第233話:『荒野のティータイムと未来の礎』
帝都から続く整備された街道を外れ、私たちの馬車は轍もまばらな荒野へと足を踏み入れた。
車窓を流れる景色から色彩が消え、乾いた風が吹き抜けていく。枯れ草がカサカサと虚しい音を立て、地平線の彼方まで、ただ起伏の少ない茶色の大地が広がっていた。ここが、やがて大陸の新たな心臓となる『中立経済特区』の予定地だった。
馬車が停まり、扉が開かれる。私はその何もない風景を、胸いっぱいに吸い込んだ。
土と、草と、未来の匂い。
視線を丘の下へと向けると、煙を吐き出しながら大地を削り、道を切り拓いていく巨大な鉄の獣の姿があった。マキナさんが北から持ち込んだ試作改造重機モドキの『蒸気トラック』だ。その頼もしい姿に、私の口元が思わず綻ぶ。
馬車から一枚の大きな羊皮紙――マルコさんたちが描き上げた都市の青写真――を取り出し、私はそれを風に飛ばされぬよう石で四隅を押さえ、地面に広げた。
「見てください、セラさん、ヴォルフラムさん」
私の声は、風に乗って弾んでいた。
「あそこが、街の中心になる大きな広場です。噴水があって、周りにはお洒落なカフェが並びます。そして、この大通りを真っ直ぐ行くと、『学院』が建つのです! 空飛ぶ船の研究もするんですよ!」
「それから、あの川沿いには公園を作って、孤児院のみんなが走り回れるように……」
熱っぽく語る私の姿は、もはや『天翼の軍師』ではない。お気に入りのドールハウスの設計図を広げ、夢見る一人の少女そのものだった。
上品なドレスに身を包んだセラさんは、優しい姉のように微笑みながら私の話に耳を傾けている。騎士風の硬質な服を着こなしたヴォルフラムさんも、その瞳を未来への期待にきらめかせていた。
私が一通り語り終え、興奮に弾む息を整えた、まさにその時だった。
「――お嬢様方。お茶の時間でございます」
背後から、抑揚のない、しかし完璧なタイミングで声がかかる。
振り返れば、いつの間にかそこに、信じがたい光景が広がっていた。
荒野の真ん中に、小さな白いテーブルと、優雅な曲線を描く椅子が三脚。テーブルの上には純白のクロスが敷かれ、銀のティーポットが陽光を反射して湯気を立てている。色とりどりの焼き菓子が美しい三段のティースタンドに並び、風に揺れるテーブルクロスは、まるで夢のようだった。
そしてその傍らには、完璧な執事服に身を包んだゲッコーさんが、音もなく佇んでいた。
「…………」
「…………」
「…………」
私とセラさん、ヴォルフラムさんは、言葉を失った。
その手際の良さ、完璧すぎるセッティング。それはまるで、ポルト・アウレオで見た、あの食えない女執事リリィへの、無言の対抗心の現れのようだった。
(……無駄に、すごい……)
私は引きつった笑みを浮かべながらも、その不器用な好意を素直に受け取ることにした。
「ありがとうございます、ゲッコーさん! とっても素敵です!」
「…………」
ゲッコーさんは何も言わず、ただ、その傷だらけの顔の口元を、ほんのわずかに緩ませた気がした。
こうして、何もない荒野の真ん中で、私たちの奇妙で優雅なティータイムが始まった。
だが、その優雅な時間はすぐに、土埃の匂いをまとった男によって中断された。
「し、失礼いたします!」
丘の下から、一人の男が息を切らして駆け上がってくる。土木工事の現場監督だろう。日に焼けた顔には、尊敬と緊張が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。マルコさんから、私の来訪を知らされ、丁重にもてなすよう厳命されていたに違いない。
男は私たちの前に立つと、汗を拭いながら深々と頭を下げた。
「これはこれは、皆様! わざわざこのような場所までご足労いただき、恐縮の至りにございます!」
その視線は私に向けられているが、ただ、このプロジェクトに関わる非常に重要な人物として、見た目で侮ることのないよう固く釘を刺されているのだろう。
「顔を上げてください。今日はただの視察です。それより、進捗はいかがですか?」
私が尋ねると、男は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「はっ! マキナ局長のご指導の下、全く新しい舗装技術を導入しております! 『マカダム舗装』といいまして!」
彼は懐から石のサンプルを取り出し、熱っぽく語り始めた。
「大小の砕石を重ねて固めるだけの単純な構造ですが、これが実に素晴らしい! 雨が降っても水はけが良く、馬車の轍もできにくい。何より、帝国古来の石畳に比べて、材料費も工期も十分の一以下で済むのです! これなら、マキナ局長が仰っていた『鉄の道』の基礎としても……」
男の言葉は、未来への希望に満ちていた。私はその熱意に微笑みながらも、気になる事を聞いてみた。
「素晴らしい技術ですね。ですが、問題点もあるのでは? 例えば、粉塵の問題や、表面の摩耗に対する耐久性などは?」
私の指摘に、男は一瞬虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに「はっ! さすがは……!」とさらに顔を輝かせた。
「仰る通りです! 粉塵対策として、仕上げに錬金術師たちが開発した『魔導瀝青』を塗る工法を試験中でして……!」
彼は興奮気味に言葉を続ける。
「これもマキナ局長の発案なのですが、鉄鉱石から鉄を取り出す際にどうしても出てしまう『石の燃えカス』……これまでただのゴミとして捨てられていたあの廃棄物に、錬金術師たちがいくつかの触媒を加えて練り上げると、驚くほど粘着性と防水性に優れた物質に生まれ変わることが分かったのです! まさに一石二鳥の妙案でして!」
そこからは、専門家の濃密な説明が続いた。セラさんは優雅に紅茶を飲みながらも、その会話を聞き漏らすまいと耳を澄ませている。ヴォルフラムさんは全く興味がなさそうに、ひたすら周囲の警戒を続けていた。
やがて話が一段落し、私は満足して頷いた。
「分かりました。現場の判断を尊重します。期待しています」
「はっ! この身命を賭して!」
男は力強く敬礼すると、再び土煙を上げて現場へと戻っていった。その背中は、やる気に満ち溢れている。
遠くで響く『蒸気トラック』の力強い鼓動をBGMに、私たちは紅茶の香りと甘いお菓子、そして未来への希望を語り合う。
それは、これから始まる長い旅路の前の、つかの間の、しかし何よりも贅沢な休息だった。




