間話:鋼の淑女、その黎明③ 戦場という名の我が家
オーレリア伯爵の目論見は、すぐに大きく狂った。
セラがグレイグの元へ着任してほどなく、彼に下されたのは東部方面軍司令官として、最も過酷な最前線へ赴けという辞令だったのだ。
父親の嘆きを背に、セラは一抹の喜びさえ感じながら、泥と鉄の匂いが渦巻く戦場へと旅立った。
そこは、彼女が求めていた世界そのものだった。
貴族の令嬢としての扱いはなく、求められるのは有能な副官としての働きだけ。彼女はまず、複雑怪奇に絡み合った補給路を数日で再編し、膨大な物資管理を完璧にこなすことで、兵站という名の生命線を立て直した。前線の兵士たちが飢えや装備不足に悩むことは劇的に少なくなり、最前線の空気は確実に変わり始めた。
そして彼女の真価は、目に見えない戦場でこそ発揮された。
士官学校で身につけた諜報・謀略の知識は、彼女に敵の思考を読む「目」を与えた。司令部の地図盤の前から、盤上の駒を動かすように斥候や密偵たちを操り、敵の虚実を暴いていく。彼女がまとめる精緻な戦況分析は、常にグレイグの作戦の礎となった。
グレイグは最初こそ「伯爵家のお嬢様」と煙たがっていたが、すぐに彼女の価値を認めた。彼はセラの情報を元に的確な判断を下し、泥沼だった戦況を膠着させ、やがてわずかな優勢へと傾かせた。いつしか彼はセラを、性別も家柄も関係ない、信頼できる一人の「戦友」として扱うようになっていた。
だが、そんな奮闘を嘲笑うかのように。
戦場の理が、音を立てて崩れ始めた。
リナが東部戦線に現れる、半年前のことだった。
王国に、一人の英雄が現れた。『剣聖』ハヤト。
その存在は、セラの緻密な情報戦を、グレイグの老練な采配を、子供の遊びのように力ずくで食い破っていった。
完璧な情報で仕掛けたはずの伏兵は「人とは思えぬ速度で駆ける一つの影」によって壊滅させられた。偽情報で誘い込んだはずの敵本隊は、ハヤトというたった一人の力で強引に戦線を突破し、逆にこちらの側面を突いてくる。
セラの張り巡らせた蜘蛛の巣は、もはや何の機能も果たさなかった。知略も、謀略も、圧倒的な暴力の前ではあまりにも無力だった。
「またか……!」
敗戦の報が届くたび、セラは唇を噛み締めた。地図盤の上で駒を動かす指が、悔しさに震える。戦友たちの命が次々と失われていく。自分の情報が、仲間を死地に追いやっているのではないか。帝都の鳥籠で感じていた無力感とは違う、もっと生々しく魂を抉るような痛みが彼女を苛んだ。
数ヶ月後、休暇で帝都へ帰省したセラを見て、両親は息を呑んだ。肌は荒れ、目の下には消えない隈が刻まれている。何より、瞳から以前の輝きが消え失せていた。
「……もう、良いのではないか。お前はよくやった」
父親が、労るように声をかける。
「……いいえ」
セラは、かぶりを振った。「帰るわけには、いきません。仲間が、まだ戦っているのですから」
彼女は、どうしようもない閉塞感を抱えたまま、自らの「家」である最前線へと戻った。
そして、彼女が戻って数日後のこと。
司令部の前に、一台の埃っぽい馬車が停まった。
長旅で疲れた顔の徴募官が降りてくると、中から促されるように、小さな少女がおずおずと地面に降り立つ。
訝しげにその様子を見ていたセラに、徴募官は気づくと、一枚の羊皮紙を無感動に差し出した。
「帝都からの辞令です。この少女を、書記官として貴官の部隊に配属すると」
事務的な口調で告げると、彼は付け加えるように言った。
「……聞けば、いかなる言語も解読する『神童』だとか。詳細は我々にも」
セラの視線が、羊皮紙から少女へと移る。
年の頃は、八つか、九つか。
場違いなほど大きな瞳が、不安げに揺れていた。
その、か弱く見える少女と、セラの視線が、静かに交錯した。
セラの目から見たリナと言う事でしたね。
出逢う所までしか描いていませんでした(笑)
どうしよう。もう少しだけ先までセラさん目線、描くかなぁ。