第11話:『勝利の帰り道と星空の約束』
夜明けの奇襲から半日が過ぎ、太陽が空高く昇る頃。
帝国軍は、鹵獲した敵の物資と、誇らしい戦勝の記憶と共に、駐屯地への帰路についていた。
私は、相変わらずフードを目深にかぶったまま、セラ副官が押す車椅子に揺られていた。
道中は、勝利の興奮に満ちていた。兵士たちは、普段の疲れ切った顔が嘘のように活気に溢れ、声を張り上げて軍歌を歌ったり、昨夜の奇襲がいかに見事だったかを自慢し合ったりしている。
そして、その熱狂の中心には、常に私がいた。
彼らは、私の乗る車椅子が通り過ぎるたびに、少しだけ道を開け、畏敬と、好奇と、そして純粋な感謝が入り混じった視線を送ってくる。彼らにとって、私はもはやただの子供ではなく、この奇跡的な勝利をもたらした、謎めいた「軍師殿」なのだ。
だが、私の目に映っていたのは、彼らが見ているような輝かしい光景ではなかった。
私たちの進む道の脇には、無残に破壊された王国軍の陣地が広がっていた。ひしゃげた天幕、折れた槍、打ち捨てられた盾。そして、所々に残る、生々しい戦いの痕跡。
(……これが)
これが、戦争。
これが、私の立てた作戦が、もたらした結果。
私は、ただ羊皮紙の上で言葉を紡いだだけだ。数字と、記号と、前世の知識を組み合わせただけ。けれど、その結果として、今、目の前にこの光景が広がっている。多くの人が傷つき、あるいは命を落とした。その事実が、ずしりと重い鉛のように、私の胸にのしかかってきた。
「どうした、軍師殿。顔色が悪いぞ」
不意に、馬を寄せてきたグレイグが、私の顔を覗き込んできた。
「初めて見る本物の戦場に、怖気づいたか?」
その声は、からかうようでいて、どこか私の内面を見透かしているようだった。
「……私が……」
私の唇から、か細い声が漏れた。
「私が、これを……」
「そうだな」
グレイグは、あっさりと頷いた。
「お前がやったんだ」
その言葉に、私は唇を噛み締めた。罪悪感と、言いようのない恐怖で、指先が冷たくなっていく。
そんな私の様子を見て、グレイグは馬からひらりと降りると、私の前にしゃがみ込んだ。そして、その大きなゴツゴツした手で、私のフードの上から、わしわしと優しく頭を撫でた。
「いいか、リナ。よく聞け。お前がやったのは、殺戮じゃない」
彼の瞳は、真剣そのものだった。
「お前は、帝国を守った。そして何より、今お前の周りで馬鹿みたいに騒いでいる、俺の大事な部下たちの命を生かしたんだ。お前がいなければ、今頃この景色の一部になっていたのは、俺たちの方だった。……お前は、人を生かすために戦ったんだ。それを、絶対に忘れるな」
生かすために、戦った。
その言葉は、冷え切っていた私の心に、小さな灯火をともしてくれたようだった。私は、ただ頷くことしかできなかった。
駐屯地に帰り着くと、そこはまさにお祭り騒ぎだった。
勝利を祝う兵士たちの歓声が、駐屯地全体を揺るがしている。私はその喧騒から逃れるように、セラ副官に連れられて自分の天幕へと向かった。
天幕の前で、セラ副官は私の車椅子を止めると、ふと、懐から小さな布の包みを取り出した。
「……これ」
「え?」
差し出された包みを受け取ると、ほんのりと温かい。中には、少し形は歪だが、香ばしい匂いのする焼きたてのパンが入っていた。
「……厨房の兵士が、軍師殿にと。今日の勝利は、あなたのおかげだと、皆が言っているわ」
セラ副官は、少し照れくさそうに視線を逸らしながら言った。そして、小さな声で、付け加える。
「……私も、そう思う。……ありがとう、リナ」
初めて、彼女に名前で呼ばれた。素直な感謝の言葉。その温かさが、先ほどのパンの温かさと一緒になって、私の胸にじんわりと広がっていく。
「……どういたしまして、セラさん」
私がそう返すと、彼女は少し驚いたように目を見開き、そして、ふっと、本当に微かに微笑んだ気がした。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。
祝宴の喧騒と、昼間に見た光景が、頭の中でぐるぐると回っている。私はそっと寝台を抜け出し、天幕の外に出た。
少し離れた小高い丘の上まで歩くと、下の喧騒が嘘のように静かだった。
見上げると、そこには、帝都では決して見ることのできない、降ってきそうなほどの満天の星が広がっていた。
「眠れねぇのか、天才軍師殿」
背後から、聞き慣れた声がした。振り返ると、グレイグが酒瓶を片手に、同じように星空を見上げていた。彼も、あの馬鹿騒ぎから抜け出してきたらしい。
二人の間に、言葉はなかった。ただ、同じ星空を、黙って見上げる。
やがて、グレイグがぽつりと呟いた。
「……リナ。お前のおかげで、俺たちはまた、この星空を見ることができた。……ありがとな」
「……次は、敵の英雄様方が、お出ましになるでしょうね」
私は、星から目を離さずに答えた。
「ああ。本当の戦いは、これからだ」
グレイグの声に、覚悟が滲む。「だが、今のお前と、お前の飯を食った俺たちなら、負ける気はしねぇ」
彼は、私の方に向き直ると、その瞳でまっすぐに私を射抜いた。
「リナ。俺と、ここにいる全ての部下たちの命、お前に預ける。だから、お前も生き抜け。どんな手を使っても、何があっても、俺がお前を守り抜く。……約束だ」
それは、ただの上官と部下という関係を超えた、魂の契約のような言葉だった。
「それと、お前の全力をもって、俺たちを勝利に導いてくれ。迷わないでくれよ。ただ、不安があるなら何でも言ってくれ。気になる事があるなら教えてくれ」
私は、彼の目を見つめ返し、力強く、こくりと頷いた。
胡散臭い司令官と、小さな偽りの軍師。
私たちが、星空の下で交わした固い約束。
これから始まる本当の地獄を、共に生き抜くための、最初の誓いだった。




