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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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閑話:『古狼の帰還、夜更けの震え』 318.5

本線、復帰いたします。バラクが帰ってきました所より。

 

 ヴォルガルド本拠地から南へ向かう荒野の一本道。

 バラクは数名の供回りだけを連れ、西に傾きかけた太陽を背に馬を進めていた。

 道中、彼は時折鼻歌を交え、供の者たちに「いやぁ、本拠地の乳酒は格別であったな」「ガルドの奴、相変わらず堅苦しい顔をしておったわ」などと軽口を叩いては豪快に笑ってみせた。


 その姿は、本拠地で覇王に恭順を示し無事に大役を果たして帰途につく、気楽な好々爺そのものだ。供の者たちも族長のいつもと変わらぬ飄々とした態度に安堵し、緊張を解いて馬を歩ませていた。


 だが、バラクの腹の内は決して彼らと同じではなかった。


(……やれやれ、肝が冷えたわい)


 手綱を握るごつごつとした指先に、無意識のうちに力がこもる。

 泥だらけの薬草を献上した時のヴィクトルの氷のような視線。ガルドが荷車を検分した瞬間の息の詰まるような沈黙。そして何より、毒見と称して泥だらけの根を噛み砕いた時、あの狂王クルガンが放った肌を刺すような純粋な殺気。

 一歩、いや半歩でも踏み外せば、自分だけでなく部族全体の首が物理的に飛んでいた文字通りの綱渡りだった。


(あの天翼の嬢ちゃんの策は恐ろしいほどに完璧だった。……だが、それを実行する人間の身にもなってみろという話だ。……くわばら、くわばら)


 本拠地を離れ、完全に覇国の監視の目が届かなくなる距離まで来てもバラクは決して警戒を解かなかった。背後に追手が迫っていないか、風の音に耳を澄まし続ける。

 彼が本当に「生きて帰れた」と実感したのは、見慣れた『風読む民』の野営地の灯りが見えた時だった。


 ◇◆◇


 野営地に到着するなり、待ちわびていた民たちがどっと押し寄せてきた。

 その輪を掻き分け、息子のアランが血相を変えて駆け寄ってくる。


「父上! ご無事で……!」

 アランは馬から降りたバラクの巨体を力強く抱きしめた。その腕は小刻みに震えていた。息子にとっても父を敵の懐へ送り出すのは身を裂かれるような思いだったのだ。

「がっはっは! 馬鹿者、大の男がべそをかくな」


 バラクはアランの背中をバンバンと叩き、周囲を取り囲む民たちへ向かってよく響く声で宣言した。

「心配をかけたな! 見ての通り五体満足で戻ったぞ! 覇王陛下も我らの献身を大層お喜びであった!」


 ワァッ!と野営地に歓声が上がる。

 だがバラクは即座に両手を挙げてその歓声を制した。彼の顔から好々爺の笑みが消え、戦を指揮する族長の厳しい顔つきへと変わる。


「喜ぶのはまだ早い! 良いか皆の者。今回はたまたま上手くいった。天が我らに味方しただけの幸運な『偶然』に過ぎん!」

 その声は野営地の隅々までビリビリと響き渡った。

「我らが置かれた状況は薄氷の上を歩くようなもの。気を引き締めよ! 周囲への警戒を怠るな! 傷ついた者たちの『治療えんぎ』も決して気を抜くなよ!」


「「「おおおおおっ!!」」」

 バラクの力強い号令に、戦士たちが気合の入った咆哮で応える。

 族長が帰還した。その絶対的な安心感と緩むことのない緊張感が、風の部族の士気を最高潮へと高めていた。


 ◇◆◇


 その夜。

 バラクのゲルには、アランをはじめとする部族の重鎮たちや密かにナディムらカナン遺民の一部も集まり、ささやかながらも熱のこもった酒宴が開かれていた。

 焚火を囲み乳酒を酌み交わしながら、バラクは本拠地での出来事をまるで他人事のように淡々と語った。泥食いの毒見の話に至っては「あの泥は塩気が足りんかったな」などと冗談めかして笑い飛ばし、皆を安堵させた。


 やがて夜も深く更け、酒瓶が空になる頃。

「さて、明日の見回りもある。今夜はこれくらいにしておこう」

 バラクの一言で男たちは三々五々に散っていった。


 一人残されたゲルの中。

 バラクはゆっくりと立ち上がり寝所へと向かう。入り口の幕をしっかりと閉じ、外の風の音が少し遠くなったのを確認してから、毛皮の敷かれた寝台の上にどっしりと腰を下ろした。


 その時だった。


「……っ」


 不意に、彼の太い腕がガクガクと震え始めたのだ。

 まるで氷水に浸かったかのように歯の根が合わず、カチカチと音を立てる。

 それは、死地から生還し、族長としての役割を演じきり、たった一人になった瞬間に遅れてやってきた、生物としての純粋な『恐怖』の反動だった。


「……ふ。……ふふふっ」


 バラクは自らの震える両手を呆れたように見つめ、低く押し殺したような声で笑った。


「がっはっは……。……ここで震えが来るか」

 彼は大きな両手で自らの顔をゴシゴシと乱暴に擦った。

「……やれやれ。死線など幾度も越えてきたつもりであったが。……わしもまだまだ青いということかのぉ……」


 震える手で枕元に置いてあった水差しを掴み、中身を直接喉に流し込む。

 冷たい水が胃の腑に落ちて、ようやく体の震えが少しずつ治まってきた。


 彼は薄暗いゲルの中で一つ大きなため息をついた。

(……軍師殿よ。……あんたの描く盤面はわしらのような年寄りにはいささか心臓に悪すぎるわい)


 だがその老狼の瞳には、恐怖を乗り越えた者だけが持つ鋭く静かな闘志が宿っていた。


夢話をニ連投してしまったので、月曜から本編再開です。

今週分はなんとかなりそう(笑)

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― 新着の感想 ―
 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です 閑話:『古狼の帰還、夜更けの震え』 318.5」拝読致しました。  バラク、死地より帰還の最中。(ホント、いつ殺され…
更新お疲れ様です。 前にリナも分析したように今回の件は、バラクの『機転』と今迄『古狼』として培った人望が大きく寄与したでしょうね。 勿論、リナの覇国側の行動の読みもあっての事でしょうが。 まずは謀殺…
 バラクさんは、素晴らしい族長ですね、彼らの部族が生き延びてきたのも、バラクさんの力によるものも多かったのでしょう。人の上に立つもの、その真の心持ちを明かすことはできない孤独な存在なのですね。王国の王…
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