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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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第231話:『王立図書館と、封じられた神話』

 

 帝都の屋敷に満ちる静寂は、私の心を映す鏡のようだった。

 窓の外で風が庭の木々を揺らす音だけが、時折、思考の澱をかき混ぜる。北へ向かう。その決意は固まった。だが、どこへ? 何を探しに?

 グラン宰相が残した『神子』という言葉の残響が、答えのない問いとなって胸の内で木霊していた。


「……セラさん」

「はい、リナ様」

「明日は、帝国図書館へ参ります」


 私の静かな宣言に、紅茶を淹れていたセラの白い指先が、ほんのわずかに動きを止めた。


 ◇◆◇


 翌朝、馬車の車輪が硬い石畳を叩く規則正しい音が、帝都の目覚めを告げていた。

 窓の外を流れる壮麗な街並みを横目に、私は『夜の蝶』の仮面越しに、向かいの席に座る男の姿をぼんやりと眺めていた。

 ゲッコーさん。

 少し窮屈そうな執事服に身を包んだ彼は、微動だにせず窓の外を見つめている。だがその瞳は景色を映さず、ガラスに反射する私と、私の両脇を固めるセラさん、ヴォルフラムさんの姿、そして馬車の周囲を行き交う人々の動きの全てを、同時に捉えているかのようだった。


 すれ違う近衛兵たちが、私たちの馬車の紋章に気づき、弾かれたように敬礼する。その度に、私の心がわずかに重くなった。

(……そういえば、もう、少なくとも影の方達には隠しきれてなどいないのだろうな)

 この完璧な護衛網。セラさんたちが私に付き従う姿。宮廷の影に生きる者たちにとって、『リナ書記官=天翼の軍師』という図式は、もはや公然の秘密なのだろうと思える。その事実に、言いようのない息苦しさを覚えた。


 やがて馬車は、帝国の知の殿堂たる帝国図書館の前で、滑るように停止した。

 大理石の柱が天を突く壮大な建造物。その扉を開けると、ひんやりとした空気と、古い羊皮紙が放つ独特の甘い香りが、私たちを迎えた。しんと静まり返ったホールに、私たちの足音だけが吸い込まれていく。


 受付に立つ、眼鏡の奥の瞳が厳しい初老の司書は、私たちの姿を認めると、あからさまに眉をひそめた。

「……ここは軍人の方が来られる場所では……」

 その咎めるような視線を、私は仮面の下で静かに受け止める。そして懐から、皇帝陛下から賜った『皇帝の証』のブローチを、そっとカウンターの上に置いた。

 白銀のグリフォンが、鈍い光を放つ。


 司書の目が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。その表情が驚愕から畏怖へと変わるのに、時間はかからなかった。彼は慌てて椅子を蹴るように立ち上がると、カウンターから回り込み、深く、深く頭を下げた。

「も、申し訳ございません! どうぞ、お入りください!」


 その絶大な効力に、私は改めて皇帝の信頼の重さを実感すると同時に、胸の奥がきりりと痛んだ。


 ◇◆◇


 案内されたのは、図書館の最も奥深く。陽の光さえ届かぬ、一般の立ち入りが禁じられた『特別書庫』だった。高い天井まで続く書架に、歴史の重みで黒ずんだ背表紙がびっしりと並んでいる。

「……北方にまつわる古文書は、この一画にございます」

 司書が震える指で示した棚には、誰も読めぬ古代北方語で書かれた文献が、忘れ去られたように眠っていた。


 セラたちは少し離れた場所で、静かに私を見守っている。

 私は一冊、また一冊と、脆くなった羊皮紙の感触を確かめながら、そのページをめくっていく。私の目には、その意味不明なはずの文字の羅列が、まるで故郷の言葉のように、滑らかに流れ込んできた。


 どれほどの時間が経っただろう。いくつかの文献に、グラン宰相が語った『神子』の記述を見つけた。それは断片的だが、確かに存在した事実として、歴史の隙間に息づいていた。


 ――『かの者、大地と心を通わせ、泉をつくりたもうたと云う』

 ――『2人目の神子は、稀代の癒やし手にして、また、偉大なる土の使い手なり』


 そして、ついに。

 一冊の、個人が記したと思われる古い日誌の中に、決定的な一文を見つけた。


『――かの神子は語られた。「力の源は、原始生命的な存在であると考えられる」「神のごとく存在に寄る物でなく、人の世の理と異なる価値観と力を有すると考えられる」「この力は、神子その者の存在自体を危うくする」と。故に、自らの代で秘術の継承を断つ、と。我ら民は、その気高き決断を、ただ受け入れるしかなかった。……かの神子様はまだそこまでお年を召しては居られないが、山中で穏やかな生活を送られるようになった。……星歴六百二十二年』


 星歴六百二十二年。

 帝国歴と比較して考えると百と少し年前のはず。歴史と呼ぶには、あまりに生々しい数字。

(まだ、何か手がかりが残っているかもしれない……!)

 私は息を呑み、その日誌を強く握りしめた。


 ◇◆◇


 書庫の片隅、ランプの光が作る小さな円の中で、私は『囁きの小箱』に息を潜めて語りかけた。

「グラン宰相。……見つけました」


 図書館での発見を伝えると、通信機の向こうでグランさんが息を呑む気配がした。

『やはり、ただの神話ではなかったのですね……。三人目の神子が、自ら力の継承を……。ですが、なぜ?』

「分かりません。ですが、日誌にはこうも。『神子その者の存在自体を危うくする』、と」


 その言葉に、グランさんが沈黙する。


「もし、その神子様に連なる何かを知ることが出来れば、私の力の制御にも繋がるかもしれません。あるいは、この力を、消し去ることも……」

『……リナさん。危険な考えかもしれませんが……』

『……知らずにいるよりは、遥かに良いでしょう。北へ向かう目的が、より明確になりましたね』

 グランさんの静かな声が、私の決意を後押ししてくれた。


 ◇◆◇


 その日の夕刻。

 帝都の執務室は、書類の山と疲労の匂いに満ちていた。

 宰相の計らいで設けられた会談の席。やつれた顔で現れたカイ・シュルツェさんは、私の顔を見るなり深いため息をついた。

「……軍師殿。これ以上、私に何をしろと……」

「お休みください、カイさん」

 私はきっぱりと言い放った。「宰相閣下には、新たな人員追加と、七日に一日以上の完全休暇を具申しておきました。もしこれを破るなら、責任者を別の方に交代させると」

「なっ……!?」


 半ば強制的に約束させると、私は『囁きの小箱』で北の研究所にいるマキナさんを呼び出した。

「カイさん、マキナさん。経済特区の学院の件でお話したいことがあります」


 熱に浮かされるように、私は未来の構想を語った。

 孤児院の子供たちが夢を見られる場所。帝国と王国の若者が、身分に関係なく共に学べる場所。あらゆる才能ある者が、自由に研究に没頭できる場所。理工学、商業学。未来を創るための、実学の殿堂。


 一通り語り終えた後、私は二人に深く頭を下げた。

「――この学院の運営を、将来的に、お二方にお任せすることはできませんでしょうか」


 唐突な申し出に、二人は言葉を失う。


「マキナさん。あなたには技術部門のトップとして、この世界の未来を担う技術者たちを育てていただきたいのです」

「カイさん。あなたには学長として、経済と法、そして実務の面から、この学院を大陸一の教育機関へと導いていただきたいのです」


 私の必死の願いに、最初に口を開いたのはマキナさんだった。

「……俺は教える柄じゃねえ」

 彼女はぶっきらぼうにそう言った。だが、私は食い下がった。

「いいえ。あなた以外に、この世界の常識を打ち破る発想を教え、未来の技術者を育てられる人がいますか」

 その言葉に、マキナさんはぐっと押し黙った。


 次に、カイさんが疲れ切った顔の中に、初めて興味の光を灯した。

「……面白い、構想ですね。ですが、あまりに壮大すぎる。私一人に、その重責が担えるとは……」

「一人ではありません。マキナさんもいます。私も、帝国も、王国も、サポートをいただきます」


 私の真剣な眼差しを受け、カイさんはしばらく考え込んだ後、ようやく口を開いた。

「……特区の計画が落ち着いたら、の話ですが……その時は、ぜひ、前向きに検討させてください」


 ◇◆◇


 皇宮からの帰り道、夕暮れの光が馬車の窓から差し込み、私の銀色のウィッグをきらめかせた。

 神子の話で重く沈んだ心と、未来の学院構想を語れた高揚感。二つの感情が胸の中でせめぎ合い、私は知らず知らずのうちに、窓の外を眺めながら小さくため息をついたり、口元を緩めたりしていたらしい。


「リナ様」

 不意に、隣に座るセラさんが、くすりと笑いを含んだ声で言った。

「随分と、表情が豊かですわね」

「えっ!?」

 私は弾かれたように彼女を見た。

「そんなに、顔に出ていましたか!?」

「ええ。まるで嵐のようでしたわよ」

 からかうようなセラの言葉に、顔にカッと熱が集まるのが分かった。羞恥心で、私はもう彼女の顔をまともに見られない。


 やがて馬車が、見慣れた壮麗な屋敷の門をくぐり抜ける。窓の外には、完璧な礼で私たちを待つ侍女たちの姿。

 私の顔から、急速に表情が消えていく。

(……帰ってきて、しまった……。また、あの至れり尽くせりが……)


 そんな私の心の変化を敏感に感じ取ったのだろう。セラさんが、そっと私の手に自分の手を重ねた。

「リナ様。……いっそ、全てを任せてしまってはいかがです? 帝都におられる間くらいは、とことん甘やかされてみるのも、悪くありませんよ」

「で、でも……」

「あなたは、あまりに多くのものを背負いすぎです。たまには羽を伸ばし、ただの『お嬢様』でいる時間も、きっと必要ですわ」


 その優しい言葉に、心が少しだけ軽くなる。

(……そう、かも、しれない……)


 その時は、そう思った。

 屋敷に入り、クララさんの完璧なエスコートで食事を終え、花びらが浮かぶ湯船に浸かり、侍女たちの手で髪を乾かされ、ふかふかのベッドに横たわる。その全てが完璧で、心地よくて、そして、どうしようもなく息が詰まる。


(……むりだ……!)


 天蓋を見上げながら、私は静かに結論を出した。


(……うん。私には無理……!)


 一刻も早く、北へ向かおう。

 私は、眠りにつく前に、改めて固く心に誓った。


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― 新着の感想 ―
 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です 第231話:『王立図書館と、封じられた神話』」拝読致しました。  北へ向かう。で、何を探そう?  うん、まずは調べ物…
まあ、孤児院や戦場の最前線に身を置いてたこと考えると、現状はギャップありすぎよね。 元々貴族の出のセラさんではちょっと図りかねるかも。 ヴォルフラムさんなら…前線に逃げ帰りそうだなw
現代知識があるリナが夜の蝶って言うくらいだから外観は水商売的な格好なんかな そんな服着て図書館に行くとは……
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