表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

375/415

第317話:『戦士の傷跡、盲信の報告』

 

 バラクが率いる車列が砂塵を巻き上げて遠ざかり、蹄の音が荒野の風に完全に溶けて消えた後。

『黒の宮殿』の玉座の間には、嵐が過ぎ去った後のような、どこか空虚で重苦しい沈黙が降りていた。


 玉座に深く腰掛けたクルガンは、手元の杯に残った酒を喉を鳴らして飲み干すと、不敵な笑みを浮かべて傍らの参謀へ視線を向けた。

「……どうした、ヴィクトル。いつになく眼鏡の奥が暗いぞ。あの古狼の毒見の茶番で、貴様の緻密な計算が狂いでもしたか?」


 ヴィクトルはすぐには答えなかった。彼は神経質そうに細い指で眼鏡のブリッジを押し上げると、不快感を隠そうともせず、地平線の彼方を睨みつけるように窓外へ目を向けた。

「……解せませんな。全てがあまりに出来過ぎている。あの泥だらけの献上品も、衆人環視を突いた毒見も……。まるでこちらの『次の一手』を先読みし、完璧な対策を用意していたかのようだ」


 ヴィクトルの脳内では、未だに「ありえない」という警告灯が点滅し続けていた。バラクが命綱である薬草をあっさりと差し出し、自ら死地に等しい本拠地へ乗り込んできた理由。それが単なる「忠誠」であるとは、彼の冷徹な合理主義がどうしても認められなかったのだ。


「ふん。疑いすぎは病だぞ、ヴィクトル。奴らは俺の覇道に怯え、必死に媚びを売っているだけだ」

「だとよろしいのですが。……覇王よ、バラクを護送してきた近衛兵団長を。奴らの野営地の『実情』を、その口から直接語らせるべきです」


 クルガンが短く顎でしゃくると、控えていた衛兵が、広場で待機していた近衛兵団長を呼び寄せた。

 現れたのは、戦場叩き上げの屈強な武官だった。彼は玉座の前で音を立てて膝をつくと、高揚した面持ちでこうべを垂れた。


「バラクの野営地の視察、完了しております!ご報告申し上げます!」


「苦労かけたな。……して、兵団長よ」ヴィクトルが氷のような声を投げかける。「貴様の目で見たバラクの野営地はどうであった。病で死に絶えるのを待つばかりの墓場だったか?」


 その問いに、兵団長は力強く首を振った。

「いえ! むしろ逆であります! 確かに病に伏せる者もおりましたが、それ以上に私の目に付きましたのは……凄惨なまでの『戦場』の痕跡であります!」


 ヴィクトルの眉がぴくりと動く。

「戦場の、痕跡だと?」


「はっ! 広場の一角には、血の滲む包帯を巻いた戦士たちが溢れておりました。腕を吊る者、足を引きずりながらも槍を杖にする者……。その多くが、刃物による生々しい裂傷や、強烈な打撃を受けた形跡が確認されました」


 兵団長は、自らが目撃した光景に一欠片の疑いも持っていないようだった。

「戦士たちは皆、鬼のような形相で、『次は必ず帝国の首を獲る』『この屈辱は血で洗う』と、煮え滾るような殺気を吐き出しておりました。あれほどの戦意……。ただの芝居で偽れるものではございません!」


 兵団長の熱を帯びた報告が、天幕の中を支配した。

 彼は知らない。その傷跡の正体が、リナの提案とシュタイナー中将の過剰なまでの熱血指導によって行われた、帝国軍との「実戦形式の合同演習」――すなわち、互いに死なない程度に本気で叩き合った末の、文字通りの『訓練傷』であるということを。


「がっはっはっは!!」

 クルガンが、天を仰いで哄笑した。

「聞いたか、ヴィクトル! バラクの爺め、泥を啜り、身内を傷だらけにしてまで、俺の盾として帝国の壁に突き進んでおるのだ! これが忠誠でなくて何だというのだ!」


 クルガンは満足げに身をのけ反らせ、黄金の杯を高く掲げた。だが、その背後に立つヴィクトルの表情は、報告を聞く前よりも一層険しく、冷え切っていた。


「……覇王陛下。一つ、進言を」


 ヴィクトルの静かな、しかし氷の礫を含んだような声が、祝祭の余韻を切り裂いた。


「なんだ、ヴィクトル。まだ疑っているのか? 貴様のその湿った性格には辟易するぞ」

「疑っているのではありません。『危惧』しているのです。……陛下、今の兵団長の報告を、他の部族長たちがどう聞いたとお思いですか?」


 ヴィクトルは一歩前に進み出ると、眼鏡を指先で直し、クルガンの耳元へその顔を寄せた。


「『バラクは民のために秘薬を差し出し、部族の犠牲を厭わず帝国と戦っている』。……今、広場にいる者たちの目には、バラクこそが『北の民を救う真の英雄』に映っている。そうは思いませぬか?」


 クルガンの杯を持つ手が、ぴたりと止まった。

 ヴィクトルの言葉が、クルガンの最も柔らかく、最も肥大化した急所――「絶対的支配者としての自己愛」を正確に抉ったのだ。


「民の心は脆いものです。死の病から救ってくれた者が、もし覇王である貴方ではなく、辺境の老族長であると皆が信じ込んだ時――それは『統治』ではなく、『崇拝』の対象が入れ替わる瞬間でございます。奴はただの忠臣ではない。陛下の座を狙う、最も老獪な『簒奪者』の顔をしておりますよ」


 ガシャンッ!!


 クルガンの手の中で、分厚い黄金の杯がひしゃげた。歪んだ金属の間から赤い酒が溢れ、彼の屈強な拳を汚していく。

「……俺以外の者が、俺の民を救うだと? バラクごときが、俺から『王の威信』を奪うというのか……!」


 クルガンの瞳に、純粋な怒りとは違う、支配者の醜い嫉妬と強迫観念がどす黒く渦巻く。その反応を見て、ヴィクトルは内心で冷酷に舌舐めずりをした。

 これでいい。盤面をひっくり返されたなら、盤ごと焼き払えばいいのだ。


「その可能性を摘み取らねばなりませぬ。……陛下、あの薬草を、全土に『公平』に配る必要などありません」

 ヴィクトルの声が、ねっとりとゲルの空気を這う。

「配給を『忠誠の選別』に使うのです。覇国への忠誠が厚い部族から優先的に薬を与え、忠誠の薄い者には与えない。薬が欲しければ、より覇王へ尽くすことを強要するのです」


「……アメとムチか。だが、それだけではバラクの威信は潰せんぞ」

「ええ。ですから、最もバラクに近い部族や、不満分子と目される者たちには……あえて『特別に』薬を配ってやりましょう。泥の中に、致死に至らぬまでも激しい苦痛を伴う『毒草』を混ぜ込んで」


 ヴィクトルのペールブルーの瞳が、残酷な愉悦に細められた。

「彼らが毒に苦しめば、我々は衆人の前でこう宣告できます。『バラクは秘薬と偽り、我が覇国を内側から崩壊させるための毒を献上した!』と。不満分子を掃除しつつ、バラクを民を殺す大罪人に落とす……。英雄から逆賊へ、完璧な処刑の筋書きです」


 クルガンは深く、重い息を吐き出した。その形相は怒りと、それ以上に「英雄としての座」を侵されることへの拒絶感に完全に支配されていた。


「……徹底的に管理しろ、ヴィクトル。……あの泥の中から、『裏切りの証拠』を必ず作り出せ」

「御意に、我が覇王。……薬師たちには、特別な『調合』を命じておきましょう」


 ヴィクトルは懃に一礼し、踵を返した。その足取りは、先ほどまでの焦燥を微塵も感じさせない、確信に満ちたものだった。


(……どう足掻こうと、これで薬の配給権は我々が独占した。この北の大地で、私が配る薬こそが『唯一の本物』となるのだ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
2人とも、器が小さい
 事前に毒味されたのに毒が出たなら真っ先に疑われるのは後から入れたになると思うけど参謀は頭湧いてんのか?後はクルガンの治世を脅かすために自作自演で毒を飲んだ扱いになるぐらいかな?
更新お疲れ様です。 兵団長の報告w ヴィクトルの言葉の毒とクルガンの嫉妬が・・・・<`ヘ´> 次回も楽しみにしています。 投稿者: HAL
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ