第113話:『軍師の招集と、未来への序曲』
帝都皇宮の一室は、音ひとつない静寂に支配されていた。窓から差し込む西日が床に長い影を落とし、空気中に舞う微かな塵を金色に照らし出す。だが、その静けさは安らぎとは程遠く、まるで水底にいるかのような重い緊張が満ちていた。
宰相閣下に願い出て用意されたこの部屋は、余計な装飾の一切を排している。簡素なテーブルと三つの椅子。そしてテーブルの中央には、鈍い光を放つ黒漆の『囁きの小箱』が、世界のすべてを吸い込むかのように鎮座していた。
やがて、重厚な扉を控えめに叩く音が響き、二人の客人が姿を現した。
一人は、旅の埃を纏った革の上着姿のマキナ。今回は帝都まで一緒について来てもらっていたのだ。そしてもう一人は、糊のきいた襟が窮屈そうな帝国財務省の若き官僚、カイ・シュルツェ。宰相閣下の紹介で今日初めて顔を合わせる男だ。
銀の仮面をつけた私は静かに立ち上がり、深く一礼する。
「――お呼び立てして申し訳ありません。私が『天翼の軍師』です」
仮面越しに響く凛とした声に、カイの背筋が反射的に伸びた。
「へいへい、知ってるよ」とでも言うように、マキナは片手をひらりと振って応える。
対照的にカイは、石像のように硬直していた。額に薄っすらと汗を滲ませ、その視線は私の仮面と小柄な体躯の間を行き来している。至近距離で拝謁が叶った伝説の軍師、そこから放たれる圧倒的な存在感に、動揺を隠しきれないようだ。
「は、はっ! カイ・シュルツェと申します! この度のご召喚、身に余る光栄に……!」
「どうぞ、お座りください」
二人を椅子へ促し、私はテーブルの上の『囁きの小箱』を指し示した。
「そして本日、もうお二方、この会談に参加していただきます」
私が指先で小箱に軽く触れると、低い唸りと共にそれが震え、磨き上げられた表面から澄んだ女性の声が響き渡った。
『――聞こえておりますわ、軍師殿。ご紹介、感謝いたします』
『あら、ごきげんよう、皆様? 私のこともお忘れなくってよ』
「こちらは新生アルカディア王国の宰相グラン殿。そして、聖女マリア殿です」
あまりに突飛な展開に、カイは完全に思考を停止させ、わずかに口を開けたまま硬直している。
私は一つ咳払いをして部屋の空気を引き締めると、本題を切り出した。
「本日皆様にお集まりいただいたのは他でもありません。私が構想しております『中立経済特区』の計画について、皆様のお知恵を拝借したく」
そこから私は全てを語った。帝国と王国、二つの国の間に新たな文化と経済の交流拠点を創り出すという壮大な構想。そのあまりに雄大かつ緻密に計算された未来図に、カイは息を飲むことさえ忘れ、マキナはそれまでの気だるげな態度をかなぐり捨て、瞳を発明家特有のギラついた光で輝かせ始めた。
『……先日お聞きしましたが、やはり素晴らしい構想ですわ』
グランの感嘆の声が、静かな部屋に響く。
『……それで? わたくし達に何をさせたいのかしら、軍師様?』
マリアの挑発的な声が続く。
「ニ日後、この計画の鍵を握るヴェネツィアの商人、マルコ・ポラーニが草案を携え皇宮を訪れます」
私は三者に、それぞれの「宿題」を告げた。
「マキナ。あなたにはこの新都市の交通インフラを考えていただきたい。ただの馬車道ではないわ。あなたが創り出す『蒸気の力』で人や物を大量に、そして迅速に運ぶための未来の道筋を。最終的にはこの都市を起点とし、帝国と王国の両首都を繋ぐ全く新しい交通網を創り上げる。その壮大な計画の第一歩となる提案を期待しています」
「……へぇ……。面白そうじゃねぇか。任せとけよ」
マキナは口の端を吊り上げ、不敵に笑った。
「カイ殿。あなたには経済と法の観点から特区の骨格を。帝国、王国、そしてヴェネツィア。三者がそれぞれ納得し、最大の利益を享受できる税制と法制度の草案を練っていただきたい。……できますね?」
「は、はい! このカイ・シュルツェ、身命を賭して!」
緊張に強張っていたカイの顔に、専門家としての強い誇りの光が宿った。
「そしてグラン様、マリア様。お二方には、マルコ殿との会談をこの『小箱』を通じて全て聞いていていただきたいのです。そして会談の内容について訂正すべき点があるか、王国側からのご意見を伺いたい」
『ええ、承知いたしましたわ』
『ふん。まあ、退屈しのぎにはなりそうね』
それぞれの専門家が、与えられた命題に思考を巡らせ始める。窓の外はすでに帝都の灯りが瞬く夜の帳が下りていた。ランプの光が照らし出すこの小さな一室は、今、大陸の未来を鍛え上げる静かな熱気を帯びた工房と化していた。