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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 書記官リナ、8歳です  作者: 輝夜
序章:『勘違いエリートコースの果ては、地獄の最前線でした』
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第3話:『皇帝陛下の布告と一条の光』


噂は風に乗って、私のあずかり知らぬところで大きく、そして色鮮やかになっていった。「ゴードン爺さんを手玉に取った神童」は、いつしか「古代語を解読し、失われた魔法を見つけ出す賢者」にまで尾ひれがついていたが、私の日常が劇的に変わることはなかった。せいぜい、市場の商人たちがパンの耳や傷物の果物を「リナちゃんに」と言ってくれるようになったくらいだ。まあ、それだけでも、孤児院にとっては大きな助けだったけれど。


そんなある日、帝都の空気を震わせるように、広場の鐘が高らかに鳴り響いた。弔いの鐘ではない。布告を知らせる、希望と不安が入り混じった音だ。

広場に駆けつけると、すでに黒山の人だかりができていた。人々は皆、掲示板に張り出された一枚の巨大な羊皮紙を、食い入るように見つめている。


「帝国臣民に告ぐ! 存亡の危機に瀕した今、帝国は全ての臣民の力を必要としている! よって、身分を問わず、帝国に貢献する才能ある者を広く登用する!」


役人が張り上げる声が、広場のざわめきを切り裂いた。

皇帝陛下の名で出されたその布告は、劣勢の帝国が打つ、まさに起死回生の一手だった。貴族も平民も関係ない。商人だろうが農民だろうが、孤児だろうが、帝国のために働く意志と技能さえあれば、軍や政府の要職に就けるというのだ。人々はどよめき、ある者は希望に顔を輝かせ、ある者は「今さら何を」と冷めた視線を送っていた。


その布告の中で、ひときわ大きく、そして力強い書体で書かれた一文が、私の運命を決定づけた。


『――特に、敵国アルカディア王国語、及び周辺諸国の言語を解する者を、破格の厚遇にて求む』


(……これって、もしかして)


私の小さな胸が、トクン、と大きく跳ねた。私の、あの地味で役立たずだと思っていたチートが、今、この国に求められている。それは、紛れもない事実だった。


そして、運命はあまりに早く、私の元を訪れた。

その日の午後。孤児院の古びた門を、重々しい軍靴の音が叩いた。シスターが恐る恐る扉を開けると、そこには陽光を背に受け、場違いなほど豪奢な軍服を着た男性が立っていた。胸元には、中央から派遣されたエリートであることを示す鷲獅子の徽章が鈍く輝いている。


「この孤児院に、リナという少女がいると聞いた。市井の噂ではあるが……神童と名高い、語学の天才がいると」


徴募官と名乗った男は、冷徹な目で私を値踏みするように見つめた。その瞳には、帝国の切迫した状況を背負う者の焦りと、噂に対する半信半疑の色が浮かんでいる。

院長先生が、さっと私の前に立ち、守るように両腕を広げた。

「リナは、まだほんの子供です。軍がお探しになるような者ではございません」

「それは、こちらが判断することだ」


徴募官は院長の抵抗を意にも介さず、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。それは明らかに、戦場で使われるものだった。ところどころに血の染みのようなものさえ付着している。

「ならば、これを読んでみたまえ。敵から鹵獲した指令書や、捕虜の書簡が混じっている」


渡された羊皮紙は、インクと、そして鉄錆のような匂いがした。

そこには、アルカディア王国語はもちろん、私が知らないはずの北方部族の象形文字、東の商業組合で使われる隠語、さらにはそれらが意図的に混ぜ合わされた、複雑な暗号までが記されていた。

普通なら、八歳の子供どころか、帝国の碩学ですら解読に何日もかかるだろう。

だが、なぜだろう。

そのカオスにしか見えない文字列が、私の頭の中では、まるでパズルのピースがはまるように、次々と意味のある文章へと組み変わっていく。これは、あの絵本を読んだ時と同じ感覚だ。


私は一度、深く息を吸い込んだ。そして、か細い、しかし凛とした声で読み上げ始めた。

「……これは、王国語ですね。『北の“狼の森”を抜け、十三日目の満月の夜、我が軍の第三補給部隊を奇襲すべし』。この地図記号は……北方民の言葉で『毒沼あり、迂回せよ』。そして、この一見意味のない数字の羅列は、東の商業ギルドの符丁です。翻訳すると、『取引価格は金貨三百枚。不足分は“奴隷”で補填』……と」


私が淀みなく、淡々と軍事機密を読み解いていくと、徴募官の疑いに満ちた目はみるみるうちに驚愕へと変わり、最後には燃えるような狂喜の光を宿していた。

院長先生は、私が口にした「奴隷」という言葉に、小さく悲鳴を上げて口元を覆った。


「素晴らしい……! まさに神の御業! 噂は真実だった! いや、噂以上だ!」

徴募官は興奮を隠そうともせず、その場で私を「帝国軍所属・特務書記官」として正式にスカウトすると宣言した。

「お待ちください!」

院長先生が血相を変えて叫ぶ。「まだ八つの子供です! 戦争に関わることなど、到底できません!」

しかし、徴募官は冷徹に、だが静かに首を振った。

「戦場には行かせん。安全な後方の司令部で、捕虜の尋問記録や、このような暗号文書の解読を手伝ってもらうだけだ。院長、これは命令ではない。だが、考えてみろ。これはこの子にとって、孤児という身分から抜け出し、その類稀なる才能を国家のために活かす、唯一無二の機会だ。このまま才能を埋もれさせ、一生、貧しい暮らしをさせることこそ、この子にとっての不幸ではないのか?」


その言葉は、鋭い刃のように、院長先生の、そして私の胸に突き刺さった。

その夜、院長先生は一晩中、神に祈り、泣き、そして悩み抜いた。

翌朝、私の前に現れた彼女の目は真っ赤に腫れていたが、その表情には、悲壮な決意が浮かんでいた。彼女は私の小さな手を、震える両手で強く握りしめた。

「……リナ。あなたの才能は、こんな小さな孤児院に収まるものではありませんでした。……行きなさい。そして、あなた自身の幸せを、その手で掴むのですよ」


涙ながらに私を送り出すことを決めた院長の顔を見て、私は強く、強く決意した。

絶対に、偉くなって、幸せになってみせる。そしていつか、この孤児院にいるみんなが、お腹いっぱいご飯を食べられるように、必ず恩返しをしてみせるんだ、と。

それは、三十路OLの打算と、八歳少女の純粋な願いが混じり合った、私の生まれて初めての、本気の誓いだった。


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