第179話:『三つの刃、狼の巣を穿つ』
高台に据えられた連射式掃討兵器――『鋼の蜂』が咆哮を上げている。
地を揺るがす轟音。毎分二百発超えという弾丸が、もはや嵐となって吹き荒れる。それは薙ぎ払うという表現すら生ぬるい、あらゆる命を削り取る鋼鉄の暴風雨だった。
乾いた土を抉り、岩を砕く甲高い音。鼻をつく硝煙の匂いが、夜の空気を焦がしていく。
「ひゃっはー! たまんねぇ! 最高に熱烈なダンスのお誘いじゃねえか!」
死の弾幕のただ中で、ハヤトのその目は、降り注ぐ死の軌跡を的確に見切っている。戯れる蝶のように舞い、刃の上を渡るような愉悦に身を浸す。避けきれぬ弾丸は愛剣で弾き返し、闇を焦がす火花と、鼓膜を劈く金属音を夜空に響かせた。
だが、狂笑に酔ったほんの一瞬。彼の動きが止まった。
バルドルの副官が、その致命的な隙を見逃さない。無数の銃口がぴたりと収束し、彼の体を蜂の巣にせんと鉛の牙が殺到する。
「おっと!」
肌を撫でる風圧。死の匂い。
さすがのハヤトも、仮面の下の目を見開いた。
しかし次の瞬間、彼は全ての弾丸を剣で弾きながら、獣のようにしなやかな跳躍で回避。背後の岩肌が削れる耳障りな音を置き去りに、岩陰へと身を滑り込ませた。
「……ふぅ。さすがに、ちっと焦ったぜ……」
どくどくと脈打つ心臓。仮面の下を、初めて冷たい汗が一筋、こめかみを伝った。
◇◆◇
その派手な陽動が生み出す、深い影。
もう一つの刃が、音もなく、しかし鋼のように冷徹に闇を走っていた。
ヴォルフラム。
遠くで鳴り響く銃声を背に、彼女はハヤトが生み出した混沌を突き抜け、リナが囚われる居住区へと疾走する。
行く手を阻むアルビオン兵。
ハヤトの動きに気を取られていた彼らがヴォルフラムの気配に気づき、銃口を向けようとする、その刹那――。
闇を切り裂く銀色の残光が、彼らの自由を奪う。狙うは命ではない。腕、足、その腱。
「ぐっ……!」
「あがっ……!」
銃声に掻き消される、くぐもった悲鳴。肉を断つ鈍い音だけが、ヴォルフラムの耳に残る。彼女は一瞥もくれず、血の匂いを立てることなく、無慈悲な静けさで障害を排除していった。
やがて、奥の山となった積み荷の裏。
躊躇なく飛び込むと、そこに息を殺して身を寄せる、小さな影。
「――リナ様!」
主君の元へ駆け寄ったヴォルフラムは、その数歩手前で深く片膝をつく。そして、リナを背にかばう盾となり、研ぎ澄まされた瞳で、油断なく周囲を睥睨した。
「……ヴォルフラムさん……!」
私の声に反応し、二つの影が静かに動きを見せた。
ゲッコーさんと、ファルコさんだった。
「リナ様を、任せてよいか」
ゲッコーさんの低い声が、張り詰めた空気を震わせる。
その問いに、ヴォルフラムは振り返りもしない。ただ一言、鋼のように硬い声で応えた。
「――誰に聞いている」
プロフェッショナルたちの間に、それ以上言葉は不要だった。
◇◆◇
ゲッコーはファルコに目配せすると、風のように飛び出した。
標的はただ一人。この混乱の元凶バルドル。
「何をしている! たった一人に手間取るな! 全員で囲んで撃ち殺せ!」
バルドルは忌々しげに舌打ちし、部下たちに怒声を浴びせていた。その視界の隅で、陽炎のように空間が揺らめいた。
一つの影。
ありえない速度で、こちらへ向かってくる。
直線ではない。まるで分身したかのように左右に不規則なステップを踏み、全ての銃火を嘲笑うかのように、完璧に照準を惑わせながら。
「なっ……!?」
バルドルは咄嗟に銃を構え、引き金を絞った。
轟音。だが、弾丸は虚しく影の残像があった空間を撃ち抜くだけだ。
「あの時のネズミか! まだ懲りておらんとみえる!お前では力不足だ!」
バルドルが吠える。
ゲッコーは答えない。ただ、死神のように静かに、確実にその距離を詰めてくる。
かつて己が叩き潰したはずの男。だが、今対峙する男が放つ気配は、あの時とは全く異質だった。その目に宿るのは、主君を奪われた怒りと、復讐の炎を宿した、一匹の孤高の狼のそれだった。