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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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第235話:『皇子からの密書』

 

 車輪が刻むわだちは、工事の喧騒を遥か後方へと置き去りにしていた。乾いた土煙を巻き上げながら、北を目指す数台の馬車。その規則的な揺れに身を任せ、私は過ぎゆく景色をただ眺めていた。


 陽が山の稜線に落ち、空が茜色から深い藍へと移ろう頃、私たちの隊列は街道沿いの宿場町にたどり着いた。馬のいななきと人々のざわめきが混じり合う中、今宵の宿となる『木漏れ日亭』の看板が、ランタンの灯りに優しく揺れている。木の香りが漂う清潔な宿屋の食堂は、旅人たちの活気と、湯気の立つ猪肉のシチューの匂いで満ちていた。


 ランタンの柔らかな光がテーブルを照らす中、シチューに匙を伸ばした、その時だった。宿の扉が軋み、新たな客の影が食堂の喧騒をわずかに凪がせた。


「おや、これは奇遇ですな」


 その声に顔を上げると、見覚えのある巨躯がそこに立っていた。熊のように大きな体。無理やり口角を引き上げ、頑張って作りました、と言わんばかりの笑顔。ポルト・アウレオで警護されていた海兵さんだ。小さな子供ならきっと泣き出すに違いないその引き攣った笑顔に、私は内心でため息をついた。

 その背後には、旅装でも気品を隠せないユリウス皇子と、見慣れない二人の若者が緊張した面持ちで控えている。


 偶然。あまりに完璧に仕組まれた、茶番じみた偶然だった。

 宿の主人が、待ってましたとばかりに駆け寄り、テーブルを繋げて即席の大きな食卓を用意する。その手際の良さが、全てを物語っていた。


 ◇◆◇


 その頃、宿屋の裏手。馬小屋の深い影の中。

 藁の匂いと馬の寝息だけが満たす暗がりに、ゲッコーさんが音もなく姿を現した。


「……ご苦労」

「オウッ! こちらこそ! して、そちらの『お嬢様』のご様子は?」

 ダリオの問いに、ゲッコーさんは短く答える。

「……問題ない。お前たちの部隊もだ」

 ゲッコーさんの視線が、ダリオの背後に控える男たちへと注がれる。アクア・ポリスで魚屋や恋人を演じていた海兵たちだ。彼らは互いに無言で頷き合う。静かな面通しだった。


 ◇◆◇


 ぎこちない空気が、食卓を支配していた。

 カトラリーが皿に触れる音だけが、やけに大きく響く。

 私は努めて平静を装い、「書記官」として今回の旅の概要をユリウス皇子たちに説明した。

「……まずは、私の故郷であります聖リリアン孤児院に数日立ち寄り、その後、北壁の砦へ向かう予定です」


「孤児院に、数日だと?」


 すぐに反応したのは、騎士見習いのゼイドと名乗った青年だった。彼は眉根を寄せ、ナイフを皿にカツンと置く。その実直そうな顔つきに、隠しきれない不満が浮かんでいた。

「我々は北部の『視察』という勅命を帯びているはず。そのような場所に立ち寄るのは、時間の無駄ではないか?」

 その口調には、年下の、しかも孤児院出の書記官へのあからさまな侮りが滲んでいた。


 隣で優雅にパンをちぎっていたレオンも、唇の端に皮肉な笑みを浮かべて言葉を添える。

「……随分と、悠長な旅程ですな。我々は物見遊山に来たわけではないのですが」

 彼の言葉は貴族らしく丁寧だが、その知的な瞳はこちらの器量を試すように、冷ややかに細められていた。


「い、いや、二人とも! それは……!」

 ユリウス皇子が慌てて割って入ろうとする。だが、それより早く、私の声がその場の空気を凍てつかせた。


「ええ。ですから、もしお急ぎでしたら、皆様はここで別行動を取られ、先の街で落ち合うという形でも構いませんが」


 私はシチューを一口運び、ゆっくりと飲み込んでから、顔を上げた。私の声は、熱気立つ食堂の空気を切り裂くほどに、静かで、冷たかった。一切の媚びも揺らぎもない、子供らしからぬその圧力に、レオンとゼイドは一瞬言葉に詰まる。


「――いや!」

 ユリウス皇子が、ここぞとばかりに声を張り上げた。

「我々も、ぜひ同行させていただきたい! 帝国の未来を担う者として、民の暮らし、そして孤児院の現状を知ることは、何よりも重要な学びとなるはずだ!」


 皇子の鶴の一声。

 レオンとゼイドは不満を顔に滲ませながらも、「……殿下が、そうおっしゃるのであれば」と、渋々引き下がるしかなかった。私と二人の間に、早くも見えない火花が散る。


 ◇◆◇


 食事が終わり、一同が部屋へと向かう廊下の片隅。軋む床板の音が響く薄暗がりで、ユリウス皇子が私を呼び止めた。レオンとゼイドは、不思議そうな顔をしながらも、皇子の目配せに従い先へと進んでいく。


 二人きりになったところで、ユリウス皇子は周囲を窺うように視線を一度巡らせ、それから意を決したように懐へ手を入れた。取り出されたのは、皇帝陛下の印璽で固く封蝋された一通の書簡。緊張で強張る指先が、それをそっと私に差し出した。

「父上からだ。……これを読んで、判断してほしい、と」


 私はその場で封蝋を指で破った。ランタンの揺れる光が、皇帝直筆の、力強くも温かみのある文字を照らし出す。


『レオンとゼイドは、余が選び抜いた信頼に足る若者である。彼らであれば、そなたの真の姿を明かしても差し支えあるまいと考える。

 されど、最終的な判断はそなたに一任する。もし、そなたがそれを望まぬのであれば、ユリウスの同行は断念させよう。

 しかし、彼らの成長を思うならば、どうかこの若者たちを受け入れてやってはくれまいか。』


 書簡から顔を上げると、私は静かに息を吐いた。皇帝と皇妃の、どこまでも過保護な愛情が、その格調高い文面から痛いほど伝わってくる。

(……どうせ、帝都の『影』には、とうに知られていることでしょうし)


 私は観念して、ユリウス皇子に向き直った。

「……分かりました。お引き受けいたします」

 そして、私は『天翼の軍師』としての顔で、若き皇子に条件を提示する。その瞬間、私の纏う空気が書記官のそれから、戦場を支配する者のものへと変わった。


「ただし、ユリウス皇子。彼らに私の正体を明かすのは、そうせざるを得ない最後の瞬間まで待ちます。それまでは、私も、あなたも、この『偶然の旅』を演じ続けましょう。……よろしいですね?」


 有無を言わせぬ光を宿した瞳に見据えられ、ユリウス皇子はごくりと喉を鳴らし、力強く頷いた。

「ああ、分かった。……よろしく、頼む。リナ殿」


 力強く頷く皇子の背中を見送り、私は自室へと戻った。窓の外では、月が静かに旅路を照らしている。


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― 新着の感想 ―
無駄、ではありません。無駄とは余裕であり、心のゆとりです。 無為ならば必要のない無駄となりますが、必要ある無駄というものもあるのです。 若い人はせっかちで、心のゆとりがない。そう、がつがつせずとも、心…
更新ゆっくりとおっしゃっていたのに連投ありがとうございます♪ ユリウス王子には上に立つ者としての、レオンとゼインには側近としての試練の旅ですね 上手くいけばいいのですが、リナが半分諦めモードで対応して…
更新お疲れ様です。 ゼイド、死亡フラグ?回避!? と思いきや、これからの道中、何回立てるのか?ww なんかセラとヴォルフラムの堪忍袋の緒が切れての鉄拳制裁が先かも(^^;; 次回も楽しみにしていま…
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