第210話:『軍師の休日と、完璧なる護衛網』
陽光が街並みに跳ね返り、潮風が陽気な喧騒を運んでくる。アクア・ポリスの午後は、生命力に満ち溢れていた。
私たちはセラさんが手配してくれた街一番と評判のパティスリーを目指し、賑やかな石畳の通りを進んでいく。
「うわあ、見てくださいセラさん! 珍しい貝殻の髪飾りです!」
「まあ、素敵ですわね、リナ様」
私は無邪気な子供を、セラさんは優しい姉を演じる。その後ろではグレイグ中将が「ふん、女の買い物は長い」と口ではぼやきながらも、その目元は楽しげに緩んでいた。そして最後尾を、ヴォルフラムさんが影のように付き従う。その全身からは鋼の忠誠心が音もなく立ち上っているかのようだ。
だが、私の内心は穏やかではなかった。
(……やりすぎです、ゲッコーさん……!)
セラさんから外出計画を聞いたゲッコーさんが組んだという警護シフトは、完璧すぎて、もはや滑稽の域に達していた。
私たちが歩む道は、常に絶妙な人通りが保たれている。しかし、その人々がどうにも怪しい。
露店で威勢よく魚を売る男。日に焼けてはいるが、漁師特有のしなやかさではなく、鍛え抜かれた海兵の肉体が服の上からでも見て取れる。
「へい、らっしゃい! 新鮮な魚だよ!」
その声は、まるで教本を棒読みしているかのように抑揚がない。
すれ違う恋人たちは、手こそ繋いでいるものの、視線は互いに交わさず、絶えず私たちの周囲の安全を確認している。諜報部員だろうか。
私の頬が、ひくひくと引きつるのを止められない。
セラさんは気づいているのかいないのか、優雅な微笑みを崩さない。グレイグ中将に至っては全く気づいていない様子で、「この街も活気があって良いな!」と呑気に声を弾ませている。
ただ一人、ヴォルフラムさんだけが「……なんと完璧な警護体制だ。さすがはゲッコー殿……」と、畏敬の念を込めて呟いていた。
私は決意する。この状況で自然に振る舞うための、鋼の鈍感力を鍛え上げねばならないと。
◇◆◇
目的のパティスリーは、扉を開ける前からバターと砂糖の甘い香りが漂う、お洒落な店だった。色とりどりのケーキが宝石のように並ぶショーケースの前で、グレイグ中将の目が子供のようにきらきらと輝いているのを、私は見逃さなかった。
席に着き、注文したケーキが運ばれてくる。
ちょうどその時、店の外の通りを見慣れた二つの影が横切った。
聖女マリア様と、その執事リリィ。
二人は何やら真剣な顔で言葉を交わしながら、街の裏手にある寂れた教会の方へと向かっていく。その背中からは、休日の和やかさなど微塵も感じられなかった。
(……マリア様たちも、大変そうですね……)
私は彼女たちの暗躍に心の中でエールを送り、目の前のモンブランにそっとフォークを入れた。
その一口目を口に運ぼうとした、まさにその瞬間。
店の外が、再び騒がしくなった。
『――だから! この蒸気圧を直接推進力に転換できれば、もっと速くなるんだって!』
『理屈は分かるが、そんな繊細な制御、どうやってやるんだよ!』
マキナさんとハヤトさんだった。二人は店のテラス席に陣取ると、テーブルに設計図らしき羊皮紙を広げ、口から泡を飛ばさんばかりの勢いで議論を始めている。ハヤトさんの手には、なぜか油まみれのスパナが握られていた。
その熱気と専門的すぎる会話に、他の客たちがじりじりと距離を取っていく。
「……リナ様」
セラさんが、私の耳元で囁いた。
「……あちらは、放っておきましょう。我々は我々で、休日を楽しまないと」
「……そうですね」
私たちは顔を見合わせ、目の前の皿に集中することにした。
濃厚な栗のクリームが、舌の上でとろけていく。
ああ、幸せだ。
賑やかで、少しだけ物騒で、そして最高に美味しい。
アクア・ポリスの休日は、こうして平和に過ぎていく。明日の軍議のことは、今だけ少し忘れてしまおう。
私は、二つ目のケーキを注文するために、そっと手を上げた。
本当は確定してからお伝えしたかったのですが...
お時間のございます方は、かぐやの活動報告まで、おこしくださいませ。
輝夜〜かぐや〜