ショートショートⅡ 「銀木犀の恋」
それは初恋だった。
「白銀ってなんだか、お花みたいだよな。」
そう、まっすぐな瞳で言われたものだから、私はそれ以降、空夜君のことが気になってしまった。
目までかかる長い前髪、陽の光をほとんど浴びていなそうな真っ白い肌。いつも教室の隅の席で、何か分厚い本を読んでいる。他のクラスメイトとはほとんど話さない、無口な彼。
私もまた、空夜君とは離れた教室の隅っこで本を読むだけの、地味な人間だ。クラスメイトの女子達の、流行りのファッションや恋バナなどの話題にはついていけない。
そんな私が、渡すよう先生から頼まれたというプリントを、空夜君から受け取った時のことだった。
空夜君はまっすぐに私を見て、あんなドキッとすることを言ってきたのだ。
どういうつもりで言ってきたんだろう。その時は、言っていることの意味がわからず、私は首を傾げるだけだった。あぁ、こんな時、クラスのキャピキャピした女の子達なら、上手く返すことができるんだろうなと、口下手な自分にうんざりした。
けれども、もっとお話してみたい。いつも読んでいるあの分厚い本が何の本なのか聞いてみたい。頭の中でイメージトレーニングするも、いざとなると全く話しかけることができない。
私は、クラスの中で、とてもモテているという女の子のことを観察するようになった。
どうしてそんなに男の子たちを振り向かせられるのだろうと不思議に思った。何か秘訣があるのかもしれないと思って、話し方や仕草、服装などを観察した。
わかったのは、その子はまずオシャレなこと。皆と変わらない高校の制服を着ているのに、オシャレなのだ。
スカートは短くふわりと翻らせ、スカーフはふんわりと形が整えられている。
リュックにはストラップがジャラジャラと付けられており、歩くたびにそれらが楽しげに弾んでいる。
高い位置で結ばれたポニーテール。ビタミンカラーのシュシュ。制汗剤だろうか、石鹸のような爽やかな香りを身にまとい、体育後の汗さえもキラキラと光っていて。
クラスメイトの子たちと話す時も、男女分け隔てなく、可愛らしい笑顔で話している。
敵わないな。
クラスの隅でずっと本を読み、あまり人と関わらないようにと影を極限まで薄くしてきた自分には、彼女が眩しすぎた。
もしかしたら、空夜君も、あの子のことが好きだったりして…。
いや、諦めちゃいけない。変わってみよう、変えてみせよう。
私だって、可愛い女の子になりたい。
空夜君を振り向かせたい。
それから私は、白色のシュシュを買った。髪型をポニーテールにしてみた。
スカートの上を折って、少し短くもした。リュックに何個かストラップも付けてみた。
薬局で、人気ナンバーワンの香りの制汗剤も買ってみた。
必死で笑顔も作ってみた。とてもぎこちないけれど、毎朝鏡の前で、笑顔を作る練習もした。
いつもと違う自分に戸惑いつつも、変わっていくのが楽しいと感じた。
ある日、雑貨屋で可愛らしい白い花のヘアピンを見つけた。花弁が四つのその花は、銀木犀と呼ばれる花らしい。
「『初恋』や『あなたの気を引く』などの花言葉がある銀木犀!さりげなく髪に付けて、気になるあの人の気を引いてみる…?」
POPにはそう書かれていた。花言葉が今の私に当てはまりすぎていたので、少し値段は高かったが買ってみた。
次の日、その銀木犀のヘアピンを付けて、高校へと登校した。
私の席は窓際の一番後ろ。空夜君の席は、廊下側の一番後ろ。つまり、右側の方に空夜君はいるので、頭の右側にヘアピンを付けてみた。
気づいてくれるかな。チラッと空夜君の方を見たけれど、彼はいつも通り分厚い本を読んでいて、微塵もこちらを見る気配など無かった。
もうこうなったら、思い切って話しかけてみようか。
昼休み、私は意を決して空夜君の席へと向かった。そして、普段はあまり出さないような少し高い声と、ぎこちない笑顔で話しかけた。
「ね、ねぇ空夜君!それ、いつも何読んでるの?」
すると空夜君はゆっくりと顔を上げ、「花の図鑑。」と答えた。
「そうなんだ!空夜君はお花が好きなの?なら、銀木犀って知ってる?私昨日、雑貨屋でたまたまこのヘアピンを見つけて買ったんだけど、銀木犀のお花らしくて。とっても可愛らしいお花だから、私本物も見てみたいなぁと思って。ねぇ、そのお花の図鑑にも載ってるのかしら――。」
「白銀。」
私の話を、空夜君は遮った。まずい、私、つい一人でたくさん喋りすぎちゃった…。怒られる?うるさい、あっち行けって言われちゃう?どうしよう、ごめん、ごめんね空夜君。
私は、怒られてしまうと覚悟した。
「放課後、学校の隣の公園に来て。」
しかし、次に空夜君の口から出た言葉は、意外なものだった。
え、何、何が起こるんだろう。私はそれから放課後まで、そわそわしてしまい授業など全く集中できなかった。
キーンコーンカーンコーンと、早く聞きたかった音がようやく聞こえた。
空夜君はそそくさと教室を出て行った。私も帰る支度を済ませ、急いで学校の隣にある公園へと向かった。
そこは遊具などほとんど無い小さな公園で、ベンチがいくつか置かれていた。そのうちの一つのベンチに、空夜君は座っていた。
夕陽に照らされてオレンジ色に淡く光るその公園の中で、空夜君の真っ白な肌が淡く揺らめいていた。
「お待たせ空夜君。」
「白銀、君に見せたいものがあるんだ。」
そう言って空夜君は、ベンチ裏の草木が生い茂る場所を指さした。
「見えるかい、あの白い花。」
彼が指さしたところには、小さな白い花がたくさん咲いていた。
見たことがある。あれ、もしかしてこれって、このヘアピンの…。
「そう、銀木犀の花。君が見たがっていた花だよ。金木犀ほど強くはないけど、甘く優しい香りもするんだ。」
本当だ。なんだかちょっと控えめで、けれどもたしかに優しい香りがする。なんだかこちらまで優しくなれそうな気がした。
「白銀。なんだか最近、雰囲気変わったよな。」
可愛らしい白い花に見惚れていたら、突然そのようなことを言われた。
たしかに、私は空夜君を振り向かせたい一心で、あのクラスで一番モテる子を参考にして、いろいろ変わろうと努力してきた。
「あいつの真似してるんでしょ。でもね白銀。」
参考にしていたのがバレていたようだ。
それよりも、空夜君はそう言いながら、私の右手を取ってそっと握ってきたため、心臓がドキンドキンと激しく波打った。
「そんなことしなくても、俺は君の素の、控えめで可憐で、可愛らしいところが、好きなんだ。まるで銀木犀の花のような、君のことが。」
えっ――。今、なんて…?
「好きだ。白銀。」
とてもまっすぐな瞳。その瞳には夕陽が差し込み、薄いガラスのように輝いている。
私は言葉が出なかった。
どうしよう、どうしよう。好きな人に、告白されちゃった。
私の右手を握る空夜君の左手は、優しい温もりに溢れていて。
私の気持ちもぶわわと心の底から溢れてきて、気がついたら、私は空夜君に抱きついていた。
「私も好き…!こんな感情は初めて。…その、空夜君を振り向かせたくて、私、変わろうとしちゃって…。でも、その、私、嬉しい…!」
私の素を好きになってくれてありがとうって言いたいのに、嬉しさで上手く言葉にできない。
空夜君が、そっと私を抱き締める。
「白銀はそのままでいいんだ。…けど、ありがとう。嬉しいよ、俺のために、努力してたんだな。」
銀木犀の優しい香りが私達を包み込む。
それから空夜君は、銀木犀のお花のことやその他図鑑に載っているお花のことをいろいろ教えてくれた。
こんなにもたくさんお話が出来て幸せだ。
私、いつの間にか自然な笑顔になっていたかな。普段は硬い表情の空夜君も、柔らかい笑顔になっていた。
西の空に日が沈んでいき、一番星がきらめき始める。
その夜空の下を、私達は手を繋ぎながら一緒に帰った。
いつもは早く帰りたい家。
けれども今日は、ずっとこのまま家に着かないで欲しいと、秘かに願っていたのだった。