私の時間割
時間割どうりに動くなんて、馬鹿らしいと思ってたんですよ。学生じゃあるまいし、決められたスケジュールで動く必要ある?大人になって、お金も出来て、うるさい親の指示からも離れて、せっかく自由なのに。
ただでさえ、仕事で時間を取られてる。自分の為に使える時間は限られてるのに。空いた時間を自分の思うまま使って何が悪いのかしら?そんな感じですか。まぁ、全部が間違いではないと思います。私の時間なんだし、ご自由になんですけど。
こうなって、振り返って、自由に使えてたはずの時間で何が出来てたかを、あまり思いだせない。
思えば、その時々の楽しいと思うことにただ費やしてるだけなのに、自由な時間が少しでも少なくなると何だか不満だった。片付けるべきだなと思ってることもあるのに、後回し。だって私の時間は自由だから、後でいいの、そんなことは。
そうやって、暮らしてもなんとか生きてはいける。だけど本当は自覚しないまま、ただ時間を浪費しているんじゃないかと思いはじめました。今になってですが。
この文章も自由に、時間のある限り書いた。小説もそう。その時の私は、そうやって吐き出さないと叫びだしそうに苦しかったから。ただ、こうやって書いてきたおかげか、さて次はどうしようかなと思う気持ちも沸いてきたのです。ありがたいことに。この生活が健全かというと、そうではないと。空いた時間すべて書くことに費やして、他を適当に過ごすのは、やっぱり自分を大切にしていることにならないんじゃないかと。
時間割を作ろうかなと思うんです。一生同じ時間割でなくていい。それは、もちろん。小学一年生と六年生の時間割が全然違うように。
ただ、今の自分が何をしたいのか、何をする必要があるのかを、時間割に落とし込むと、迷いなく時間が使える気がするんですよね。お仕事してる皆さんは、平日用と休日用を作るのも良いかな。どうでしょう?
もちろん不測の事態もあるから、そういう時はお休みして、でもそれ以外は基本時間割どうりにして。
やってみてもう、いらないかなと思ったものが多くなったら、時間割をつくりなおして。
それは、自分と自分を取り巻くものをクリアに見せてくれるかなと思う。そして、ただ時間割どうりに過ごしていただけの時間に見えるものが、本当の自由時間にだったと思う時が来るかもしれない。
張りきって出来もしない時間割を作る必要はないし、時間割の中には、休憩時間を入れる。そうしたら、休憩時間に本当は何をしたいのか、自分の心がちゃんと教えてくれそう。
休憩時間はただ、ダラダラしたいんだーって心が教えてくれたとしても、、それも、ま、良いかな。




