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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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茶話会:『光の中の影』

 

 アランが死んだ夜から、三日が過ぎた。

 王都の喧騒から隔絶された、古びた教会の地下聖堂。ひやりとした石の空気が、蝋燭の揺れる灯りを静かに包んでいる。アラン――いや、今はまだ名もなき彼は、ここにいた。


 彼が身を寄せるこの場所は、『影の部隊』が王都に確保していた数ある隠れ家の一つ。クラウスは彼に最低限の食料と水、そして数冊の書物だけを残し、「軍議が終わるまで、決してここを動くな」とだけ言い残して去っていった。

 それは彼の身柄を保護するための蟄居であり、同時に、彼が自らの過去と決別し、未来を選ぶための、孤独な時間だった。


 最初の夜は、後悔に苛まれた。

 家族の顔が浮かび、温かい食卓の記憶が胸を締め付けた。もう二度と会えない。その事実が、鉛のように心を重くする。本当にこれで良かったのか、と何度も自問した。


 二日目の夜は、怒りに震えた。

 自分を、そしてこの国をここまで追い詰めた腐敗した貴族たちへの、燃えるような憎悪。そして、彼らを打倒する力を持ちながら、何もできなかった自分への無力感。石の壁を、血が滲むまで何度も殴りつけた。


 そして、三日目の夜。

 彼の心は、嵐が過ぎ去った後の凪のように、静まり返っていた。

 蝋燭の灯りの下で、彼はクラウスが置いていった書物を読んでいた。それは帝国の歴史書や、軍師リナが示したとされる戦術論の写しだった。そこに描かれた合理的な思考と、民を第一に考える思想は、彼がこれまで貴族社会で学んでいたものとは全く異なっていた。


(……この方ならば、本当に国を変えられるのかもしれない)

(そして俺は、そのための捨て石となる……。いや、礎となるのだ)


 壁の向こうから、遠いファンファーレの響きと、地鳴りのような歓声が微かに届いてくる。新王の戴冠式が始まったのだ。

 彼は静かに本を閉じ、立ち上がった。そして、地下聖堂の隅に置かれた祭壇の前で、静かに膝をつく。


 彼は祈った。

 新しい王の治世が、光に満ちたものであるように。

 愛する家族が、平和な日々を送れるように。

 そして何よりも――。


「――どうか、私に力を」


 絞り出した声が、冷たい空間に響く。

「名もなき影として、この国を、民を、そしてあの軍師殿をお守りできるだけの、力を」


 その時、地下聖堂の重い扉が軋み、一つの影が姿を現した。

 ライナー・ミルザだった。

 彼は、新たな決意の光を宿した若者の前に立つと、静かに一枚の黒い仮面を差し出した。


「……覚悟は、できたようだな」

「はっ」


「……ならば、その覚悟が本物か、確かめる時だ」

 ライナーは仮面を一旦懐にしまうと、アランに告げた。

「軍師殿から、新たな指示が届いている」


 ◇◆◇


 翌日。

 王宮の、人目につかない一室で、密やかな会談が持たれていた。

 新王アルフォンスが、緊張と決意の入り混じった顔で、背筋を伸ばして立っている。その傍らには、衛士長としてライナーが控えていた。

 彼らの前に座るのは、昨日までの貴公子の面影を消し、影の部隊が用意した簡素な黒衣を纏ったアラン。


「……そなたが、アランか」

 アルフォンスの声は静かだが、王としての重みが宿っていた。

「ライナーから事情は聞いた。……礼を言う。そなたの勇気が、この国を救った」


 その時、テーブルに置かれた小さな黒い箱が、ぶぶっ、と短く震えた。ライナーがボタンを押すと、変声機を通した、しかし紛れもない軍師リナの声が響き渡る。


『……陛下。そして、アラン殿。短い時間ですが、面会の場を設けました』


 カーテンを固く閉ざした馬車が、王都の裏通りを抜け、男爵家の屋敷の小さな通用門の前で静かに止まった。

 アランの心臓が、肋骨を叩くように大きく鳴る。

 門が開き、父と、母と、そして幼い妹が姿を現した。その顔には、心配と、安堵が刻まれている。


「アラン……!」


 涙ながらに駆け寄り、抱きしめ合う家族。

 それは、軍師の温情によって許された、あまりに短く、あまりに尊い再会の時間だった。

 やがて、涙を拭ったアランは、家族の前で、改めて深く膝をついた。


「父上、母上……。私は、もう、あなた方の知るアランではありません。私は、新しい道を選びました」

 彼の声に、震えはなかった。

「私は影に生き、陛下を、そしてこの新しい王国をお支えいたします。……これは、他の誰でもない、私自身の意志です。私の選んだ、道なのです」


 家族は、悲しみに顔を歪めながらも、その揺るぎない覚悟を宿した瞳を見て、全てを理解した。

 父親が、震える手で彼の肩に手を置く。

「……お前が、自らの意志で選んだ道であるならば。……この国の、そして陛下のためであるならば……。父として、それを誇りに思う。……行ってこい、アラン」


 家族からの、力強い後押し。

 彼はもはや、軍師の筋書きの上で動く駒ではなかった。

 自らの意志で、自らの道を歩み始めた、一人の男だった。


 ◇◆◇


 アランが名もなき影として旅立った後。

 賢者の庵で療養を続けていた私の元へ、彼が残した「誓約書」が届けられた。そこには、軍師への絶対の忠誠と、影として生きる覚悟が、力強い筆跡で記されている。


 私はその羊皮紙を手に取り、ベッドの上で深く、長い溜息をついた。

(……本当に、これで良かったのだろうか……)


 熱はまだ完全に引ききっていない。朦朧とする思考の中、罪悪感が冷たい霧のように胸に立ち込める。一人の若者の未来を、私は自分の都合でねじ曲げてしまった。彼を暗殺や謀略といった、血塗られた道へ進ませてしまうのか。


 その時、枕元に置いてあったクラウスからの報告書の束に、ふと目が留まった。アランの人物調査に関する、詳細な資料だ。私はそれを、改めてゆっくりと読み返し始めた。


『……幼少より書斎にこもり、歴史書や法学書を読み耽る』

『……領地の農民とも分け隔てなく接し、収穫祭では共に汗を流すことも』

『……妹君のため、夜なべして木馬を彫る姿を、使用人が度々目撃……』


 そこに描かれていたのは、諜報員や暗殺者とはあまりにもかけ離れた、一人の誠実で、心優しい青年の姿だった。彼の正義感と貴族としての教養は、確かに国を憂い、行動を起こす原動力となった。だが、その本質は「破壊」ではなく、「構築」に向いているのではないか?


(……もったいない)


 思わず、声が漏れた。

 そうだ。彼のような人材を影の1人として使うのは、あまりにもったいない。

 政変後の王国で、彼の立場は極めて微妙だ。「帝国に寝返った裏切り者」の汚名は、そう簡単には消えないだろう。貴族社会への復帰は、いばらの道だ。


 ならば――。


 私の頭の中で、全く新しい盤面が立ち上がった。

 帝国でも、王国でもない、第三の場所。

 古いしがらみも、過去の汚名も関係ない、全く新しい社会。

『経済特区』。


(……そうだ。彼には、そっちの方が向いている)


 体を動かすことよりも、その倫理観と熱意、そして民を思う心を活かせる場所。古い社会を壊すための駒ではなく、新しい社会を創るための、中心人物として。

 熱に浮かされた頭が、一つの最適解を導き出した。それは、私にとっても、彼にとっても、そして未来の大陸にとっても、最善の一手となり得る。


「……セラさん」

 私は、枕元の『囁きの小箱』を手に取り、傍らに控えるセラに告げた。

「ライナー隊長に、伝言を。……アラン殿の訓練内容を、変更します、と。……それと、グラン宰相とマルコ殿にも、根回しをお願いします。そちらに、新しい『補佐官』が一人増えますから、と」


 ◇◆◇


 数ヶ月後。

 帝国と王国の国境地帯に生まれつつある新しい都市、『自由都市』。

 そこは、まだ土埃と木材の匂いが満ち、槌音と人々の怒声が絶え間なく響く、巨大な建設現場だった。

 その熱気の中心で、一人の若者が図面の束を抱え、帝国人、王国人、ヴェネーリア人の職人たちが入り乱れる中を駆け回っていた。

 アラン。

 彼は今、新生王国のグラン宰相から正式に派遣された「王国側連絡官補佐」という肩書で、この場所にいた。


 彼はもう、ただの諜報員候補ではない。リナが未来に見据える『経済特区』、その運営を担うための、次世代のリーダー候補として、ゼロから都市が創られていく様を、その肌で学んでいたのだ。

 日中はマルコ・ポラーニ総督の秘書として、ヴェネーリア流の商魂と交渉術を目の当たりにし、夜は帝国の財務官カイ・シュルツェの元で、国を動かす経済と法の理論を叩き込まれる。そして、視察に訪れるマキナからは、常識外れの未来技術と、それを形にするための工学の基礎を学んだ。

 理論だけではない。法が整備され、商業が生まれ、インフラが整っていく様は、彼にとって何よりの学びの場となった。


 リナが彼に「影」として生きる覚悟をさせたことで、彼は全てのしがらみから解き放たれた。そして、それを踏まえたうえで、彼には自らの手で光の世界を創り出すという、より大きな役割を与える。

 それは、病床で苦しみながらも見い出した、最も効率的な人材活用であり、かつ彼への最大限の配慮だった。


 彼は、時折建設中の都市の一番高い場所から、故郷のある方角を眺める。

 だが、その目に悲壮感はない。

 いつか、自分が創り上げたこの新しい街に、胸を張って家族を招待する日を夢見て。


少しだけ更新滞るかもです。

本流の続き、並びに次章、その先が、ほぼ固まって来ましたので、そちらの準備に取り掛かります。


といいつつ?何かアップしそうな気はします(笑)

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 焦燥と固い決意!! そして適材適所の場へ。 陽の当たる場所で着実に地歩を固めて家族と共に暮らせる日が来るといいですね^^ 次回も楽しみにしています。
 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です 茶話会:『光の中の影』」拝読致しました。  アラン、しばらく待機。心の準備とか、必要でしょ?  一日目。あれ、俺、こ…
そろそろ本流が書きたくなってきた頃なのでしょうか? 書きたいときに書くのが一番です でも インフルが猛威を振るっているので体にだけは気を付けてくださいね
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