第289話:『荒野の密議、狼たちの天秤』
太陽が西に傾き荒野の影が長く伸び始めた。
バラクのゲルの中は、三人の族長が発する熱気と猜疑心で息苦しいほどに張り詰めていた。中央の焚火は炊かれていないが、天幕の隙間から差し込む西日が男たちの顔に深い陰影を刻んでいる。
「――それで、バラク。お前が掴んだというその『交易路』とは、一体何のことだ」
最初に口を開いたのは、東の大部族『赤土の民』の族長ゴードだった。その声は苛立ちと期待がないまぜになって響く。隣では西の『黒森の民』の族長エルラがその表情を能面のように固くしたまま、細めた瞳で静かにバラクを見据えていた。
「まあ、そう急くな。まずは一杯どうだ」
バラクは飄々とした態度で乳酒を勧めるが、二人の族長の目は笑っていない。彼らが知りたいのはただ一つ。この絶望的な状況を覆す確かな「力」の在処だけだった。
「お前から貰った薬の効果は絶大だった。だが、それだけでは足りん。あれほどの鉄と塩、一体どこから手に入れた?」
ゴードが核心を突く。
「それは明かせんな。まだ時期尚早だ」
バラクは酒器を揺らしながらのらりくらりとかわす。
「何だと!?」
ゴードがテーブルを叩いて立ち上がる。エルラもまた懐の短剣に手を伸ばしかけた。
◇◆◇
同時刻、野営地の外れ。
ゴードとエルラが連れてきた護衛の戦士たちの前に、あのシャーマンが現れた。
彼は恨めしげな目で話し始めた。
「……お前たちも、あの『魔女』に毒されたか?」
枯れ木のような声に護衛たちが足を止める。
「何の話だ、爺さん」
「よそ者だよ。……見たこともない白い肌、銀の髪。甘い毒を子供らに配り、族長をたぶらかしおった」
シャーマンの言葉に、護衛たちの顔色が変わる。
「白い肌だと……? まさか、南の帝国の……?」
戦士たちは顔を見合わせると鋭い足取りで族長のゲルへと引き返した。
◇◆◇
ゲルの中の緊迫した空気を、外からの騒がしい声が唐突に引き裂いた。
「族長! ご報告があります!」
ゲルの幕が勢いよく開け放たれ、ゴードの護衛隊長が血相を変えてなだれ込んできた。
「バラク族長が隠している『よそ者』についてです! この村に身なりの違う怪しい女がいるとの話を聞きました!」
その言葉にバラクの心臓が早鐘を打った。だが彼は眉一つ動かさず、むしろ呆れたように鼻を鳴らした。
「白い肌、銀の髪……。南の帝国の者ではないのですか!?」
護衛隊長の追及に、ゴードとエルラが弾かれたようにバラクを睨みつける。
「バラク! どういうことだ! 説明しろ!」
「貴様、まさか我らを売って帝国と通じていたのか!」
怒号がゲルの中を震わせる。絶体絶命の窮地。
だが、バラクは動じなかった。彼はゆっくりと酒を呷り空になった器をテーブルに置くと、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「……馬鹿を言え。この荒野のど真ん中に帝国の人間がどうやって入り込むというのだ。空でも飛んで来たと言うのか?」
その落ち着き払った態度に、ゴードたちが一瞬たじろぐ。バラクは畳みかけるように嘯いた。
「白い肌だと? わしの部族には肌の白い娘などごまんといるわ。銀の髪? 老婆の見間違いだろう」
「だが、シャーマンが!」
「あの老人の世迷い言を真に受けるとはな。ゴード、お前のところの兵は随分と臆病風に吹かれているようだな」
バラクは挑発的に笑い飛ばしながらも、腹の中で冷や汗をかいていた。
(……まずいな。このまま押し通すのは無理がある)
彼は視線を巡らせ、控えていたアランと目を合わせた。その瞳の奥だけで、「時が来た」と告げる。
「――まあ、いい。疑うならば疑うがいい。だがその前に」
バラクは手を叩きアランに命じた。その声は客人の無礼を許す寛大な主人のようだった。
「アランよ。……『追加の茶と酒を全員分、急ぎ用意せよ』」
その言葉の意味を理解したアランの背筋が伸びる。判断を仰げ。軍師に委ねよ、と。
「……酔い覚ましの茶も、たっぷりとな」
バラクは皮肉っぽく付け加えた。
「はっ!」
アランは短く応じると、脱兎のごとくゲルを飛び出していった。
◇◆◇
その報せは風のように私たちの元へ届いた。
アランが顔面蒼白で私たちの隠れるゲルに駆け込んできたのだ。
「リナ殿! 父があなたに伝えて判断を仰ぐようにと! シャーマンの告げ口により護衛たちにあなた方の存在が露見しかけています!」
アランは息を切らせる。
「父はのらりくらりと躱していますが……!」
彼の言葉を、私は静かに遮った。私は即座に立ち上がると懐から取り出した銀の仮面を顔につけ、セラに鋭い視線を送った。
「セラさん。シュタイナー中将へ。『今すぐ全軍でこの野営地を完全に包囲、封鎖せよ』と」
「しかし、リナ様!」
「包囲、ですか!?」
セラさんとアランが驚愕に声を上げる。
「急いで! 今が潮目です! これを逃せば全てが水泡に帰す!」
セラさんは私の意図を即座に察し、『囁きの小箱』を起動させた。
私は振り返り、狼狽するアランに厳しい口調で告げた。
「アランさん。あなたの部族を帝国兵が囲むことを許可していただきます」
「なっ……!?」
「彼らをこのまま帰せば、バラク族長が帝国と通じているという情報がクルガンに漏れる。そうなればあなた方三部族は、そう間を置かずに血の海と化すでしょう。それを防ぐには彼らをここで完全にこちらに取り込むしかない。……分かりますね?」
その冷徹な論理に、アランは言葉を失った。苦渋の表情で彼は問う。
「……もし、我らを裏切るようなことがあれば……」
「その時は、この命、差し上げましょう」
きっぱりとした私の言葉に、アランはついに覚悟を決めた。
「ではバラク族長に伝えてください。『火急の事態ゆえ、これより軍師が全ての盤面を動かす』と」
私の声は絶対的な覇気を宿していた。
「そして、もう一つ。時間稼ぎをお願いします。何としてでも包囲が完了し私が到着するまで、彼らをその場に引き止めるようにと」
アランは弾かれたようにゲルを飛び出していった。




