贈り物には花束を
波乱の朝食を終えた後、魔王は私に「城の中なら好きに過ごしていい」とだけ告げて、どこかに去って行った。攫われたお姫様といえば、なんだか薄暗い地下の牢獄とかに閉じ込められて、小さな窓から差し込むただ一点の光を見つめ、シクシクと涙するイメージがあったのだが、ここでの生活は快適過ぎる程だった。とはいえ、見知らぬ城で好きな様にと言われても、どこに何があるのかも分からないし、何をしていいかも分からない。まさか朝からビール片手に飲んだくれる訳にもいかないし………。仕事がないと、それはそれで暇なんだなと実感する。
「では中庭に行ってみるのは如何でしょう。今日は暖かいですし、私たちが手入れしている花がとても綺麗に咲いているのですよ」
側にいたメイドさんに、この城のオススメスポットはある?という、観光地に来た観光客みたいな質問をすると、そう答えが返ってきた。後で紅茶とお茶菓子をお持ちしますとにこやかに言われて、私はドレスに着替えた後、その提案通りに中庭へと行くことにした。
「うわぁ……………」
そこはメイドさんがお勧めするだけあって、まるで天国の様に美しく、浮世離れした世界が広がっていた。花には詳しくないので、何が咲いているのかはサッパリなのが惜しいが、色とりどりの花が咲き乱れ、どこを切り取っても美しい風景が佇んでいたのだ。現実世界にあれば、間違いなく世界遺産に推したい。
中央にポツンと置かれたガーデンテーブルとチェアーに腰掛けて、風を感じる。そよそよと控えめに吹く風が、花の香りを運んできてくれる。お花ってこんなに魅力的だったんだ。現実世界に戻ったらお花屋さんで花でも買ってみようかな。私にそう思わせる程に、ここは素晴らしい場所だ。
「お姫様、紅茶をお持ちしました」
メイドに声をかけられて、私は閉じていた目を開いた。テーブルにそっと置かれた紅茶は、どうやら朝食の時に戴いたものとはまた違う種類の様だ。すごい、流石はできるメイドさん。一緒に置かれた小皿には、数枚のクッキーが並べられている。
「ありがとうメイドさん」
「いえ………。それではごゆっくり、」
「あ、待って!」
早々に立ち去ろうとするメイドさんを引き留め、私は問いかける。
「メイドさんって、魔王様のこと詳しい?」
「はい?」
「魔王様のことについて、色々教えて欲しいんだけど」
私にとって、これは重大な、大切な質問である。魔王のことについてリサーチをかけ、確実に嫌われる必要があるからだ。ここで働くメイドさんならば、魔王のあんなことやこんなことまで知っているだろうと。そう目論んだのだ。
メイドさんは、私のそんな魂胆などには気付く筈もなく、不思議そうな顔をして「はぁ」と返事をした。変な警戒はされていないようなので、簡単に情報を引き出せそうである。まあ私も別に魔王を取って食おうだとか、そんな恐ろしいことを企んでいるわけでは無く、ただ『嫌われたいだけ』だ。
「魔王様って、何か苦手なものとか嫌いなものとかある?」
「苦手なものや嫌いなもの………?」
「そう。ここで過ごす間、変に魔王様の地雷を踏みたくないから、知っておこうかと思って」
サラリとついた嘘。本当はその地雷を踏みに踏みまくってやりたいだけなのだがな!我ながらなんて性格の悪い。しかしこれも全て、このお姫様の恋路の為。王子様とのラブロマンスの為。
(ってか、私が目覚める前に王子様が助けに来てくれたら、王子様とのラブロマンスも体験できるってこと………!?)
今更気付いたが、そういうことだ。だとしたら一刻も早くこの城から脱出し、王子様に会いたい。憧れの、王子様に………。
メイドさんは私の質問を一切疑わず、しばらく考え込む様に唸った後、何かを思い出した様に手を叩いた。
「魔王様の嫌いなものといえば、花です!」
「え?はな………?」
「はい。お花が好きではないようで」
「え、でもこんなに立派な庭を持ってるのに?」
メイドさんたちが手入れしているこの庭園は、どこを見ても綺麗な花だらけ。てっきり魔王の趣味かと思いきや、実際は逆に花が嫌いなのだという。だとしたら何故こんな花が咲き乱れる庭を作ったのか。魔王からしたら、嫌いなものだらけのこの庭は、悍ましい地獄のような光景なのではないだろうか。
「それが………。魔王様曰く、城といったら中庭、中庭といったら花畑だろう、と」
「思ったより安直な理由だったわ」
「ですが魔王様は花が苦手なので、私たちが庭の手入れをしているという訳でございます」
「それはまあ何とも………。でも魔王様はなんで花が嫌いなの?」
「潔癖症、でして」
潔癖症?あの天下の魔王様が?またしても、魔王のイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。そんな設定の魔王なんて聞いたことがないぞ。
「部屋から見る分にはいい様ですが、触るのは勿論、部屋に飾ったりするのも嫌だそうで」
「ふーん…………。こんなに綺麗なのに」
まあ、人にはそれぞれ趣味嗜好、好き嫌いはある。私も花は好きだが、虫は苦手だし。花が嫌いで、実は潔癖症だという所には何か感じることはない。しかし、魔王に嫌われたい私にとって、この情報はあまりにも有益であった。新たな作戦を思いついた私は、その情報を提供してくれたメイドを笑顔で見つめ、
「あの………、このお庭の花で、花束を作ることはできるかしら」
「花束、ですか?勿論用意できますけど………」
「私の部屋に飾りたいの!一緒に作ってもらえる?」
突然の提案をメイドさんが若干不思議に思いながらも、私は人生初の花束作りに挑戦することとなった。
「魔王様」
私が彼の部屋を訪れた時、その部屋の主人は机に向かって本を読んでいた。その様は悔しいがまるで絵のように様になっていて、改めて魔王が整った端正な顔立ちをしたいい男であることを自覚せざるを得なかった。だが、決して好みではない。好みではないのだ。
「どうした。お前から俺を訪ねてくるとは珍しいな」
魔王は読んでいた本を閉じて、私に向き直った。私が今こっそり企んでいる事など知らずに呑気なものだ。この数秒後、彼は私の行動によって苦しむ。そして、私………いや、この姫に対しての100年の愛も冷めるだろう。何故なら私は、後ろ手にこの、
「魔王様の為に花束を作ったの!是非受け取って頂戴!」
そう、魔王が嫌いな嫌いな花を大量に包んだ花束を、持ってきたのだから!!!
「っ!!!???」
魔王は花束を見るなり大きく目を見開いて立ち上がり、その勢いでガタンと椅子を倒した。しかし倒れた椅子を直す暇も無く、私の手に咲き乱れる花束を凝視している。その額には、薄っすらと汗のようなものが滲んでいる気がするのは気のせいか。魔王の普段の涼しい顔は何処へ行ったのか、今は相当焦っているようである。
(これには魔王も言葉にならないみたいね………!私の作戦勝ちだわ!)
勝ち誇る私と、固まる魔王。最初は手強いと思っていたが、何のその。少し考えれば呆気なかった。これでやっと、お姫様と王子様の平和な恋愛が…………。
「幸せ、とは、まさにこの事を言うのだろうな」
「え?」
「俺は今、この数百年の人生において、1番と言っても過言ではない程に感激している。そうは見えないかもしれないが、な」
低いテノールの声から紡がれたのは、私を罵倒する声でもなく、花を嫌い苦しむ声でもない。私への、深い愛と感謝。それ以外の何者でもなかった。たった数秒前まで勝ち誇っていた私の余裕はどこかへ吹き飛び、むしろ此方が額に汗をかく始末。反対に魔王は、キラキラと輝かせた瞳に私の姿と花を交互に映し込んでいる。一体どういう事だ。花は魔王の嫌いなものの1つ。あのメイドさんが嘘を言っているようには見えなかった………!
「な、何故………!!!花が苦手なのでは………」
「ああ、正直苦手だ。匂いを嗅ぐだけで気を失いそうだ。だがお前からの初めての贈り物となれば話は別………。今の俺には、この花束がダイヤモンドの婚約指輪のように見えるぜ」
「それは明らかに視力が異常かと思われるので病院に行ったほうが良いかと」
魔王は大嫌いな花束を持つ私に歩み寄ると、私の手からそっとそのプレゼントを受け取った。例え嫌いなものであっても、好きな人からのプレゼントであれば受け取るその精神。愛情は確かに本物のようだ。
「フン………。こうして見ると花もなかなか悪くない。メイドに言って部屋に飾らせよう」
「そ………そんな馬鹿な…………」
「全く、サプライズで贈り物など考えるとは………。可愛いヤツめ………」
嫌われるどころか、ますます姫への好感度を上げてしまった私は、今度こそガックリと肩を落とす羽目となった。やはりこの魔王、なかなか手強い。