第17話:『賢者の叙任式と内々の招待状』
秘密の謁見は、皇帝陛下の豪快な笑い声と共に幕を閉じた。
そして翌日。
再び身につけた重々しいローブと変声器が、私の存在を世界から切り離す。今日は公式な叙任式。王宮の大謁見の間へと向かう足は、輿ではなく、セラ副官が押す簡素な黒塗りの車椅子だった。公の場で過剰な演出は控えたい、というこちらの意向が汲まれた形だ。
謁見の間は、帝国の全貴族が集ったかと錯覚するほどの壮麗な人波で埋め尽くされていた。磨き上げられた大理石の床に、きらびやかなドレスや勲章を飾り立てた軍服が映り込む。巨大なシャンデリアが放つ無数の光が、人々の装飾に反射して眩いほどに煌めいていた。
その全ての視線が、私の乗る車椅子へと突き刺さる。
好奇、畏敬、嫉妬、そして疑念。声にならない感情の渦の中を、車椅子はゆっくりと玉座の前へと進み出た。しん、と静まり返った広間に、車輪の軋む音だけが小さく響く。
「――東部戦線における功績、誠に見事であった」
玉座から放たれる皇帝陛下の声が、朗々と空間を震わせる。
「よって、その智謀と帝国への忠誠を讃え、『謎の軍師』に男爵位を授ける! 今後も、その力を帝国の為に尽くすことを期待する!」
おおっ、というどよめきが波のように広がり、やがて万雷の拍手へと変わった。
私は車椅子に座したまま、深く、深く頭を垂れる。
「……は。陛下の御期待に添えるよう、身命を賭して」
(あー、緊張する……! 早く終わらせて、美味しいケーキが食べたい!)
そんな内心とは裏腹に、変声器を通した私の声は荘厳に響き渡り、貴族たちに「さすがは賢者様、なんと威厳のあるお声だ」という、さらなる勘違いを植え付けたようだった。
結局、最後まで顔を見せることなく、叙任式は滞りなく幕を閉じた。
私がセラ副官に押されて退出しようとしたその時、人垣を割って宰相が近づき、グレイグにそっと声をかけた。
「将軍。軍師殿はこの後、いかがされるかな?」
「は。長旅の疲れもございましょう。本日は宿舎にて休息を取らせる所存です」
「うむ。それがよかろう」
宰相は一度頷くと、周囲に鋭い視線を走らせる。そして懐から、公の場で手渡すにはあまりに私的な雰囲気をまとった、一通の優雅な封筒を取り出した。厚手の上質な紙に、金粉で薔薇の紋章が描かれ、甘い芳香がふわりと漂う。
グレイグが怪訝な顔で封を切ると、その眉間にかすかな皺が刻まれた。
「……これは」
「皇妃陛下からだ」
宰相は、ささやくように声を潜める。
「皇妃陛下が、救国の英雄殿と、内々にお茶を共にしたい、と。陛下もご同席の上でな。……断れまい?」
それは、疑問の形をした命令だった。
皇帝陛下もご一緒とあれば、否やを唱える選択肢など存在しない。
(嘘でしょ!? なんで私が皇妃様と、しかも皇帝陛下までご一緒にお茶会なんて……!)
フードの奥で、私の血の気は急速に引いていく。一体、何を話せばいいというのか。
その内心の恐慌を見透かしたように、グレイグが重々しく口を開いた。
「……軍師殿は、人見知りが激しいのでな。長時間は難しいやもしれませぬが、皇妃陛下のご厚意を無にするわけにはまいりますまい」
「そうか。では、場所は王宮の離宮にある薔薇の庭園だ。……せいぜい、粗相のないようにな、将軍」
宰相はそれだけを言い残すと、何事もなかったかのように雑踏の中へと姿を消した。
残された私たちは、顔を見合わせる。
「……どうする、リナ」
グレイグが、心配そうに私を覗き込んだ。
「行くしか、ありませんよね……」
観念して漏れたのは、か細いため息だった。
すると、背後からセラ副官が静かに告げる。
「ご安心ください、リナ様。私も同席いたします。何かあれば、私が」
「セラさん……」
その落ち着いた声に、少しだけ勇気が湧いてくる。
かくして、私は皇族主催のお茶会という、とんでもなく格式の高い催しに臨むことになった。
そこはきっと、戦場よりもずっと危険な罠が潜む、甘い香りのする戦場だ。
(美味しいケーキと、紅茶が出るといいな……)
どこまでも食いしん坊な現実逃避をしながら、私は新たな戦地へと、車椅子を押されていくのだった。