012 自分の身体が汚く思えて、苦しくて……。
タレアからの報酬を受け取り、俺はクララと共に王都を出発した。
馬を走らせる。
街道は少しずつ整備が進んでいるようだった。
そろそろ日が落ちる頃合いだ。
空が茜色に染まり、肌を撫でる風も冷たくなってきた。
「ユアン様、ひとまずクロエのいた村を目指しましょう。もう時間も遅いですし、そこで一晩を明かすというのは、どうでしょうか」
クララが馬上で地図を広げながら提案した。
「ああ、そうしよう」
馬の速度を上げ、クロエの村を目指す。
しばらく走ると、遠くに村の灯りが見えてきた。
村は、まだ惨憺たる状況だった。
しかし、少しだけ人が戻ってきている。
「ユアン様!」
馬を停めていると、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、クロエが立っていた。
久しぶり……というほどでもないが、しばらく一緒にいたので、懐かしい気持ちにはなった。
「……元気か」
「はい! ユアン様もお元気そうで何よりです」
クロエは俺の顔をじっと見つめると、少し照れたように微笑んだ。
俺は、クロエに現在の状況を説明した。
ガルドール帝国を目指していること。
和平の道を模索していること……などだった。
「……和平だなんて、嫌です」
「どうしてだ?」
「私は……私たちは、ひどい目にあわされました。肉体的にも、精神的にも。怖くて、眠れない夜だってあります。自分の身体が汚く思えて、苦しくて……。死にたくなるときもある」
クロエは、あのときのことを思い出しているのだろう。
体が震えていた。
俺は、黙ってクロエの言葉を聞いていた。
「そんなやつらと仲良くなんて、できません。全員、殺してやりたい」
俺は、なんと答えるか迷った。
クロエの言ったことに反論は簡単だが……。
それで片付く話ではない。
「いまは、それでいい」俺はクロエを肯定した。「生き急ぐな。急いで決断するな。焦らず、ゆっくり考えながら生きろ」
クロエは涙を流していた。
なぜかはわからない。
俺は、クロエを抱きしめた。
彼女の矮躯は、力を込めると潰れてしまいそうなほどだった。
戦争とは、お互い様である。
恐らく、エルデ王国の兵士たちも、ガルドール帝国の民にひどいことをしている。
殺し、殺され、犯し、犯され……。
だが、そんなことを当事者のクロエに言っても仕方がない。
いまの俺にできるのは、戦うことだけだ。
戦って、戦って、戦い抜いて……。
争いのない世界をつくる。
はたして、そんなことが可能なのだろうか。
俺は、そんなことを考えた。
しばらくして、クロエは顔を上げた。
「……すみません、取り乱してしまって」
「いや、気にするな」
「今日は、うちに泊まっていってください。ユアン様のおかげで、おうちも住める状態になりましたから」
クロエは、そう言って、はにかんだように微笑んだ。
クロエの家は質素な造りであることに変わりはない。
かつて、壁が打ち壊されたのであろう。
その部分だけが新しくなっていた。
夕食は、村人たちが持ち寄ってくれた食材で作った、素朴だが温かい料理だった。
俺とクララは、クロエにご馳走になった。
夜になり、俺は寝室に通された。
かつて、クロエの父と母が寝ていたというベッドだ。
クララは、クロエの姉の部屋へ案内されていた。
さて、眠ろうか……と思ったところで、ドアが開いた。
そこにいたのはクロエだった。
「……あの、ユアン様」
クロエが、小さな声で俺を呼んだ。
「どうした?」
「……その、もしよろしければ、一緒に寝ていただけませんか?」
クロエは顔を真っ赤にしながら、そう言った。
その瞳は、不安と期待が入り混じったような、複雑な光を宿している。
「男が怖くはないのか」
「怖いです。誰かに話しかけられると、息ができなくなるときもあります。特に、夜になると、怖くて……」
「それなら、どうして」
「ユアン様は、怖くないから」
「……俺も男だ。どうなっても知らんぞ」
俺の言葉に、クロエは一瞬怯んだような表情を見せた。
しかし、すぐに決意を込めた視線を俺に向けた。
「どうなっても良いと思っているわけではありません。私の辛い記憶を、ユアン様に忘れさせてほしいんです」
はっきりと言い放った。
その声は、微かに震えている。
「……分かった」
俺は短く答え、ベッドの端に腰掛けた。
クロエは、ゆっくりと俺の隣に近づき、そっと布団の中に潜り込んでくる。
ふとクララを連想した。
寒い冬になると、クララも俺の布団に潜り込んでくる。
「……ユアン様」
クロエが、小さな声で俺の名前を呼んだ。
「……何だ?」
「……私、ずっと考えてたんです。どうして、ユアン様は私を助けてくれたんだろうって」
「正直に言えば、成り行きだ。黒曜の塔へ向かっているとき、たまたま寄って、たまたま倒した。それだけだ」
「私、ユアン様に何も返せてない。だから……」
クロエは、そこで言葉を切り、俺の顔をじっと見つめた。
「……私にできることなら、何でもします」
その言葉は、まるで祈りのように聞こえた。
俺は、クロエの頬にそっと手を伸ばした。
その肌は、まだ幼さを残している。
「……お前は、何も悪くない。何も返す必要はない」
俺は、絞り出すように言った。
「悪いのは戦争だ。お前を傷つけた奴らだ。だから……お前は、何も背負う必要はない」
「……でも」
「もう、何も心配するな。ゆっくり生きろ」
俺はクロエを強く抱きしめた。
その体は、俺が思っていた以上に小さく、そして脆く思えた。
この肉体が、どれだけ傷つけられたのか……。
クロエは俺の胸に顔を埋め、小さく嗚咽を漏らし始めた。
……夜が更け、静寂が部屋を満たす。
室内は暑く感じられた。
とにかく気だるい。
隣で寝ているクロエの寝息が聞こえてきた。
俺はクロエの温もりを感じながら、様々な思いを巡らせていた。
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