第100話:『三人の魔女と、未来の役割』
侍従の肩にすがるようにして、レオナルド公が力なく部屋を退室していく。
扉が閉まる重い音だけが残った部屋で、グランはその小さくなった背中を思い浮かべ、こらえきれないため息を漏らした。いつもは怜悧な光を宿す瞳が揺れ、きつく結ばれた唇に自己嫌悪の色が滲む。
「……行きましょうか、聖女様」
「ええ」
二人は無言で部屋を辞した。
大理石の床に二人の足音だけが冷たく響く、王宮の長い廊下。窓から差し込む西日が、床に長い影を落としている。グランは誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
「……私には……まだ、覚悟が足りていなかったようです」
真実を捻じ曲げ、一人の老人の心を縛り付ける。それが国を救う最善手だと頭では理解できても、心が軋みを上げて受け入れない。その甘さが、まだ自分の中から消えてくれない。
「あら。今頃お気づきになったの?」
隣を歩いていたマリアが、肩をすくめて事もなげに言った。
「綺麗事だけじゃ何も進まないわ。国も、人もね。……と、言ってやりたいところだけど」
彼女はふと足を止め、グランの顔を覗き込む。悪戯っぽい光を宿した瞳が、グランの揺れる瞳を射抜いた。
「……あなたは、そのままでいいと思うわよ?」
「……え?」
「あなたは私にできないことをしてる。……ほら、下ばかり見てないで、こっちを向きなさい!」
有無を言わせぬ力で、マリアはグランの顎をくいと持ち上げた。
「いい? あなたは『正論』でアルフォンス新王を支えるの。私には無理。そんな退屈な実務を淡々と熟して、私情を挟まず国を動かすなんて」
彼女は続ける。
「……んー……。『誰も得しないから』って理由でばっさり切り捨てる私が言うことじゃないけど。……まあ、そういう仕事は私がやってあげるわ。あなたには無理でしょう?」
そのあまりに不器用で、しかし的確な励ましに、グランは言葉を失う。
マリアは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らすと、懐から滑るように『囁きの小箱』を取り出した。
「――聞こえてる、軍師様? 私の役回りはそういうことでいいんでしょ?」
彼女は小箱に唇を寄せて語りかける。
「色々と、あなたが裏で糸を引いていたことは、お見通しなんだから。まあ、私には益しかないから喜んで乗っからさせていただいたけど♪」
しばしの沈黙。やがて、変声機を通した軍師の静かな声が、小さな箱から響いた。
『……そこまでご承知いただけているのであれば、私から申し上げることは何もございません。……存分にその力を振るわれよ、聖女殿』
『ただし』と、声は付け加える。
『……やりすぎた場合は、私も手綱を引かせていただきます。そうなる前に、ちゃんとグラン宰相と相談することをお勧めする』
どこまでも温度のない言葉に、マリアはたまらないといった様子で「あはは」と声を上げて笑った。
「天翼ちゃん、まだそのペルソナつけてるの? 私たちの前ならもう気にしなくてもいいのに」
『……どこで誰が聞いているか分かりません故。……窮屈ではありますが、仕方ありますまい』
「ふーん」
マリアはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
『……笑わないでください』
「あら、見えてもいないのに察しがいいのねぇ。まあ、良いんだけど」
三人の魔女たちの、奇妙な会話。
そのやり取りを聞いているうちに、張り詰めていたグランの肩から、ふっと力が抜けていくのがわかった。
自分にはできないこと。それを補い、時には背中を押してくれる仲間がいる。
一人はあまりにもしたたかで現実的。
そして、もう一人はどこまでも冷静で、底が知れない。
(……なんて、頼もしい悪友たちなのかしら)
グランの口元に、久しぶりに心からの笑みが浮かんだ。
窓の外に広がる帝都の空を見上げる。新生王国の未来は、まだ始まったばかり。
そしてそれは、決して退屈な道のりではなさそうだ。
祝!100話突破! 本日はここまで。〜かぐや〜
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【あとがき集】天翼の軍師様は作者に物申したいようです
話題目の後ろの数字は、対応する話数です。本編を先にお読みくださいませ。