第105話:『新生の軍師と、新たな盤上』
皇妃陛下とセラさんによる「帝国一可愛い軍師様プロデュース計画」という名の嵐が、ようやく過ぎ去った翌日。
私は皇帝陛下の執務室へと呼び出されていた。言うまでもなく、新しい姿のお披露目のためだ。
「――入れ」
重々しい扉がきしむ音。深呼吸を一つ、私は磨かれた床に足を踏み入れた。
部屋の中には皇帝陛下と宰相閣下。二人の視線が私に注がれ、その瞳がわずかに見開かれるのが分かった。
今の私の姿は、以前のそれとは全く違う。
セラさんが選び抜いた、動きやすくも気品を湛える濃紺の騎士服風ドレス。亜麻色の髪は銀糸のように輝く長いウィッグの下に隠され、顔には目元だけを覆う蝶を模した優雅な銀の仮面。足元は、私の身長を少しだけ高く見せる厚底のブーツが、こつりと小さな音を立てた。
そこに立つのは、もはやただの少女ではない。
年齢不詳の、どこかミステリアスで近寄りがたいオーラを放つ、一人の軍師の姿があった。
「……うむ」
皇帝が満足げに頷く。
「いつもの素のそなたも良いが、こうすると全く違って見えるな。……これならば良いのではないか」
そう言うと、彼は悪戯っぽく口の端を吊り上げ、椅子の後ろから何かを取り出した。純白の光を放つ、白鳥の羽で設えられた本物の翼。
「あとは天翼の代名詞とも言えるこれを背につければ、完璧だ」
「――そ、それは断固として拒否いたします!」
思わず素の声が飛び出した。
「それだけは! それをつけるくらいなら、陛下の御命令であろうと投獄される方を選びます!」
私のあまりに必死な抵抗に、皇帝はきょとんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「わっはっは! 分かった、分かった! ……うむ。仕方ないな。似合うと思ったのだが」
彼は名残惜しそうにその翼を宰相に手渡す。
(……危なかった……! あんなもの、ハヤトさんにすら指をさして笑われる……!)
皇帝はひとしきり笑うと、すっと真剣な表情に戻った。
「……リナよ。この新しいそなたの姿は、後日改めて大々的にお披露目する。良いな?」
「……は、はい。ですが、それは……」
「これは譲れん」
有無を言わせぬ声が、部屋の空気を震わせた。
「そなたの安全のためにも、そして、そなたが成した偉業に値する褒賞を与えねば、政は立ち行かぬ。……分かるであろう?」
「……うっ……。では……謹んで、お受けいたします」
◇◆◇
やがて話は本題へと移る。
宰相が、王国との関係改善や戦後処理に関するいくつかの案を、淡々と読み上げた。どれも合理的で、隙のない計画だ。
「私からは特に異論はございません。国の方針は陛下と宰相閣下が決められること。私はそれに従うまでです」
そう前置きしながらも、私はつい、喉に引っかかった点を口にしてしまう。
「……ただ、この経済復興の部分。少し、時間がかかりすぎるかと」
「そういえば、経済復興といえば」
皇帝が何かを思い出したように言った。
「先日、ヴェネツィアの新興派、マルコとやらが接触してきた。……何か良い案はあるか?」
その言葉に、私の頭の中でいくつかのピースがカチリと音を立ててはまった。
私は一瞬思考を巡らせ、仮面の下で唇を綻ばせた。
「――では、その商人に帝国領内で新しい町を作らせましょう」
「……町を?」
皇帝と宰相が、怪訝な顔で私を見る。
「はい。これから帝国と王国は手を取り合いますが、長い戦による憎しみは重い。『さあ、仲良くしましょう』と言ったところで、人々の心には壁ができてしまうでしょう。そこに、ヴェネツィアの商人たちが活躍できる役回りがあります」
「それでは今まで通り、ヴェネツィアを富ませるだけになるのではないか?」
宰相が鋭く指摘する。
「ですから『町』を作らせるのです。帝国の領内に。……ああ、いえ、帝国にこだわる必要はありませんね。王国にはグラン宰相がいます。彼女ならすぐにこの意図を理解してくれるでしょう」
「……良く分からんが……。詳しく申してみよ」
皇帝に促され、私は壮大な構想を語り始める。
「中立の経済特区です。そこを文化交流の拠点とし、この戦いで築いてしまった心の壁を解きほぐすのです。帝国人が王国へ、王国人が帝国へ。どちらかが一方に入ることは難しい。ですが、どちらでもない『第三の場所』であれば、そこに集う者たちは政治的にも文化的にも平等になれます」
「しかも、その町は間違いなく栄えます。莫大な税収も見込めるでしょう。利益が生み出せるなら、ヴェネツィアの商人たちは故郷の地でなくとも構わないはずです」
「では、適当な土地を選定し、町作りをさせればよいと?」
「そのマルコという商人に一度面会させてください。いくつか質問はありますが、おそらく町作りの全てを任せても良いと思います。きっと狂喜して身を粉にし、最高の町を作ってくれますよ」
「……なぜ、そう言い切れる?」
「彼は時代の変化をいち早く読み取り、帝国へ来た男です。古いヴェネツィアの地には固執していないでしょうし、行動力も決断力もある。おそらく経済的な知識にも明るいでしょう。そして帝国の法を守るというのなら、その地に『経済特区』として十年、あるいは二十年間の自治権を与えるとでも約束すれば……」
私は、にやりと笑った。
「あっという間に、ヴェネツィアの有能な人材と資本は雪崩を打ってこの特区に集まるでしょう。そして本国のヴェネツィアは勝手に衰退していきます」
(……元の世界でいう、ハブ空港の設置みたいなものだけど……これが、一番血が流れない方法のはず……)
私のあまりにえげつなく、しかし効果的な策に、皇帝と宰相は言葉を失っていた。
「……それだけで、良いのか?」
「そうですね。私だけでは経済の知識が足りません。宰相閣下、若くて頭の柔らかい、経済に明るい官僚を何名かご紹介いただけますか? あとは王国のグラン宰相にも相談してみなければなりませんが」
(うん、これがうまくいけば、『ヴェネツィア連合』の力はあっという間に削がれていくはず)
私の新たな盤上のゲームは、もう始まっていた。
皇帝と宰相は、目の前のミステリアスな軍師が一体どこまで先を見ているのか、その底知れなさに改めて戦慄するしかなかった。