ありがとうといただきます
ひょんなことから、大好きなゲームの世界のお姫様に転生している『夢』を見ている私、恋水ミモザ(こいみずみもざ)は、どうせ夢ならば好き勝手やってやろう、何なら日頃一方的に恨みを募らせていた魔王に、沢山の我儘と無礼を働き、嫌われてやろうではないかと決意した。そうすることで、お姫様はもう2度と攫われなくなり、王子様とハッピーエンドを迎えられるのではないだろうか、という魂胆だ。まあそもそもこれは夢の中の話なので、私のこの行動が現実世界のゲームのシナリオを変えてくれるのかと言われれば、答えは否!なのだろうが。
そして訪れた、この朝食の舞台。デカすぎるだろ!と思わず言いたくなる様な、大きなテーブルに目一杯並べられた朝食。パンやら肉やら魚やら野菜やら、フルーツやデザート………。全てが窓から差し込む朝日を浴びてキラキラと輝いている。思わずゴクリと喉を鳴らすと、側に立っていたメイドさんが私の為に椅子を引いてくれた。
「どうぞ」
「あ………、ありがとうございます」
イギリスとかそこら辺の海外の王室とかは、まさにこんな感じで朝食を召し上がるのかな。椅子を引いて貰ったことなんて、産まれて一度も経験した事がない。夢の中の世界だけど、まさかこんな豪華な暮らしを体験することができるなんて。
メイドさんは私が着席したのを確認すると、今度は空いていたカップに紅茶を注ごうとした。咄嗟に私はメイドさんの手を止め、
「私がやります!」
「えっ?」
「こんな、やって貰ってばかりじゃ申し訳ないです!」
お茶を注ぐくらい、私にだってできる。何せ普段は一人暮らしをしているものだから、家事は全て自分でやらなければならないのだ。しかし配膳をしていたメイドさんたちは、私のその発言が珍しいのか何なのか、目をまん丸にして固まっていた。むしろ私の発言がおかしなことのようだ。すると、テーブルの向かいに座っていた魔王が、我慢し切れなくなったように吹き出した。そして、クックッと肩を鳴らして笑っている。特に面白いことを言った覚えはないのだが。
「何度もお前をここへ攫ってきたが、今日はやけにおかしな事を言うものだな」
「え………、おかしな事言いましたっけ」
「先程は俺に対し、犬を用意しろ等と我儘を言ったかと思えば、メイドに対してはお茶汲みを変わると言い出している」
「あ………、いや、それはその………」
笑う魔王に釣られたのか、紅茶を手にしていたメイドさんも少し和んだ様に微笑んで、私にペコリと頭を下げた。
「お心遣いありがとうございます。ですが、これが私の仕事ですので、どうかお気になさらず」
結局メイドさんがその手で私のカップに紅茶を注いだ。ありがとう、と告げるとメイドさんはまたしても驚いた様に目を見開き、「仕事をしただけでお礼を言われたのは初めてです」と嬉しそうにしていた。私のために何かをしてくれた人には、お礼を伝えるのが当たり前だと思っていたが、それは庶民の感覚なのだろうか。魔王はこの朝食の時間において全てのことをメイドに任せているが、確かに一言もお礼を言っている様子は無い。それが私にはどうも引っかかって、指摘せずにはいられなかった。
「魔王様」
「………なんだ」
既に朝食に手を付けていた魔王は、不意に私に呼ばれてナイフを持つ手を止めた。こちらを見つめる切長の瞳を、私は強気で見つめ返す。私はすっかり、どうせ夢の中なんだからと気持ちが大きくなっていた。
「何かして貰ったら、お礼を言うのが常識ですよ」
「何………?」
「メイドさんたちが朝からこんなに私たちの為に動いて下さってるのに、ありがとうの一言も言えないのですか」
「………………」
ガシャーン!と、大きな音が鳴り響いた。私の強気な発言に恐怖し固まったメイドさんたちが、運んでいた皿を盛大に床に落としたからだ。そしてその顔はみるみる真っ青になっていく。あの魔王様になんてことを………!多分、メイドさんたちの気持ちはその一色だろう。そして一斉に震え出した。泣く子も黙る魔王に歯向かう者など、この国には誰一人いないのだ。
「それに!ご飯を戴く時は、ちゃんといただきますと言わなければいけません!それが作ってくれた人に対する礼儀です!」
「……………」
魔王の目尻はどんどん吊り上がり、その手に握られているナイフが怒りによって震えている。その形相に、周りのメイドたちは更に小さく悲鳴をあげた。嗚呼、魔王様がお怒りだ。きっとお姫様は魔王様に殺されて………、と誰もが最悪の未来を想定した。そして魔王のその激しい怒りの矛先は、周りの想像通り私に向けられて…………、はなく。
「俺としたことが………っ!!!」
魔王自身に向けられていた。
魔王はナイフを置くと、固まっていたメイドたちに顔を向けて一言。
「いつも感謝している」
と頭を下げた。メイドたちは何が起こっているのか分からず、あの魔王様に礼を言われたというのにろくに返事が出来ないまま放心状態だった。更に魔王は、既に手を付けてしまっていた料理に対して一礼しながら、
「いただきます」
と素直に私の指摘を受け入れたのだ。これには私も驚きを隠せなかった。まあ私が注意した事ではあるのだけど、ここまで素直に言う事を聞くとは思わないではないか。更にはトドメと言わんばかりに私を見つめる魔王が、
「感謝する、姫よ」
「は…………」
「お前のお陰で1つ常識を取り戻すことができた」
というよく分からないお礼をしてきた。会社の上司よりもよっぽど聞き分けが良くて、お利口さんだった。そして魔王は、こちらの気持ちなど知らずに再び朝食を食べ始める。モグモグと口元を一杯にしながら、「食べないのか?」と聞いてくるのがまた腹立たしい。
なぜ………!なぜ!!!私の我儘や無礼が通用しない。それどころか、彼は私に感謝すらしている。想像していた魔王像とはかけ離れている彼に、私の方がペースを狂わされていた。嫌われたいのに。なのに、全然上手くいかない。
(いや………!この勝負はまだ始まったばかりよ………!!!)
そうだ。まだこの夢物語はスタートしたばかり。まだまだチャンスはある。私は何としてでもこの魔王に嫌われて、「お願いしますもうこの城から出ていってください!」と懇願されるまでになってやる!私は嫌われ者になる!!!!!
何処ぞの海賊が絶対に言わなさそうな台詞を胸に秘めて、私はテーブルにあった骨付き肉を手で毟り取った。私の海賊ばりの野蛮な食べっぷりを見て、魔王が「おお………」と感嘆の声を漏らす。どうだ。姫がこんな汚い食べ方をしていたら、ドン引きだろう!!!
「そんなに美味いか。なら俺の分も食べていい」
逆に嬉しそうな魔王を見る羽目になって、私は肉で汚れた右手を虚しく見下ろすこととなった。どうやらそう簡単にはいかなさそうだ。