第331話:『荒野の茶室、古狼の謁見』
北の風が『忘れられた神々の遺跡』の巨大な石柱の間を吹き抜けていく。
私たちは丘の上の円環状の石柱の陰から、眼下に広がる光景を息を殺して見下ろしていた。
乾いた荒野を切り拓き、巨大な建設現場と化した平原。そこではマキナの生み出した鋼鉄の獣――蒸気トラックが土煙を上げ、人の手では動かせぬ巨大な石材や木材を軽々と運んでいく。男たちの怒号と槌音が混じり合い、新たな時代の産声となって荒野に響き渡っていた。
「……見事なものだ」
皇帝ゼノンが付け髭を揺らしながら感嘆の声を漏らした。その瞳には帝国の未来を担う新たな力の胎動を見る王者の満足が浮かんでいる。
「これほどの事業をこの短期間で……」
グレイグもシュタイナーも自らの常識が塗り替えられていく光景にただ言葉を失っていた。ユリウス皇子たちはその熱気に目を輝かせている。
「軍師殿。あの建設中の市場は立派だが、我々がいるこの古い石柱群は取り壊さぬのか? 邪魔であろうに」
アイゼンハルトが冷徹な官僚の目で丘の上の遺跡を見回して問うた。
「とんでもない!」
私は振り返り、力強く首を横に振った。
「この遺跡はかつて太古の北の民が信仰した神々の名残です。これを取り壊せば彼らの根源的な拠り所を無用に見下し、心を逆撫ですることになる。……ですからここは綺麗に整備して『公園』にします」
「公園だと?」
「はい。過去の歴史に敬意を払い美しく保存することで、ここはただの市場ではなく、遠方から人が訪れる『観光の目玉』にもなります。人は腹が満たされた後は、心を満たす美しいものや憩いの場を求めるものですから」
その言葉にアイゼンハルトは虚を突かれたように黙り込み、皇帝は「……ほぅ」と深く頷いた。
「武力で歴史を上書きするのではなく包み込んで保護し、自らの価値に変えるか。……文化による統治。実に恐ろしい小娘だ」
皇帝の呟きは最高の賛辞だった。
だがその熱狂と感嘆の中心にありながら、遺跡の一角に異質な静寂を保つ場所があった。
建設予定地を少し外れた見晴らしの良い岩棚の上。そこにぽつんと一軒だけすでに完成した小さな建物が佇んでいた。
この荒々しい北の風景にはあまりに不釣り合いな、簡素でしかし洗練された美しさを持つ木造の建物。黒い瓦屋根、白木の格子戸、そして軒先には風に揺れる小さな風鈴。周囲には白い砂利が敷かれ飛び石が玄関へと続いている。
それは私が前世の記憶を頼りにワクワクしながらノリノリで「絶対にこれだけは最優先で!」と半ば泣きついて作らせた和風の茶屋だった。
「……軍師殿。あれは?」
シュタイナー中将が怪訝そうに眉をひそめる。
「……私のささやかな趣味でございます」
私は仮面の下で顔を赤らめながら、小さな声で答えた。
「……あそこならきっと落ち着いて密談ができるかと」
私たちは丘を下り、その不思議な建物へと足を踏み入れた。
チリン、と涼やかな風鈴の音。い草の香りが満ちる室内はしんと静まり返っている。障子戸から差し込む光は柔らかく、床の間の掛け軸と一輪挿しが簡素な空間に凛とした気品を与えていた。
皇帝はその異質な、しかし計算され尽くした静謐な空間にほうと息を漏らした。
「……異国の様式のようだが面白い。外の喧騒が嘘のように不思議と心が落ち着くな。……まるで時間が止まったようだ」
やがて障子戸が静かに開かれ、なんと着物姿のクララさんが完璧な所作でお盆を手に現れた。
それぞれの前に深緑色の泡立つ液体が入った茶碗と、小さな愛らしい干菓子が置かれる。
「ど、毒などではありません! 『抹茶』という遠い国の飲み物です!」
私が慌てて説明すると、皇帝は面白そうに眉を上げた。
「ああ、良い良い。香りに驚いただけだ。……してこの横のちんまい菓子と一緒に飲むのが作法か?」
彼は作法も何もあったものではないといった風にまずは菓子を一つ無造作に口へ放り込む。そして茶碗を手に取りぐいっと一気に煽った。
「…………む」
皇帝の動きがぴたりと止まった。
口の中に広がる経験したことのない深い苦みと、その奥に広がる豊かな香り。そしてそれを追いかけるように口に残る菓子の優しい甘み。
「……ああ。なるほどこれは美味い」
彼は満足げに頷き、もう一つの菓子に手を伸ばした。グレイグ中将とシュタイナー中将も恐る恐る口をつけ、その未知の味に目を見張っている。
その奇妙で穏やかな茶会の空気を遠くから近づいてくる馬蹄の音が破った。
ゲッコーさんが無言のまま障子戸を開ける。
そこに立っていたのは旅の埃にまみれたバラク族長と、その背後で緊張に顔を強張らせるナディムたちカナン遺民の姿だった。
彼らは茶屋の異様な静けさとその中に座す皇帝たちの隠しきれない覇気に気圧され、入り口で立ち尽くしていた。
バラクがごくりと喉を鳴らす。
(……なんだこの男は……。ただの商人ではない。『天翼』でさえこの男の前では霞んで見えるほどの気配……!)
「――よく来たなバラク殿。そしてカナンの者たちよ」
私が声をかける。
バラクははっと我に返ると私と、そしてその奥に座す皇帝たちに深く深く頭を下げた。
「これはこれは軍師殿。……そしてこちらにおわすは……」
「西から来たただの商人だ」
皇帝が有無を言わせぬ王者の響きで遮った。
「軍師殿の新しい事業に興味があってな。……さあ座れ。商いの話をしようではないか」
皇帝の鋭い視線がナディムたちを射抜く。
彼らはその圧倒的な威圧感に身を縮こませながらも、その瞳の奥では必死に与えられた好機を逃すまいとする商人の炎を燃やしていた。
二つの異なる文化とそれぞれの思惑が交錯する荒野の茶室。
大陸の未来を形作る奇妙で、しかし決定的な密議が、今静かに始まろうとしていた。
ep400!
気が付けば、遠くまで来たものです。これからもよろしくお願いいたします。
輝夜




