方諸族の動向を示す地図や、物資の流通量を計算した紙の山が雪崩を起こしそうに積まれている。
その紙の山を前にして、私は手にしたペンをピタリと止めていた。
ぽたり。
ペン先から落ちた黒いインクが、真っ白な紙に小さな染みを作る。
北の部族たちとの苛烈な心理戦、ヴィクトルという毒蛇との盤上での殺し合い。気を抜けば誰かの命がこぼれ落ちる極限の緊張感の中で私の精神は張り詰め、心の糸が今まさに限界まで引き伸ばされていた。
「……リナ様? いかがなさいましたか」
傍らで書類を整理していたセラさんが私の異変に気づき、心配そうに覗き込んでくる。
私はゆっくりと顔を上げ虚空を見つめたまま、カサカサに乾いた唇を開いた。
「……足りない」
「え?」
「……茶室……」
「ちゃしつ、とは……?」
ブワッと。
私の瞳の奥で長らく封印されていた前世の記憶――『和』への強烈な渇望が、狂気にも似た炎となって燃え上がった。
私はガタッと椅子を蹴立てて立ち上がり、机に両手をドンと突きつけた。
「和です!! 今の私には圧倒的に『和』が必要なのです!!」
「わ、和……?」
「そうです! 煌びやかな装飾も重苦しい石の壁もいりません! 必要なのは木と紙と草と土が織りなす完成された『ひなびた空気』! 張り詰めた心を解きほぐす、究極の機能美と精神性の空間が……今の北の荒野には絶対に必要なんですッ!」
息継ぎもせずに捲し立てる私の気迫に、普段は氷のように冷静なセラさんが目を白黒させて一歩後ずさった。
「わ、分かりました! で、では……マ、マルコさんに相談を……」
セラさんは、『囁きの小箱』をつかんだ。
◇◆◇
通信が繋がった先、遠く離れたマルコ商会。
深夜の緊急通信に、ナイトキャップを被ったマルコさんが青ざめた顔で正座していた。
通信機から響くのは威厳に満ちた『天翼の軍師』の冷徹な声。だがその喋るスピードは異常に速く、異様な熱を帯びている。
『――マルコ殿。至急、探すか作らせていただきたいものがあります。……まずは食材です』
「は、ははっ! なんなりと!」
『乾燥させて出来るだけ細かくした粉末状の緑茶。それから豆……出来れば赤くて固い食用の豆をくたくたに煮て、砂糖をたっぷり入れた泥状の練り物を、時間が経っても固くならない柔らかな餅で包んだ菓子……』
マルコさんは額から滝のような冷や汗を流しながら必死にペンを走らせる。
(深夜に軍師様直々の特命……しかも聞いたこともない奇怪な食材! これは絶対に失敗できん!)
「で、では……それらは私が全土の伝手を使い、優秀な職人を集めて必ずや作らせてみせましょう! ……して、その『チャシツ』という建物については?」
『私の指定する特殊な構造になります。腕が良く、固定観念に囚われない者がいい』
「承知いたしました! 当商会が抱える先進的な建物の設計・建造を得意とする気鋭の者たちが数名おります。即座に蒸気トラックに乗せそちらへ急行させましょう! そこで直接ご相談ください!」
◇◆◇
数日後。北壁の砦に泥だらけの蒸気トラックが急ブレーキをかけて止まった。
荷台から転がり出てきたのは、マルコさんが手配した若き天才設計士、凄腕の棟梁、そして繊細な内装職人の三人。長旅の疲労でゲッソリしているが、軍師直々の指名という名誉にその目はギラギラと血走っている。
作戦室に通された彼らの前に、仮面をつけたリナが現れた。
最初は「辺境の荒野に建てる休憩小屋」と高を括っていた彼らだったが、私が黒板に次々と描き出す鳥観図や間取り図を見て、みるみるうちに顔色を変えていった。
「いいですか。入り口は広く取り出入りしやすくします。しかし土間を抜けると、まず目に飛び込むのは四季を感じさせる『坪庭』。ここで一度、俗世の空気を落とし、心を落ち着かせるのです」
私はチョークを軽快に走らせる。
「内部の空間は『襖』と呼ばれる取り外し可能な建具で仕切ることで、少人数の密談から大人数の会合まで、用途に合わせて空間を自在に変化させます。無駄を省いた極めて効率的な動線です」
「な、なるほど……空間そのものを可変式にする、と……」
設計士が震える手でメモを取る。
「そして、ここが重要です」
私は黒板を強く叩いた。
「『障子』を開け放てば、そこには『縁側』。その先に広がる内庭には一切の水を使わず、白い砂と石の配置のみで大自然の海や島を表現する『枯山水』を配します」
「み、水を使わずに、水を表現する……!?」
内装職人が息を呑む。
「さらに視線を上げれば……その『枯山水』の背景として、遠くにある『忘れられた神々の遺跡』がピタリと収まるように建物の角度を計算してください」
「窓枠という額縁を使い遥か遠くの景色すらも、この小さな茶室の『借景』として支配し取り込むのです。天気が良ければ庭に傘を立てて『野立て』もできるように」
静寂。
職人たちは口を半開きにしたまま硬直していた。
彼らはただの小屋を作らされると思っていた。だが提示されたのは違った。
機能性の極致。空間の自在な最適化。装飾を極限まで削ぎ落としながらも自然の石と砂だけで宇宙を表現する「侘び寂び」という深淵な哲学。
そして何より――あの巨大で荘厳な古代遺跡すらも、己の庭の「飾り(借景)」として手中に収めてしまうという、スケールの大きすぎる空間支配の美学。
「なんという……なんという機能美と精神性の完全なる融合……!」
設計士がポロポロと涙をこぼし始めた。
「借景……! 遺跡の威厳すらも計算し尽くされた建築の一部として取り込むというのか……!」
棟梁がわなわなと震える両手で己の顔を覆う。
「 豪華な装飾や巨大な石壁で権力を誇示するなど、三流のやることだ! これぞ……これぞ天翼の美学!!」
彼らは勝手に崇高な軍略と美学を感じ取り、雷に打たれたように熱狂し始めた。
「やらせてください!! 我々の持てる全ての技術と魂を懸けて、軍師様のその『ワビサビ』という究極の真理を、必ずや具現化してみせます!!」
職人魂に完全に火がついた三人は血走った目で設計図を抱え込み、雄叫びを上げながら建設現場へと走っていった。
私はぽつんと取り残された作戦室でチョークを持ったまま首を傾げた。
(……なんかすごい深読みされてるけど、まあ、いっか。いいお茶室ができそうだし)
そんな中、リナが描いていた「衣装の図案」をじっと見ていたセラさんが、おずおずと口を開いた。
「あの、リナ様。この……『わふく』という、曲線を使わずに布を巻き付けるような衣装。これは一体……?」
「ああ、茶室に合う正装です」
「……なんだか、とても凛としていて、不思議な美しさがありますね。……少し、着てみたいかもしれません」
セラさんの言葉に、侍女達も「新しいユニフォームですね!」と盛り上がり始めた。
◇◆◇
一方その頃。
南の特別商業特区、マルコ商会の厨房。
周囲にはすり潰された緑色の粉末が舞い、試作の菓子が山のように積まれている。
マルコは目の下に真っ黒なクマを作り髪を振り乱しながら、集められた一流の菓子職人たちに向かって怒号を飛ばしていた。
「違う! まだ豆の煮詰め方が足りん! 軍師様は『泥のようでありながら、豆の形を絶妙に残せ』と仰ったのだ! 餅の柔らかさもこれではダメだ、時間が経れば固くなる!」
彼は試作の「抹茶もどき」を啜り、強烈な苦さに顔をしかめながらも、その奥にある深い香りに目を見開く。さらに隣室で着物を縫い上げている仕立て屋の元へ走り、「布の落ち感が違う! 軍師様の図面をよく見ろ! 帯の結び方はこうだ! 身体を締め付けずかつ所作が美しく見えるように計算されているのだ!」と指示を飛ばす。
疲労困憊のマルコだが、その顔にはニヤリと猛々しい商人の笑みが浮かんでいた。
(……あの天翼の軍師様がこれほどまでに執着し、急ぎ求める未知の文化。ただの遊戯であるはずがない。……これが完成した暁には、間違いなく大陸中の貴族たちがこぞって真似をする、史上最大の流行となる!)
彼は両手で試作品の布と、ようやく形になった大福を力強く握りしめる。
(この『和』という新たな概念の独占販売権……我がマルコ商会が、絶対に一番乗りで手に入れてみせるわ!!)
北の荒野で計算し尽くされた静かな茶室が建ち上がるその裏側で。
商人と職人たちの血と汗と涙の狂騒曲が、熱く繰り広げられていたのだった。
わがまま発動。こういうのも必要でしょう?ちゃんと利益に繋がりそうですし。
ときおり、ここで「ぷはー」しているリナちゃん。いいねぇ♪




