間話:『英雄様、帝都をゆく』
「閣下、本日は軍務の予定はございません。つきましては、リナに半日ほど、休暇をいただきたく存じます」
帝都に滞在して数日経ったある朝、セラ副官が、グレイグ司令官にそう申し出た。
「休暇だと?」
「はい。帝都に来てからというもの、彼女は王宮と宿舎の往復ばかり。せっかくですから、少しは街の空気を吸わせてやりたいのです。もちろん、私が護衛として付き添います」
グレイグは、私の顔と、きっぱりと言い切るセラの顔を交互に見比べ、やがてニヤリと笑った。
「……分かった。許可しよう。ただし、あまり羽目を外しすぎるなよ。それと、何か美味い菓子でも見つけたら、俺の土産も忘れるな」
「はっ、ありがとうございます!」
かくして、私はセラ副官と共に、生まれて初めての帝都観光へと繰り出すことになった。
もちろん、『謎の軍師』の扮装は解いている。今日の私は、地方から出てきた上官にお守りをしてもらっている、ただの小さな女の子だ。
「セラさん、どこに行くんですか?」
「そうね……。まずは、中央広場の方へ行ってみましょうか。美味しい焼き菓子を売っている屋台があるわ」
私の手を引きながら、セラさんはどこか楽しそうに言う。彼女がこんなに柔らかな表情をするのを、私は初めて見たかもしれない。
帝都の中央通りは、活気に満ちていた。
大勢の人が行き交い、色とりどりの品物を並べた露店が軒を連ねる。何もかもが、孤児院のあった街の風景とは比べ物にならないほど、きらびやかで、賑やかだ。私は目をキラキラさせながら、あちこちの店を指さした。
「わあ、綺麗なリボン!」「あっちの果物、すごく大きい!」
そんな私の子供らしい姿に、セラさんは何度も微笑ましそうに目を細めていた。
中央広場に近づくにつれて、何やら陽気な音楽と、人々の歓声が聞こえてきた。
広場の一角に、大きな人だかりができている。
「なんだろう?」
私たちが人垣の隙間から中を覗くと、そこでは、一人の吟遊詩人がリュートをかき鳴らし、高らかに歌い上げていた。
「♪東の空に星は落ち~ 帝国の土は血に染みし~♪
その時、現る賢者は~ 深きフードの謎の人~♪」
(……ん?)
どこかで聞いたことのあるようなフレーズに、私は首を傾げた。
「♪その智謀は神の如く~ 敵の罠を打ち砕き~♪
かの剣聖を泥に沈め~ 勝利をもたらす我らの光~♪
おお、賢者様! 謎の軍師様! あなたの名を讃えん!♪」
歌が終わると、聴衆から「おおーっ!」「帝国万歳!」という割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
私は、その場でカチン、と固まった。
(な、ななな、なんですか、この歌は!? 私の歌!? しかも、なんかすごく美化されてるんですけど!?)
顔に、カアッと熱が集まるのが分かった。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
「……行きましょう、リナ」
隣で、セラさんが私の異変に気づき、くすくすと笑いをこらえながら私の手を引いた。
私たちは、その場から逃げるように歩き出した。
だが、災難はそれだけでは終わらない。
少し歩くと、今度は劇場らしき建物の前に、人だかりができていた。建物の前には、大きな立て看板が置かれている。そこには、勇ましい騎士と、フードを被った謎めいた人物の絵が描かれていた。
演目:『東方奇譚・賢者、立つ!』
――彗星の如く現れた謎の軍師は、いかにして無敵の王国軍を打ち破ったのか!? 涙と感動の、救国スペクタクル! 大絶賛、上演中!――
「…………」
私は、もう言葉も出なかった。ただ、看板を指さして、わなわなと震えるだけだ。
街の人々の会話も、自然と耳に入ってくる。
「軍師様って、どんな方なのかしらねぇ」
「なんでも、背丈は三メートルもあって、百の言語を操り、未来さえも見通せる千里眼をお持ちだとか……」
「へぇー! そりゃあ、すごい!」
(身長三メートルって、巨人じゃないですか! 千里眼なんて持ってません!)
次々と生み出される、とんでもない伝説。私は、もう恥ずかしさのあまり、顔を上げることができなかった。
「せ、セラさん……もう、帰りましょう……」
私は、うつむいたまま、セラさんの手をぎゅっと握って引っ張った。
「あら、どうして? 美味しい焼き菓子のお店は、この先よ?」
「もういいです! 早く帰りましょう!」
顔を真っ赤にして、半泣きで訴える私。
そんな私の姿を見て、セラさんは、とうとうこらえきれなくなったように、声を立てて笑い出した。
「ふふっ……それなりに盛ってはあるけれど、どれもあなたが成したことなのよ。誇りなさい。恥ずかしがることなんて、無いのよ」
彼女はそう言うと、私の頭を優しく撫でた。その手つきは、まるで本当の姉のようで、とても温かかった。
結局、私はセラさんに半ば引きずられるようにして、お目当ての焼き菓子屋台まで連れて行かれた。
蜂蜜がたっぷりかかった熱々の焼きリンゴは、頬が落ちるほど美味しかったけれど、その味の半分くらいは、恥ずかしさでよく分からなかった。
帝都での、つかの間の休日。
それは、英雄伝説と現実のギャップに、私がひたすら悶絶する一日となったのだった。