第35話:『鉄の馬と司令官の頭痛』
帝都の宿舎に帰り着いた私は、その日の夜、早速グレイグ司令官とセラ副官を、自分の部屋に集めた。
テーブルの上には、一枚の羊皮紙。マキナに見せた、あの『蒸気機関』を搭載した装甲車両の、より詳細な概念図だ。
「……さて、リナ。例の“寄り道”の成果とやらを、聞かせてもらおうか」
グレイグは、腕を組み、探るような目で私を見つめている。彼の隣で、セラさんも、固唾をのんで私の言葉を待っていた。
「はい。……まず、結論から申し上げます。私は、帝国軍の戦い方を、根底から覆す可能性を秘めた、新たな“力”を見つけてまいりました」
私は、テーブルの上の羊皮紙を指し示した。
「これは、『鉄の馬』の設計図です」
「鉄の馬……?」
グレイグが、怪訝な顔で図面を覗き込む。そこに描かれているのは、車輪のついた鉄の箱に、複雑なパイプや歯車が組み合わさった、奇妙な機械の絵だ。
「何だ、これは。攻城兵器の一種か?」
「いいえ。これは、馬も、人も使わずに、自らの力で動く、輸送車両です」
「……何だと?」
私の言葉に、グレイグとセラの目が、点になった。
「この“釜”で水を沸かし、発生した水蒸気の圧力で、この“筒”の中の棒を動かす。その動きを、この歯車で車輪に伝えれば、この鉄の箱は、馬よりも強く、そして、疲れを知らずに、走り続けることができます。……これが、『蒸気機関』の原理です」
私は、前世の乏しい知識を総動員し、できるだけ分かりやすく、その仕組みを説明した。
二人は、まるで御伽噺でも聞いているかのような顔で、私の話に聞き入っている。
「……リナ。あなたの言うことが本当なら、それは……」
セラさんが、声を震わせた。
「ええ。補給の概念が変わります。兵士や物資を、これまでにない速度と量で、戦場へ送り届けることができる。それは、戦術そのものを変革させる力です。……そして、いずれはこの鉄の箱に装甲を施し、武器を積めば、無敵の『走る砦』にもなり得ます」
私の壮大なプレゼンテーションに、部屋はしばらく、沈黙に包まれた。
やがて、グレイグが、重々しく口を開いた。
「……面白い。面白い話だ、リナ。夢物語としては、最高にな。……だがな」
彼の目が、鋭く光る。
「問題は、そんな御伽噺に出てくるような機械を、一体、誰が、どうやって作るというんだ? それに、どれだけの金と時間がかかるか、分かっているのか?」
来た。予想通りの、最も現実的なツッコミだ。
「その“誰か”こそ、私が見つけてきた答えです」
私は、マキナの工房での出会いを、簡潔に説明した。もちろん、彼女が転生者であることや、謎の言語で話したことは伏せて。
「……その、マキナという娘は、類稀なる才能を持つ、天才的な職人です。彼女ならば、必ずや、この『鉄の馬』を完成させることができる、と私は確信しております」
「ふん。一度会っただけの娘の才能を、お前はそこまで信じるのか」
「はい。私が、保証いたします」
私は、きっぱりと言い切った。
グレイグは、大きなため息をつき、頭をがしがしと掻いた。彼の頭痛の種が、また一つ増えた瞬間だった。
「……分かった。百歩譲って、そのマキナとやらが、本物の天才だとしよう。だが、予算はどうする? 鉄だの、釜だの、見たこともない部品だの……帝都の経理部の、頭の固い連中が、こんな正体不明の研究に、銀貨一枚だって出すとは思えんぞ」
「そこです、閣下」
私は、ここぞとばかりに、身を乗り出した。
「今回の戦勝で、私には、男爵としての報奨金が与えられるはずです。その全てを、この計画の初期投資費用として、提供いたします」
「なっ!?」
私の言葉に、グレイグもセラも、今度こそ本当に絶句した。
「リナ、あなた、正気ですか!? あれは、あなたが命懸けで手に入れた……!」
セラさんが、慌てて私を止めようとする。
「正気です。お金は、また稼げばいい。ですが、この好機は、今しかありません」
私は、真剣な目で、グレイグを見据えた。
「閣下。この計画は、極秘裏に進める必要があります。表向きは、閣下の直轄プロジェクトとして、『帝国高速輸送網整備計画』という名目で、予算の一部を申請してください。そして、その不足分を、私の報奨金で補填するのです。……これなら、誰にも怪しまれずに、計画をスタートさせることができます」
それは、私のけなげな自己犠牲をアピールしつつ、グレイグを計画の責任者として巻き込み、断れない状況を作り出す、我ながら狡猾な提案だった。
グレイグは、しばらくの間、私と、テーブルの上の設計図を、交互に、何度も見比べていた。
彼の頭の中では、猛烈な速度で、リスクとリターンが計算されているのだろう。
やがて、彼は、観念したように、もう一度、深いため息をついた。
「……ああ、もう、分かった! 分かったよ!」
彼は、降参だ、と言わんばかりに両手を上げた。
「お前のその、妙な自信に満ちた目に、俺は弱いんだ……。いいだろう、その話、乗ってやる! お前のなけなしの小遣いを、ドブに捨てることになるかもしれんが、後で泣きついても知らんからな!」
「ありがとうございます、閣下!」
私は、満面の笑みで、深々と頭を下げた。
「……はぁ。また、頭の痛い仕事が増えちまった……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、グレイグの口元は、どこか楽しそうに歪んでいた。
セラさんは、隣で、呆れたような、心配するような、しかし、どこか誇らしげな、複雑な表情で、私とグレイグのやり取りを見守っていた。
こうして、帝国軍の歴史の裏側で、一つの極秘プロジェクトが、静かに産声を上げた。
それは、一人の天才少女の夢と、もう一人の天才少女の野心、そして、それに振り回される一人の司令官の頭痛によって、動かされることになる。