第311話:『偽りの傷跡、真実の狼煙』
泥のついたままの『星影草』の根が、乱暴な音を立てて覇国の荷馬車へと投げ込まれていく。
だが、その量はあまりにも膨大だった。土を払い、荷台に隙間なく積み込んでいく作業は困難を極め、覇国の兵士たちは苛立ち混じりに舌打ちを繰り返している。
「ちっ、手間を取らせおって。いつまでかかっているのだ!」
馬上の兵団長が、忌々しげに怒声を飛ばした。そして、大人しく作業を見守っているバラクを冷たい目で見下ろす。
「……おい、族長。積み込みにはまだしばらく時間がかかるようだな。ただ待っているのも退屈だ。その間、貴様の野営地を少しばかり『視察』させてもらおうか」
それは提案ではなく、何かを隠していないか隅々まで探り立てるという強引な要求だった。
バラクは内心の緊張を微塵も見せず、恭しく頭を下げた。
「お気に召すようなものはございませぬが……どうぞ、ご自由にご覧くだされ。ああ、そうですな。私がご案内いたしましょう」
◇◆◇
バラクの先導で、兵団長と数名の護衛が野営地の中を歩き回る。
兵団長の鋭い視線は、反逆の兆候や、隠し持った物資がないか、鷹のように周囲を睨みつけていた。
やがて彼らが、野営地の外れにある治療用の天幕の近くを通りかかった時のことだ。
広場の一角には、血の滲む真新しい包帯を巻いた戦士たちが多数横たわっていた。腕を太く丈夫な布で吊るす者、足に添え木をして引きずる者。その傷は決して偽装などではない。本物の鋼の刃によって深く切り裂かれた裂傷や、強烈な打撃による痛々しい痣だった。
戦士たちは、通りかかる覇国の黒い甲冑に気づくと、痛みに顔を歪めながらも、ギリッと奥歯を噛み締め、怒りに満ちた声を口々に叫んだ。
「くそっ……! 帝国の奴らめ、次は必ず……!」
「俺たちの血で、あの白い壁を真っ赤に染めてやる……!」
「あの巨漢の将軍……次こそはこの槍で喉笛を突いてやる……!」
その迫真の怒号(と本物の重傷)を目の当たりにし、兵団長の眉がピクリと動いた。
(……なるほどな)
彼は、戦士たちの様子を油断なく観察しながら、頭の中で一つの結論を導き出していた。
(病を理由に戦を避けて引きこもっていたわけではない、か。実際は帝国軍と激しい交戦を繰り広げ、ここまで消耗していたというわけだ。……噂と違い、覇国への忠誠と戦意は、まだ十分に牙を残しているようだな)
彼は完全に誤認した。
この傷が、シュタイナー中将率いる帝国精鋭部隊との、文字通りの『実戦形式の合同演習(ガチの殴り合い)』によって生じたものだとは夢にも思わずに。
リナが仕掛けた「偽りの敗走」作戦の一環として、彼らは本気で剣を交え、本気で傷つき、そして「惜しくも撤退した」という完璧な既成事実を作り上げていたのだ。
視察を終え、荷馬車の元へ戻る頃には、兵団長のバラクを見る目は、先程までの「卑怯な老いぼれ」から、「最前線で苦労している将」へと、わずかに改まっていた。
そのわずかな態度の軟化を、老獪な古狼が見逃すはずもない。
薬草の積み込みがようやく終わりを告げようとした時、バラクは一歩前へ進み出ると、兵団長に向かって恭しく申し出た。
「隊長殿。……この老骨も、共に覇王陛下の元へ参じさせてはいただけぬでしょうか」
「あぁ? 貴様がか?」
兵団長が怪訝な顔をする。バラクは深く頭を垂れたまま言葉を継いだ。
「建国の儀の折は、先ほどご覧いただいた通り、病の蔓延に加え、帝国軍との激しい交戦の只中にあり、どうしても参じることが叶いませんでした。その非礼を、どうか覇王陛下に直接お詫びしとうございます。私自らが赴き、忠誠を示すことこそが、覇王陛下への何よりの誠意と存じます」
視察の光景を見た直後だけに、その言い訳は兵団長の胸にすんなりと落ちた。
バラクはさらに畳み掛ける。
「それに、見ての通りこの根の加工には細かなコツが要ります。陛下の薬師たちに、直接その秘訣をお伝えしとうございます。万が一にも、煎じ方を間違えて薬効を損ねては、陛下の不興を買うことになりかねませぬゆえ」
それは、兵団長にとっても悪い話ではなかった。もし薬が効かなかった場合、責任をこの老人に押し付けることができるからだ。
兵団長はバラクの顔をじっと値踏みするように見つめた後、鼻を鳴らした。
「……よかろう。陛下もお前たちの『真意』を知りたがっておられた。来い。だが、少しでも不穏な素振りを見せれば、その場で首を刎ねると思え」
許可は下りた。
バラクはアランに目配せをし、旅装を整えるためにゲルへと戻る。その背中は、これから処刑台に向かう囚人のようには見えなかった。むしろ、自ら檻の中へ飛び込む老練な狩人の足取りだった。
短い準備を終えて現れたバラクは、見送りに来た息子のアランに向き直り、皆に聞こえる声で厳かに命じた。
「アランよ。私が戻るまで、部族の指揮はお前に任せる。……帝国への警戒を怠るな。そして、傷ついた者たちをしっかりと癒やせ」
そして、兵団長には聞こえぬよう、アランの肩を抱き寄せて耳打ちする。
「……俺がいない間、『紫の袋』の薬は絶やすな。……そして、『道の駅』の完成に協力しつつ、この事について早急に軍師殿にお伝えするよう、手配しろ」
アランは父の意図を完璧に汲み、深く頷いた。
「御意に。……ご武運を」
バラクは兵団長と共に、馬上の人となった。
夕陽が、一行の影を長く、黒く荒野に引き伸ばす。
バラクは一度も振り返ることなく、堂々と馬を進めた。その背中には、もはや迷いも恐怖もない。老獪な古狼として、自ら魔窟へ乗り込む覚悟が決まっていた。




