表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
234/237

間話:鋼の淑女、その黎明④ 泥濘(ぬかるみ)に咲く花


羊皮紙に落としていた私の視線が、音もなく持ち上がる。

そこに立っていたのは、年の頃八つか九つほどの少女だった。

泥と鉄と死の匂いが染みついたこの司令部には、あまりにも場違いな存在。大きな瞳が、不安げに揺れている。そのか弱げな少女と私の視線が、静かに交錯した。


憐憫でも、驚きでもない。

胸に突き刺さったのは、冷たいガラスの破片のような苛立ちだった。


ここは私の「家」。貴族の令嬢という鳥籠を自ら壊し、血反吐を吐く思いで手に入れた場所だ。帝都の甘い空気しか知らぬであろう子供が、上等なワンピースの裾を汚さぬよう気にしながら立っている。

『神童』。

徴募官の言葉が耳の奥で不快に響く。ハヤトという理不尽なまでの『暴力』が盤上を闊歩するこの戦場で、子供一人の才能が何の役に立つ。かつて無力感に苛まれた自分と目の前の少女の姿が重なり、忘れたはずの苦い記憶が蘇った。


だが、私の醒めた予測は次の瞬間、木っ端微塵に砕かれた。

グレイグ司令官が戯れに投げ渡した暗号文。昨日、私が半日かけてようやく解読の糸口を探り当てた、極めて難解なそれ。

少女――リナは、それに一瞥をくれただけで、淀みなく解き明かしてみせたのだ。

紡ぎ出される敵の作戦内容は、私の分析と寸分違わない。


全身の血が、逆流する。

違う。これは、私が半日かけて導き出した結論などではない。私が見つけたのは、それが王国のある地方の隠語を使っているという、入り口に過ぎなかった。それを北方部族の古語の文法で再構築しているなど、思いもよらなかった。

この少女は、私が数日、あるいは数週間かけてたどり着くはずだった答えを、わずか数秒で導き出したのだ。


『剣聖』ハヤトの圧倒的な武力とは質の異なる理不尽。静かで、それでいて脳髄を直接揺さぶられるような、規格外の『知性』。

凍てついていた私の心に、驚愕と共に得体の知れない熱が走ったのを、確かに感じた。


だがその熱も、グレイグ司令官の言葉で冷水を浴びせられる。

「こいつを“それっぽく”しろ。命令だ」

彼の口から語られた『謎の軍師』計画は、私の常識を遥かに超えていた。


「なっ……! なぜ私が、このような子供の茶番の世話を……!」


感情が、声になった。

士官学校で血の滲む努力の末に身につけた諜報・謀略の技術。騎士道を汚すものと蔑まれながらも、国を守る刃だと信じてきた。変装術も潜入術も、全ては勝利のため。それを、子供一人を飾り立てる見世物に使えと?

戦場を、死んでいった仲間たちを、愚弄するにもほどがある。


「これは俺の『作戦』だ」

グレイグの低い声が、全ての反論を封じた。副官である私に、司令官の作戦を拒否する権限はない。

唇を噛み締め、私は命令を受諾した。


フード付きのローブを、リナの小さな肩にかける。声色を変える変声器を、細い首元に当てる。その度に、彼女の肌の温かさと小刻みな震えが、私の指先に伝わってきた。

ふと、フードの下の瞳と目が合う。そこには、これから始まる茶番への不安と、私に対する怯えが浮かんでいた。

(……この子も、望んでこんな役を演じるわけではない)

その当然の事実に思い至り、心の中で硬く尖っていた何かが、少しだけ丸くなる。

私にできるのは、この馬鹿げた作戦を、命令通り完璧に遂行することだけだ。


車椅子の座面に毛布を重ね、彼女の視線が大人たちと対等になるよう高さを調整する。小さな手を隠す黒革の手袋。それはまるで、か弱い雛鳥を守るための、ささやかな鎧のようだった。

準備を終え、私は無言で車椅子を押した。

この子供を、獰猛な獣たちが待つ腹の中へと、自らの手で押しやるために。


軍議が始まった。

リナが地図を指し、敵の本隊が潜む丘を断言した時、私は息を呑んだ。

私の分析では、伏兵の可能性は複数の候補地に分散していた。だが彼女は、何の迷いもなく一点だけを指し示したのだ。そこは最も可能性が高い場所ではあったが、断定できる確証はない。だというのに、少女の言葉には、まるで未来を見てきたかのような揺るぎない確信が宿っていた。


隊長の一人が、詰問の声を上げる。その剣幕に、リナの肩がびくりと震えたのを、車椅子を押す私の手が感じ取った。


――その瞬間、私は無意識に前に出ていた。

「助言者殿は、お疲れだ。質問はまとめて司令官閣下へ」


自分の口から出た声は、驚くほど冷静だった。

これは作戦を守るための、副官としての行動だ。そう頭では言い訳しながらも、心のどこかで、ただこの怯えた少女を守らねばならないという、強い衝動に駆られていた。


そして、グレイグは吠えた。この少女の「神託」に、東部戦線全ての命運を賭けると。

狂気の沙汰だ。だが、不思議と絶望はなかった。

ハヤトという絶対的な暴力の前に、私の知略は無力だった。盤上の駒は薙ぎ払われ、歯噛みすることしかできなかった。だが今、目の前に現れたのは、盤そのものを書き換えてしまうかもしれない、新たな駒。


軍議が終わり、喧騒が遠ざかる。

私はフードの下でぐったりと疲弊している少女を見下ろした。

この泥濘に咲いた、あまりにも場違いで、か弱く、そして計り知れない花。

それが我々を勝利に導くのか、さらなる地獄へといざなうのか。

軋む車輪の音だけが、答えを知らぬまま闇に響いていた。

↓【ネタバレ全開】リナちゃんとの漫才や、裏話はこちらで!

『【あとがき集】天翼の軍師様は作者に物申したいようです』

▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽

もう少し先まで行きますね...と言いつつ、このままセラ物語を進んでしまうか!?

...いや、それはダメでしょ。駄目...でもないのか?

そんなの見たことないけど...書籍化準備の間はやっちゃいますか(笑)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
閑話ありがとうございます。 閑話読みながらも、また一話目から読み直し始めました。 新章をご準備されてると思いますので、体調等気をつけながら 進めてくださいね
更新お疲れ様です。 セラの血のにじむような努力の果てに掴んだ『居場所』を侵しかねないリナのチートさの焦りのプライドと、不意に配属された『前線』への怯えの『庇護欲』の間で揺れ動く彼女の心情が・・・・ …
 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です 間話:鋼の淑女、その黎明④ 泥濘(ぬかるみ)に咲く花」拝読致しました。  続き、きた!  初見、イラついた。そりゃ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ