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第12話:『帝都の熱狂と迷惑な輿』


東部戦線での奇跡的な大勝利の報は、翼を得たかのように瞬く間に帝国全土を駆け巡った。

長らく続いた敗戦の暗い空気を吹き飛ばす一報に、帝都はまさにお祭り騒ぎとなった。数年ぶりに、街角には勝利を祝う旗が掲げられ、酒場は兵士たちの武勇伝を語る人々で夜遅くまで賑わった。


そして、その熱狂の中心にいたのは、一人の名もなき英雄だった。


「聞いたか? 東部戦線に、謎の軍師が現れたらしい!」

「ああ! 彗星の如く現れた天才で、その智謀は神の如し、と!」

「その軍師殿の策で、あの常勝の王国軍を打ち破ったんだと!」


噂は尾ひれどころか、竜の翼とグリフォンの脚まで生やして、民衆の間を飛び交った。吟遊詩人たちは、こぞって『東方の賢者』を讃える新しい詩を歌い、劇団の一座は『謎の軍師、敵将オルコットを討つ』という、事実を三倍くらい誇張した演目を上演して大盛況となった。


皇帝陛下と宰相も、この状況を最大限に利用した。民衆の士気を高揚させ、戦争への支持を取り付けるための、またとないプロパガンダだ。彼らは、この「謎の軍師」の伝説を、むしろ積極的に後押しした。

かくして、私のあずかり知らぬところで、「私」は救国の英雄として、帝国史にその名を刻み始めていたのである。


もちろん、最前線の駐屯地にいる私は、そんなことなど知る由もない。

相変わらず厨房で新しいレシピを開発したり、グレイグに押し付けられた書類仕事を片付けたりと、比較的平穏な日々を送っていた。

戦線は、あの大勝利以来、奇妙なほど静まり返っている。王国軍は壊滅した部隊の再編に手間取っているのだろう。つかの間の平和。兵士たちの顔にも、少しずつだが笑みが戻ってきていた。


そんなある日。

帝都から、大規模な慰問団と補給部隊が到着した。その規模は、これまでのものとは比較にならないほど大きい。

そして、その補給物資の中に、明らかに場違いで、とんでもなく迷惑な「ソレ」は含まれていた。


「……なん、ですか……これは……?」


私の目の前に鎮座するソレを見て、私の頬はひくひくと引きつった。

それは、一台の輿こしだった。

ただの輿ではない。黒漆で塗られた本体には、金と銀で見事な龍の飾りが施され、四方には赤い絹のとばりが垂れ下がっている。屋根の四隅には、風に揺れる豪奢な房飾りまでついている。

それは、前世の知識で言えば、三国志の映画で見た諸葛孔明が乗っていそうな、超豪華な軍師専用の乗り物だった。


「帝都からの、軍師殿への贈り物だそうだ」

グレイグが、面白くてたまらないという顔で肩をすくめる。

「お前の伝説が、帝都で一人歩きしているらしい。今やお前は『車椅子に乗った救国の賢者』だからな。その権威に相応しい乗り物を、と皇帝陛下直々に送ってこられた」

「い、いりません! こんなもの! 目立ちすぎるにも程があります!」

私は思わず素の口調で叫んだ。ただでさえ、正体を隠すために苦労しているというのに、こんな派手なものに乗って戦場をうろついてみろ。敵の格好の的になるだけじゃないか!


「だが、これは陛下の御下賜品だ。断れば、不敬罪に問われるぞ?」

グレイグが、意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「それに、考えてみろ。敵が血眼になって探している『謎の軍師』が、こんな仰々しい輿に乗って現れたら、さぞかし面白いことになるだろうとは思わんか?」

「面白くありません! 命がいくつあっても足りません!」

「大丈夫だ。担ぎ手は、俺の部下の中でもとびきりの手練れを揃えてやる。それに、輿の底には鉄板も仕込ませておこう。安心しろ」

「そういう問題じゃありませーーーん!」


私の絶叫は、虚しく駐屯地の空に響き渡った。

隣に立つセラ副官は、同情的な目を私に向けながらも、「……陛下の御心、無下にはできません」と静かに言うだけだった。彼女の肩が、微かに震えている。絶対、笑いをこらえている。


こうして、私の移動手段は、オンボロの車椅子から、悪趣味なほど豪華な軍師用の輿へと、強制的にアップグレードされてしまった。

輿の中に座らされ、赤い帳を降ろされる。中は意外と広く、小さな机まで備え付けられていた。快適なのは認めるが、それ以上に羞恥心と恐怖心が勝る。

担ぎ手として選ばれた、ゴリラみたいな四人の兵士たちが「軍師殿! お任せください!」とやけに張り切っているのも、私の胃をキリキリとさせた。


その日の午後。

じりじりと照りつける太陽が、砂塵を乾かす匂いを運んでくる。

天幕の中にまで響くほどの、慌ただしい足音と怒声。ついに、恐れていた報告がもたらされた。


天幕に転がり込んできたのは、鎧を歪ませ、土と埃にまみれた兵士だった。彼は床に両手をつき、ぜいぜいと苦しげな呼吸を繰り返しながら、絞り出すように叫んだ。


「て、敵襲! 斥候部隊が……やられました!」


周囲の士官たちが色めき立つ中、生き残った兵士は恐怖に引きつった顔で証言を続けた。その瞳は、あり得ないものを見た衝撃に、まだ正気を取り戻せずにいる。


「……化け物でした。たった一人……たった一人の男に、武器を……剣も槍も、何もかもを木っ端微塵にされて……! 俺たちはまるで赤子のように蹴散らされ、這う這うの体で……」


報告を聞いた瞬間、私の背筋を氷の刃がなぞった。

つかの間の平和は、終わったのだ。

『剣聖』が、来た。


グレイグの執務天幕に、重い沈黙が落ちる。

「……奴ら、様子見に来たか」

グレイグが、吐き捨てるように言った。

私は、豪華な輿の中から(そう、私は執務室にまでこれで運ばれてきたのだ)、変声器を通して冷静に告げた。


「……おそらく。そして、奴は私たちを探っている。無差別な殺戮ではなく、こちらの反応を見るための、威力偵察。……試されているのです、我々は」


グレイグは、私の乗る輿に目をやり、不敵に笑った。

「面白い。隠れんぼは終わりだ。こっちには、皇帝陛下から賜った、こんなに立派な“おとり”があるからな」

「……本気で、私を囮にするおつもりですか」

「他に何がある? どうやって、あの蛮勇の化け物を釣り出し、罠にかけるか。知恵を貸せ、軍師殿」


赤い帳の奥で、私は深いため息をついた。

これから始まる、本当の戦い。その最初の舞台が、このふざけた輿の上になるなんて。

私の涙は、誰にも見られることはなかった。


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― 新着の感想 ―
そんな浮かれたアホ揃いやから連敗するんやドアホ、的ならぬいぐるみでも乗せとけ。
そんなものより食べ物が欲しいよね泣 うちに招待してお腹いっぱいご馳走したい
「偵察戦闘」は威力偵察の誤字ですか?
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