表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第一章:『偽りの仮面、泥濘の将星』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/256

第15話:『英雄伝説と厨房の少女』

 

『剣聖』を泥まみれにして撃退した、という第二の奇跡。

 その報は、東部戦線の帝国軍駐屯地を、もはや熱狂という言葉では生ぬるいほどの、一種の狂乱状態に叩き込んだ。


「聞いたか!? 軍師殿が、またやったらしいぞ!」

「ああ! あの『剣聖』を、一兵も損なうことなく、泥だらけにして追い返したんだと!」

「俺は見たぞ! 遠くからだったがな! 英雄様が泥の中でもがく様を、吟遊詩人が歌でコケにしてたんだ! 空前絶後の光景だったぜ!」


 兵士たちの間で語られる「謎の軍師」の伝説は、もはや神格化の域に達していた。

 あの豪華絢爛な、悪趣味としか思えなかった輿は、今や兵士たちから「賢者の御座」「勝利の玉座」などと呼ばれ、畏敬の対象となっていた。私が時々、その赤い帳の隙間から外を覗こうものなら、目が合った兵士は「おおっ!」と感激したように固まり、その場で敬礼する始末だ。

(やめて! そんな有り難いものを見るような目で見ないで! ただ、外の天気が気になっただけだから!)

 私の内心の叫びは、もちろん誰にも届かない。


 そんな狂騒の真っ只中にありながら、私の日常は、驚くほど平穏だった。

「軍師」としての仕事――つまり、作戦会議や敵情分析の時以外、私はあの重苦しいローブと変声器を外し、ただの「特務書記官リナ」として過ごしている。

 私の正体を知っているのは、グレイグとセラ、そしてごく一部の側近だけ。他の兵士たちにとって、私は「司令官閣下が特別に目をかけている、ちょっと賢い孤児の少女」でしかない。


「リナちゃん、今日の昼飯はなんだい?」

「あ、リナ書記官! この報告書のまとめ方、少し教えてくれないか?」

「リナ、これ、故郷から送られてきた干し果物だ。お食べ」


 昼間の私は、ちょこちょこと天幕の間を走り回り、書類を整理したり、厨房で兵士たちの食事作りを手伝ったりしている。

 兵士たちは、まさか目の前で味見用のシチューを「ふーふー」しながら食べているこの小さな少女が、あの神のごとき智謀を持つ「謎の軍師殿」と同一人物であるなど、夢にも思っていない。

 このギャップが、私の唯一の心の安らぎだった。


「んー、今日のシチューは、少し味が薄いですね。岩塩をもうひとつまみと、隠し味にこの“月桂樹”の葉を一枚……よし、完璧です!」

 私が厨房で大きな木べらを振り回していると、兵士たちは「ははは、リナちゃんは本当に料理上手だな」「未来の良いお嫁さんになるぞ」なんて、のんきなことを言っている。

(ふっふっふ。あなたたちが今食べているこのシチューのレシピを考案したのも、敵の剣聖を泥に沈める作戦を立てたのも、この私なんですよ……)

 そんな優越感に浸りながら、こっそりほくそ笑むのが、最近の私の密かな楽しみになっていた。


 そんなある日。

 グレイグの執務天幕に、私とセラ副官が呼び出された。

「帝都から、正式な通達が来た」

 グレイグは、皇帝の印璽が押された羊皮紙を広げ、重々しく言った。

「此度の二度に渡る大功を鑑み、『謎の軍師』殿に、正式な爵位と、莫大な報奨金を与える、と」

「……爵位、ですか?」

 セラ副官が、驚きの声を上げる。

「ああ。『男爵』位だそうだ。平民どころか、孤児からの成り上がりとしては、前代未聞の大出世だな」


 その言葉に、私は手に持っていた書類の束を危うく落としそうになった。

(だ、男爵!? 私が!? 冗談でしょ!?)

 貴族になるなんて、考えたこともなかった。孤児院のみんなにお菓子を送る、というささやかな夢が、とんでもないスケールで叶おうとしている。

 だが、問題はそこではなかった。


「……リナよ」

 グレイグが、私の目を見て言った。

「お前を、いつまでも『謎の軍師』として隠しておくわけにはいかない。いずれ、その正体を公にする時が来る。敵も、血眼になってお前の正体を探っている頃だろう」

 彼の言葉に、セラ副官も頷く。

「はい。このままでは、リナの身が危険です。帝都にいる方が、安全かもしれません」

「……いや」

 グレイグは、首を横に振った。

「こいつを帝都に送れば、それこそ恰好の的だ。貴族どもの嫉妬や、敵の暗殺者に、いつ狙われるか分かったもんじゃない。……こいつを一番安全に守れる場所は、皮肉にも、俺の目の届くこの最前線だけだ」


 そして、彼は私に向き直り、悪戯っぽく笑った。

「というわけで、男爵様。引き続き、このクソッタレの戦場で、俺の頭脳として働いてもらうぞ。……ああ、そうだ。お前の身の回りの世話役として、護衛を兼ねた侍女でもつけてやるか? 帝都に申請すれば、すぐに送ってくるだろう」


「け、結構です!」

 私は思わず叫んだ。

「侍女なんていりません! それに、私はまだ、ただの書記官です!」

(これ以上、目立ちたくない! これ以上、面倒事が増えるのはごめんだ!)


 私の必死の抵抗に、グレイグは腹を抱えて笑い、セラは呆れたように、しかし優しく微笑んだ。

 東部戦線では、今日も「謎の軍師」の英雄伝説が語り継がれている。

 その伝説の張本人が、今、自分の天幕で「男爵になったら、お給料はいくらになるんだろう……」なんて、金の計算をしていることなど、誰も知らない。

 平穏と狂騒が入り混じった、奇妙な日々は、まだしばらく続きそうだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
敵に暴かれるよりは公的に発表したいけど、8歳なのが難点だよねぇ。
軍師が現れた前後の人の出入り調べれば、特定は容易じゃないかな 後、他に子供の兵士が居ないと目立つし、影武者が必要だと思う 同じ場所に同時に存在すれば、多少の目眩ましになると思う 軍師が出入りしてる天幕…
侍女は要らないけど料理人は送って貰った方が楽になると思います(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ