第34話:『副官はかく語りき』
私の主であるリナは、時々、常人には理解しがたい行動を取る。
今日の「寄り道」も、まさにそうだった。
街道から外れた、薄暗い森の中。こんな場所に、一体何の用があるというのか。私がそんな疑問を抱いていると、馬車は、一軒の古びた工房の前で止まった。
『マキナの何でも工房』
看板の文字は、どこか間の抜けた印象を与える。どう見ても、帝国の『謎の軍師』様が、わざわざ訪れるような場所には思えなかった。
工房から現れたのは、油と煤にまみれた、勝ち気そうな瞳の少女だった。歳は、十代半ばといったところか。彼女の口から飛び出した「揚力」などという聞き慣れない言葉にも驚いたが、それ以上に私を驚愕させたのは、その後のリナの行動だった。
「……だって、私も、あなたと同じだから」
リナが、小さな声で、何事かを呟いた。
それは、私が今まで一度も聞いたことのない、奇妙な響きを持つ言語だった。流れるようで、それでいて、どこか硬質な響き。
その瞬間、工房の少女――マキナと名乗った彼女の顔色が変わった。警戒と好奇が入り混じった瞳が、信じられないというように、大きく見開かれる。
そして、次の瞬間。二人は、まるで十年ぶりに再会した旧友のように、あの謎の言語で、堰を切ったように話し始めたのだ。
(……何が、起こっているの……?)
私は、完全に状況から取り残されていた。
二人の会話は、全く理解できない。時折、「リョウリキガク?」「セッケイズ?」といった、単語の断片らしきものが聞こえてくるが、その意味するところは、皆目見当もつかない。
ただ、分かることが一つだけあった。
このマキナという少女もまた、リナと同じ、特別な存在なのだ、と。
リナは、この少女に、私やグレイグ閣下にも見せたことのない、素顔の、もっと奥深くにある、本当の顔を見せている。その事実に、私は、少しだけ、本当に少しだけ、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
応接室に通されても、二人の熱狂は収まらなかった。
やがて、リナが懐から取り出した一枚の羊皮紙。それを目にしたマキナの目が、ギラリと、狂気にも似た輝きを放ったのを、私は見逃さなかった。
あの瞳は、知っている。一つのことに異常なまでの情熱を注ぐ、天才だけが持つ瞳だ。それは、作戦を練っている時のリナの瞳と、どこか似ていた。
そして、リナは、とんでもないことを言い出した。
「マキナさん。あなたのその知識と技術、私に貸していただけませんか?……帝国軍が、全面的に、あなたの開発をバックアップします」
(なっ……!?)
思わず、声が出そうになったのを、必死でこらえた。
帝国軍が、この正体不明の少女の、何を開発しているのかも分からない「研究」を、バックアップする? リナの一存で、そのような重大な決定を下して良いはずがない。
私は、口を挟むべきか、と逡巡した。副官として、彼女の行き過ぎた行動を諫めるべきではないか、と。
だが、私は、何も言えなかった。
リナの横顔が、あまりにも自信に満ち溢れていたからだ。
それは、いつもの、あの『謎の軍師』としての、威厳に満ちた自信とは違う。
もっと純粋な、自分の信じるものの正しさを、微塵も疑っていない、子供のような、それでいて、何者にも揺るがすことのできない、絶対的な確信。
あの顔をしている時のリナは、これまで、一度だって間違えたことがない。
鷲ノ巣盆地での大勝利も、あの『剣聖』を罠にかけた時も、彼女は、いつもこの顔をしていた。
「……よし!乗った!」
マキナが、快活に笑う。
「面白そうじゃないか! やってやろうじゃないの、帝国軍の秘密兵器開発!」
ああ、まただ。
また、私の常識は、この小さな少女によって、いとも簡単に打ち破られていく。
私は、深いため息をついた。諦めと、そして、奇妙な高揚感が入り混じった、ため息だ。
きっと、グレイグ閣下も、同じ気持ちなのだろう。私たちは、この天才に振り回される運命なのだ。
帰り道、馬車に揺られながら、私は、隣で満足そうに鼻歌を歌っているリナに、尋ねずにはいられなかった。
「……リナ。あのマキナという少女は、一体、何者なのですか? あなた方は、何を話していたのですか?」
すると、リナは、悪戯っぽく、人差し指を口に当てた。
「それは、まだ、セラさんにも内緒です。でも、大丈夫。彼女は、帝国にとって、そして、私たちにとって、最強の味方になってくれます。……いずれ、セラさんも、空飛ぶ馬車に乗せてあげますから」
「そ、空飛ぶ馬車……?」
もう、考えるのはやめよう。
私の主は、時々、魔法よりも不思議なことを、平然とやってのけるのだから。
副官として、私は、彼女が何をしようと、その隣に立ち、彼女を守り、そして、彼女が作り出す未来を、この目で見届けるだけだ。
私は、窓の外に流れる景色を見ながら、そっと、微笑んだ。
これから、また、退屈しない日々が始まりそうだ。