第29話:『常識外れの訓練と指揮官の戸惑い』
『影の部隊』が発足してから、二週間が過ぎた。
ライナーとその部下たちが拠点とする古い監視砦は、帝国軍の主駐屯地から、馬で半日ほどの距離にある。私は、彼らの訓練の進捗を確認するため、グレイグとセラを伴って、初めてその砦を訪れた。もちろん、あの悪趣味なほど豪華な輿に乗って。
砦に到着すると、ライナーが、引き締まった表情で私たちを出迎えた。彼の後ろには、以前とは比べ物にならないほど、精悍な顔つきになった部下たちが整列している。
「軍師殿。お待ちしておりました」
「……訓練の成果、見せていただきましょうか、ライナー隊長」
私は、輿の中から、威厳を保った声で応じた。
私たちが案内された訓練場では、にわかには信じがたい光景が繰り広げられていた。
兵士たちが、泥水の中を匍匐前進したり、丸太を担いで傾斜を駆け上がったりしている。それは、騎士の誉れや、華麗な剣技とは無縁の、ひたすらに肉体を酷使する、地味で、過酷な訓練だった。
「……リナ、これは一体……?」
グレイグが、怪訝な顔で私に尋ねる。
「基礎体力の向上です。これから彼らに課す任務は、一瞬の油断が死に繋がるものばかり。どんな状況でも、平常心を保ち、任務を遂行できる強靭な精神力と、それを支える体力が必要不可欠ですから」
私が考案した訓練メニューは、前世の知識――特殊部隊のドキュメンタリーや、サバイバルゲームの知識などを、この世界の常識に合わせてアレンジしたものだ。
次に、私たちは射撃場へと向かった。
そこでは、兵士たちが弓矢ではなく、小さな手投げナイフや、吹き矢のようなものを使い、遠くの的を正確に射抜く訓練をしていた。
「……これは?」
今度は、セラが驚きの声を上げる。
「音を立てずに、敵を無力化するための技術です。剣戟の音は、敵にこちらの居場所を知らせるだけ。影は、音もなく、その任務を遂行せねばなりません。そして、必ず生きて帰ってこなくてはなりません。何者にも捕らえられない、どんな状況からでも生還できる走力と持久力が、絶対に必要です」
そして、極めつきは、砦の一室で行われていた「座学」だった。
兵士たちは、机に向かい、私が書き起こした羊皮紙を、必死の形相で暗記している。
その羊皮紙に書かれていたのは、暗号理論の基礎、周辺諸国の地理と風俗、さらには、貴族社会の作法や、商人の間で使われる隠語に至るまで、多岐にわたっていた。
「……リナ、お前、こいつらを何にするつもりだ」
グレイグが、呆れたような、しかし感心したような声で言った。
「申し上げたはずです。私の、手足に、と」
訓練の視察を終え、私はライナーを個室に呼び出した。
「……何か、不満でも?」
輿の帳越しに尋ねると、ライナーは、複雑な表情で首を横に振った。
「いえ……ただ、戸惑っております。軍師殿の訓練は、我々がこれまで受けてきた、王国軍の……いや、この大陸の、いかなる軍事教練とも、全く異なるものですから」
彼は、正直な気持ちを吐露した。
「我々は、騎士としての誇りを教え込まれてきました。正々堂々と、敵と向き合うことこそが、軍人の誉れである、と。しかし、あなたの教えは、その真逆を行く。隠れ、欺き、騙し討ちをすることさえ、是とする……」
「それが、私の戦い方だからです」
私は、きっぱりと答えた。
「誉れで、国が守れますか? 誇りで、兵士の命が救えますか? 私は、そうは思いません。勝つこと。生き残ること。それ以上に優先されるべきものなど、この戦場には存在しない。……私のやり方が、騎士の道に反するというのなら、今からでも、この話はなかったことに」
「――いえ!」
私の言葉を遮るように、ライナーが力強く言った。
「……目が、覚めました。軍師殿。私は、あなたに完敗したあの日から、ずっと考えていた。なぜ、私は負けたのか、と。それは、私が、あまりにも『常識』に囚われすぎていたからだ。……あなたの戦い方こそ、この『剣聖』や『聖女』といった、常識外れの“力”が支配する、新たな時代の戦い方なのかもしれない」
彼の目に、迷いはもうなかった。
「軍師殿。我々は、喜んで、あなたの『影』となりましょう。あなたの望む、どんな非情な任務であろうと、この身命を賭して、遂行することをお約束します」
その力強い誓いの言葉に、私は満足して頷いた。
(……本当は、前世の受け売り知識ばかりなんだけどな……)
そんなことは、おくびにも出さずに。
その日の帰り道。
グレイグが、移動用の馬車の隣を馬で並走しながら、私に言った。
「……リナ。お前、本当に面白い奴だな。あいつら、完全に、お前に心酔しちまったじゃねぇか」
「別に。私は、ただ、必要なことを教えただけです」
「ふん、どうだか。……まあ、いい。あの『影の部隊』が、どんな牙を見せてくれるか、楽しみにしてるぜ」
私の手によって産み出された、異端の部隊。
彼らが、初めてその真価を発揮する日は、もう間近に迫っていた。