後編 不思議な美大生
人で賑わっている。
土間の部分には大勢の人足がひっきりなしに出入りして、上がりにしつらえた帳場では頭の良さそうな番頭が算盤をはじいては何かを指示している。
屋敷の中にはどこにも負けない活気があり、金が唸るように動いている・・・。
これは・・・?
昔の「御殿」の様子?
ひいお爺さんの代の?
大きな欅の木の前に、祐一朗によく似た顔の人物が立っている。
あれは、ひいお爺さんか・・・?
どこかから声が聞こえる。
この木を伐ることを許してやろう。
商売繁盛の願いも聞き届けてやろう。
その代わり、7代先までこの柱を祀るがよい。
違えれば祟られようぞ。
ひだるぅ〜い・・・
ひだるぅ〜い・・・
気がつくと祐一朗の顔のすぐ横に床があった。
やがて重力の感覚が戻ってきて、祐一朗は自分が床に倒れているのだと気がつく。
「う・・・・」
ゆっくりと上体を起こす。
どこも痛くはない。
ただ大黒柱の前で意識を失っていただけのようだ。
気がつくと、手にはまだ鉈を持っている。
大黒柱を見上げると、祐一朗が付けた新しい傷がちゃんとあった。
いつの間にか寝てしまっただけ・・・?
あれは夢だったのか?
儀式はちゃんと終えられたのか?
えらく腹が減っている。
今何時?
時計を見ると、午前0時を少し回ったところだった。
腹が減った・・・。
そうだ・・・。飲食の儀がまだ残っていたんだっけ・・・。
考えがうまくまとまらない。
祐一朗はお供えしてある食べ物に手を伸ばした。
おにぎりを口に押し込むようにして食べる。
食べると少し気持ちが落ち着いた。
しかし、すぐにまた腹が減る。
腹が減る、というより、食べたくて抑えが利かなくなる。
祐一朗は、調理パンに手を伸ばし、ふかし芋を貪り、ニンジンも大根も生のままでかじった。
おかしい。
これ、おかしいよな・・・。
腹壊すぞ・・・。
だが、飲食をやめられない。
まるで胃袋が四次元ポケットになったみたいに、食っても食っても食い足りないのだ。
やがて玄関の外がしらじらと明るくなる頃、お供えに持ってきた食料は全て食べ尽くしてしまっていた。
それでもまだ腹が減っている。
やべぇ。
おかしいよ、これ・・・。
帰って、ばあちゃんに訊かなきゃ・・・。
いや、今日は午後から冬休み前の全体講評だ。
作品持ってきてるんだから、大学行かなきゃ・・・。
思考がまとまらない・・・。
とりあえず玄関の雨戸だけを閉めて、逃げるように車を出した。
車を運転している間も、腹が減って腹が減って仕方がなかった。どうしても我慢できなくなると、車を止めてそこらへんの雪を食べてまた走った。
どこをどうやって走ったのかもよく分からなかったが、祐一朗はとにかく車でそのまま大学に乗り付けた。
祐一朗の大学は地方美大である。祐一朗は1浪して、今年からデザイン科に通っている。
同じデザイン科の3年生の先輩に霊能力のある人がいる。というウワサを聞いていたから、その人に頼ってみようと思った。
なにしろ、お化けの出るペンションのメインスタッフだというのだから、そーとーなものだろう。きっとおばあちゃんよりは頼りになる・・・。
「塩津先輩って・・・いますか?」
アトリエでたむろしていた8人ほどが、一斉に祐一朗の方を見た。
その中の小柄な女性が、強い眼光で祐一朗を射抜くように見る。瞬間、祐一朗の体が揺れたような感じがした。
「あなた。何を憑けてるの?」
その声が合図になったかのように、祐一朗の体全体に、ずきん! という衝撃が走り、黒い靄みたいなものが浮き上がる。
それは慌てふためくようにアトリエの窓から外に飛び出し、どこかへ行ってしまった。
呆然とそれを見送ったあと、脚の力が突然抜けて祐一朗はその場にへたり込んだ。
「うげっ! げろぼっ!」
「うわっ、吐いた! きったね!」
「すみませんでした・・・。アトリエ汚しちゃったりして・・・。」
しょげかえって謝る祐一朗に塩津美柑が優しく声をかける。
「気にしなくていいって、あれくらいのこと。掃除すりゃ済むんだし。それより、日下部くんだっけ? あのまま憑かれてたら、あなた死んでたよ?」
え? なんでそんなことに・・・。やっぱり祭りに失敗したのか?
「見込まれてるみたいね。『縁』ができちゃってるから、本体を何とかしなきゃまた来るよ。」
どうしてこんなことになったんだ? ばあちゃんは、そんな危険があるなんて言ってなかったぞ?
「明日、一緒にそこへ行こうか? このままってわけにはいかないでしょ。」
アトリエ棟の廊下を歩きながら、背の高い不思議な雰囲気の先輩がそんなことを言った。
「そだね。このままじゃ、日下部くんまた憑かれてしまうよね。元の方を祓わないと。あ、この人、鬼乃崎九郎くん。デザイン科3年生にして、例の幽霊ペンションのオーナーだよ。わたしはただのスタッフだけどね。」
「よく言うよ。見ただけで悪い憑き物が逃げてったほどの霊能者が——。」
「あれは、わたしじゃないよ。九郎くん、ジャンパーの内ポケットに何か持ってるでしょ?」
「あ、気がついてた?」
「つかいでか! めっちゃ強い護符じゃん。何それ?」
「ジャーン。」
と言って鬼乃崎先輩がジャンパーのポケットから取り出して見せたのは、1枚の黒い羽根だった。カラスの羽根みたいに見える。
「あ、それ・・・矢田さんの?」
「あったりぃ。矢田さん、何か予感がしたみたい。今朝、出る時に御守りにこれ持っていけって——。」
「最強じゃん。この界隈じゃ・・・」
なんだか凄い話を日常会話としてポンポンやってる。この人たち、何者? 祐一朗は目を丸くしながらついてゆく。
でも、1年生にもウワサが聞こえてきているこの人たちなら、あの怪異を何とかしてくれそうな気がする。
祐一朗は、嵐の海で大船に出会ったような心地がした。
帰っておばあちゃんに話してみたが、案の定ただオロオロするだけだった。
よかった・・・。最初に塩津先輩に相談して——。
「大丈夫。大学の先輩に凄い人たちがいるから、明日その人たちと一緒にお祓いに行ってくる。たぶんもう、祭りはしなくてもよくなると思うよ。」
翌日、祐一朗は塩津先輩と鬼乃崎先輩を軽に乗せて、またあの「御殿」に向かった。
昨日は鍵もかけずに逃げ出したから、雨戸は閉まっているが南京錠は脇の金具にぶら下がったままだ。
祐一朗は雨戸を開けようとするが、びくともしない。
こんなに重かったっけ?
「ちょっと退いて。」
祐一朗が雨戸と格闘していると、塩津先輩が鞄から何かの護符を取り出して戸にぺたんと貼った。すると、それは嘘みたいにするっと開いた。
霊障・・・か?
中は冷え切っている。
というより、異様な冷気に満たされている。
太い大黒柱には、すでに何か黒いものがまとわりついていた。
それがあの鬼面に凝集すると、威嚇するように巨大化して祐一朗たちの方にその顔を突き出してきた。
しかし塩津先輩は全く動じることなく、鞄の中からまた何かの護符を取り出す。
ぐおうっ!
黒い鬼面がさらに巨大化し、吠え声のようなものを出して威嚇する。が、昨日と違ってどこか怯えているようにも見える。
鬼乃崎先輩が塩津先輩の手をちょっと押さえた。
「まあ、待って。こいつも元は山の自然の中に棲んでただけのもののようだから・・・。滅するんじゃなくって、帰してやろうよ。」
そう言うと、ポケットからあの黒い羽根を取り出してかざして見せた。
途端に鬼面はびくっとして小さくなり、柱の陰に隠れるとぶるぶると震え出した。
こんなに小さなやつだったんだ・・・。
「鬼器よ。」
と鬼乃崎先輩が呼びかける。
黒い鬼面はもうひと回り小さくなった。
「妖魔は霊力の強い人に名前をつけられると、その人の言うことに縛られるようになるの。この場合の霊力は、あの羽根だけどね。」
塩津先輩が、くすりと笑って解説してくれた。
「優しいんだ。九郎くん。」
「滅したりはしないから、山へ帰るがいい。そしてもう二度とここには来るな。だいたい・・・」
と鬼乃崎先輩は穏やかな声で言う。
「3代目で潰れちゃった時点で、おまえも契約不履行じゃないか。」
それから前を向いたままで祐一朗に言った。
「裏の窓を開けてやってくれる?」
祐一朗は言われたとおり、玄関の反対側、山側の窓をからっと開ける。裏山に積もった雪の眩しさが目に飛び込んできた。
びゅうっ!
と雪混じりの風が玄関から吹き込んできて、その風がそのまま、黒い靄を連れ去って窓から出ていった。
風はその一陣だけだった。あたりはすぐに、しん、と静まった。
屋敷の中が少し明るくなった。
そして、同時にどこかがらんとした空き家の雰囲気にもなった。
もう、役目を終えた建物・・・。
そんな感じ。
「人が住まなくなった家は、自然の中に朽ちていくのがいいのかもね。」
鬼乃崎先輩が妖魔が出ていった窓の外を遠い目で眺めながら、そんなことを呟いた。
了
静けさのある怪奇譚にしてみたいと思って書いてみました。
上手く書けたでしょうか。
ふふふ。。。
読み終えても少し謎が残った方。(矢田さんって、誰? とか)
同じシリーズの「幽霊屋敷へようこそ」の方も読んでみてください。。(CM!)(^^)/




