第213話:『鉄のつぶて、砕かれる常識』
アクア・ポリスの軍議室。
そこは張り詰めた沈黙に満ちていた。円卓を囲むのは、大陸の運命を双肩に担う者たち。窓から射す陽光が空気中の塵を黄金の筋に変え、歴史が動くであろうこの瞬間を照らし出している。
皇帝ゼノンの重々しい頷き。それが合図だった。
私は静かに席を立つ。磨き上げられた銀の仮面が、居並ぶ猛者たちの強張った顔を無機質に映す。背後で控えるセラとヴォルフラムの静かな気配だけが、この孤独な舞台での支えだ。
「――皆様。まずはこれをご覧いただきたい」
私の声に応じ、エンリコ少将が黒い布に包まれた長物をテーブルの中央へ厳かに運んだ。
布が滑り落ちる。
現れたのは、黒光りする無骨な塊。木と鉄が組み合わさった、誰も見たことのない異形の武具。
アルビオンの拠点から鹵獲した『銃』だった。
部屋の空気が、肌で感じるほどに冷えた。
歴戦の勇士グレイグ中将が眉根を寄せ、海の男ロッシ中将は未知の獲物を値踏みするように目を細める。若きアルフォンス新王は、その無機質な殺意の塊から目が離せないでいた。
私は銃の横に、指先で弾くように小さな鉄の弾丸を一つ置いた。
「これは火の力でこの鉄の礫を人の目では追えぬ速さで撃ち出す武具。……熟練の騎士が纏う鋼の鎧でさえ、赤子の産着のように貫きます」
静かだが、鋼のように硬質な声が部屋の隅々まで染み渡る。
「アルビオン連合王国はこれを数百、数千と保有し、我らの大陸を虎視眈々と狙っております」
「……ふん。面白い玩具よな」
皇帝陛下が、指で退屈そうにテーブルを叩く。だがその瞳の奥には、氷のような光が宿っていた。
「ロッシ。そなたの海兵に鹵獲した鎧を着せ、これを撃たせたそうだな。結果は」
「はっ」
ロッシ中将が、地を這うような声で応じる。
「……鎧は、紙屑同然に。……もし海戦でこれを用いられれば、我が海軍の白兵戦術は意味をなさず、一方的に海の藻屑と化すやもしれませぬ」
帝国最強と謳われた提督の告白は、重く、苦渋に満ちていた。
場の空気が鉛と化す。
「デニウス・ラウルの証言によれば、これは彼らの武力のほんの一端に過ぎぬ、と」
私は畳み掛ける。
「彼らが見据えるは大陸全ての富と支配。このままでは我らは個別に戦い、各個撃破される未来しかございません」
危機感という冷水が、出席者全員の足元からじわりと這い上がってくる。
その凍てついた空気を、私は次の一手で根底から揺さぶった。
「――故に、提言いたします」
私は円卓中央の巨大な大陸地図を指し示す。帝国と王国を隔てる赤い国境線を、指先でゆっくりとなぞった。
「この国境線の防衛は、もはや無意味。ここに配備された両国の国境軍は、直ちに解体、少なくとも大幅に縮小すべきである、と」
「なっ……!?」
弾かれたように顔を上げたのは、グレイグ中将だった。
「軍師殿! ご正気か! 国境の守りを解くなど自殺行為に等しい!」
彼の背後で、他の帝国将軍たちも険しい顔で頷く。
「ではお尋ねします、グレイグ中将」
私は彼の激情を、待っていたかのように冷静な声で受け止める。
「その国境軍は、アルビオンの『鉄の礫』の前に何分持ちこたえられますか。旧時代の剣と槍で、どれだけの兵の命が無為に失われるとお考えです」
「ぐっ……!」
グレイグが言葉に詰まる。
「我らの真の敵は、もはや隣国ではない。海の向こうから来る未知の脅威です。であるならば、我らの剣もまた、同じ方向を向くべきではありませんか」
私は地図の上に、新たな線を引いた。
帝国と王国、両国の精鋭を集め、一つの旗の下に再編する、全く新しい軍の構想。
「――国境を越えた連合軍、『大陸防衛軍』の設立を、ここに提言いたします」
あまりに大胆で常識外れの構想に、部屋は水を打ったように静まり返った。
誰もがその言葉の意味を咀嚼しようと、ただ黙り込んでいる。
やがて沈黙を破ったのは、意外にも若き王アルフォンスだった。
「……面白い」
彼はごくりと喉を鳴らし、その瞳に強い決意の光を宿した。
「確かに、そのような武器で大挙されれば個別に戦うのは非効率だ。だが、両国が手を取り合えば……帝国の重装歩兵と、我が国の弓兵、騎馬隊が連携すれば……」
「陛下のおっしゃる通り、手を取り合うことこそが全ての鍵となります」
私は彼の言葉を引き取った。
「但し、このような武器を持ち込まれたのであれば、国の平穏を護る為には剣と弓だけでは物足りません。帝国と王国の誇る屈強な兵士。その双方の魂を受け継いだ勇士が、新たな時代の武具を手にすれば……我らにも勝機が生まれます」
「そして、その新たな軍を率いる『総合顧問』として、私はグレイグ中将を推薦いたします。彼の実戦経験と兵を思う心は、両国の兵士を一つにするために不可欠な器量です」
名を挙げられたグレイグ中将が、目を見開く。
若き王の賛同と、帝国軍部の大黒柱を立てる人事案。反論の声を上げる隙を与えない。
全てを見通していたかのように、皇帝陛下が満足げに頷く。
「……よかろう」
皇帝の静かな一言が、全てを決した。
「この『大陸防衛軍』構想、帝国は全面的に支持する。アルフォンス殿も、異論はなかろうな」
「……はい。我が王国も、この歴史的な一歩を共に歩ませていただきます」
長年睨み合ってきた二つの国が、一つの軍を創る。
前代未聞の計画が承認された瞬間だった。
仮面の下で、私は静かに次の言葉を準備する。
この新しい『盾』をさらに強固にする、もう一つの『刃』の話を。