第28話:『影の部隊、誕生す』
帝都から、皇帝陛下の御印が押された返書が届いたのは、それからわずか数日後のことだった。
グレイグの執務天幕に集められた私、セラ、そして、緊張した面持ちで待つライナー・ミルザとその部下たち。
グレイグは、芝居がかった様子で羊皮紙を広げると、その内容を読み上げた。
「――『謎の軍師』の具申を、全面的に承認する。亡命者ライナー・ミルザ以下数十名の身柄は、全て軍師殿に預けるものとする。彼らによる新たな部隊の編成、及びその運営は、軍師殿の裁量に一任する。皇帝ゼノン・ガレリア」
その言葉を聞いた瞬間、ライナーとその部下たちの目から、張り詰めていた緊張の糸が、ふっと解けたのが分かった。
「……おお……」
「我々は……認められたのか……」
彼らは、互いの顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべている。
私は、輿の中から、静かに声をかけた。
「ライナー大佐。……いえ、これからは、ライナー隊長、とお呼びすべきでしょうか。約束通り、あなた方の身柄は、私が勝ち取りました」
「……軍師殿」
ライナーは、再び私の輿の前に進み出ると、今度は迷いなく、片膝をついて騎士の礼を取った。
「このライナー・ミルザ、この命、あなたに捧げます。この御恩は、必ずや、戦場での働きでお返しすることを、ここに誓います」
彼の後ろで、部下たちも一斉に、同じように膝をついた。その光景は、絶対の忠誠を誓う、騎士叙任の儀式のようだった。
「……ただし」
私は、厳かな雰囲気をあえて断ち切るように、言葉を続けた。
「あなた方には、当面、我々の駐屯地とは別の場所で暮らしていただきます」
「……と、おっしゃいますと?」
ライナーが、訝しげに顔を上げる。
私は、彼の気持ちを察しながら、はっきりと告げた。
「ライナー隊長。頭で理解することと、心で受け入れることは、全く別の問題です。昨日まで殺し合っていた相手を、今日から仲間として、すぐに受け入れられるほど、ここの兵士たちは器用ではありません。それは、あなた方も同じでしょう?」
私の言葉に、ライナーはぐっと押し黙った。彼の部下たちの中にも、気まずそうに視線を逸らす者がいる。
「無用な軋轢は、互いにとって不幸しかもたらしません。まずは、互いの存在に、時間をかけて慣れる必要があります。……あなた方には、ここから少し離れた、古い監視砦を拠点として使っていただきます。生活に必要な物資は、全てこちらから供給いたしますので、ご安心を」
それは、彼らを隔離するようでありながら、同時に、彼らの尊厳と安全を守るための、最大限の配慮だった。
ライナーは、私の意図を即座に理解したのだろう。彼は、深く頷いた。
「……軍師殿の、ご配慮。痛み入ります。我々は、その決定に従いましょう」
◇◆◇
彼らに指示を出してからグレイグとリナは執務室に戻ってきた。
「ふん。相変わらず、変なところで気が回る小娘だ」
やり取りを見ていたグレイグが、感心したように、しかし、少しだけ不満げに口を挟んだ。
「だがな、リナ。そいつらをどう使うつもりだ? ただ遊ばせておくわけにはいかんだろう」
「もちろんです」
私は、自信を持って答えた。
「彼らに与える最初の任務は、『訓練』です。それも、帝国軍のそれとは全く異なる、特殊な訓練を、私が直々に課します」
「訓練だと?」
「はい。彼らには、私の手足となってもらいます。隠密行動、潜入、情報収集、そして、時には暗殺も……。私の知略を、戦場で寸分違わず体現するための、影の部隊として、生まれ変わっていただくのです」
こうして、帝国軍の正式な記録には存在しない、たった一つの部隊が産声を上げた。
軍師に絶対の忠誠を誓う、亡命者たちで構成された、特殊遊撃部隊。
彼らは、古い監視砦を拠点とし、昼夜を問わず、私の考案した過酷な訓練に明け暮れた。
帝国の兵士たちは、遠くの砦で何が行われているのかを知らず、ただ「あの亡命者たちは、軍師様の特別な任務に就いているらしい」と噂するだけだった。
少しずつ、しかし確実に。
帝国軍という組織の中で、昨日までの敵であった彼らの存在が、ゆっくりと受け入れられていく。
そして、その影の部隊が、初めてその牙を剥くことになる次の戦場で、王国軍は、自らが捨てたはずの「狼」に、喉笛を噛み切られることになる。