間話 ジャック・エルメスという男。
主人公は出てきません。
過去のお話になります。
「新入生代表ジャック・エルメス」
まるで学校の校庭。いや、校庭そのものに200人程の人が集まっていた。
「はいっ!」
今日は軍学校の入学式。この国の貴族は皆学校へ通っている。期間は10から12歳までを貴族学園で過ごし、卒業後にそれぞれの進路へと向かう。
軍学校はそんな進路の一つであり、12から15歳までの三年間をここで過ごす事になる。
軍学校は貴族学園とは違い完全実力制の為、僅かではあるが優秀な平民も通っていた。そんな中で新入生代表挨拶を任されたジャックはもちろん主席だ。
「エルメス様!流石です!」
「この学校に通うモノなら誰でも出来ることを一々大げさに褒めるな」
ジャックを褒めたのは若かりし頃のマシュー・レンザだ。彼は三年間筆記では一位の成績を収め続けるが、総合成績ではいつも二位だった。
そんな自分の上を行くジャックを尊敬していた。
「僕が勝ったのに…」
「貴方は剣しか出来ないから無理です」
まるで女学生のような見た目の生徒はターナー・イェーリーだ。
彼は実技では三年間負け知らずだったが、総合成績はいつも下から数えた方が早かった。
軍学校では実技より筆記などの頭を使う試験を重要視していた。
剣を振るだけの兵士は簡単に作れるが、それを指揮する人材は希少で鍛えるのにも時間がかかる。つまり軍学校とは将来の指揮官を育てる学校なのだ。
この二人の様に実力主義の学校でジャックを認める生徒は多かった。
が、それは少ないが認めない生徒もいたという事。
その話の前に前提として、ジャックの実家は伯爵家である。
この国の貴族制度で地位は下から
騎士爵
男爵
子爵
伯爵
侯爵
辺境伯
公爵
皇族
皇帝
の順になる。
伯爵は単純に見ると貴族の中では低く見えるが、多いのは子爵以下の家。
伯爵家より上の家格は帝国では数えるほどしかない。
伯爵は貴族の中でも上級という認識であった。
この事情から貴族の多い学校であっても、貴族の中でも家格が上のジャックを慕う事に疑問が生じる生徒は少ない。
ここで前述の話に戻り、エルメス伯爵家と同等、又はそれ以上の家の子息は中々認められなかったとなる。
少数ではあるが元々上級貴族の子息として権力を振るってきただけの子供は、ここでも同じ様に権力を振りかざす。
そして貴族社会で育ってきた下級貴族の子息は、ここでも上級貴族に従うものが少なからずいたのだ。
軍に入り、士官になれば軍を辞めるまではみんな騎士爵位になるにも関わらず。
派閥を作った上級貴族の子息達は事あるごとにジャックに難癖をつけたり、物を隠したりした。
ようはイジメである。
学校は社会の縮図である。
軍学校はその実態を知っているがそれを野放しにした。そんな事でジャックが折れるなら、軍に入ってからも大成はしないからだ。軍ではもっと厳格な制度が待っている。
その為、そんな事をしている上級貴族の子息達の成績は試験の結果以上に低く見られ、又それを子息達はジャックのせいにしてイジメはエスカレートしていった。
当のジャックは…
「やり返さないの?」
「また貴方は…馬鹿ですか?馬鹿なのでしょうね。エルメス様がやり返した事がバレるとエルメス様の評価が下がるでしょう?」
いつもの様にジャックの近くに集まっていたイェーリーがどんどん陰湿になってくる嫌がらせに対してジャックに提案する。
それに対してレンザが否定し、さらに続ける。
「ヤルなら誰がしたのか誰にも分からない方法ですよ。ふふっ。そうですよね?エルメス様?」
「…それをしても俺に利はない」
ジャックはまるで虐められているのは自分ではないかの様な言いようだった。
「えっ…」
その言葉には流石に詰まるレンザ。
「提案するなら利を示せ」
「そ、それは…」
「やられっぱなしは癪に触るでしょ?」
どこまでも感情的なイェーリーが言うが
「いや?それは同レベルだからだろう。俺には全てどうでもいい事だ」
どうやらジャックにはイジメをどうでもいいと思えるほどの目的か理由がある様だ。
決して誰にも話してこなかった何かはジャックの実家に起因する。
「坊っちゃま…申し訳ありません」
涙を流し謝るのはこの家の執事。先代の当主が生きていた頃からこの家に仕える忠臣だ。
「爺が泣くことではない」
顔が腫れている少年は鍵が掛けられた牢の中からそっけなく答えた。
「しかし、私の目の黒いうちにこの様な事に…」
この老執事が嘆いているのはこの子供…幼少期のジャックへの仕打ちだ。
ジャックの母は政略結婚でこのエルメス家に正室として嫁いできた。
しかし病弱な為、中々身籠らずやっとの思いで授かったのはジャックだった。しかし元々身体が弱く、肥立ちも悪かった。
老執事は必ずジャックを立派な当主にさせると今際の際のジャックの母に誓っていた。そんなジャックの母も息子に立派な貴族になって欲しいと願いながら旅立った。
ジャックの母の死後すぐに、現当主であるジャックの実の父が新しい妻を連れてきた。ジャックの兄を連れて。
老執事は説明を求めた。
当主は『ジャックが産まれる時にそんなトラブルを持ってきてみろ。アイツはジャックを産む前に死んでいたぞ?』
そういうことではない。
喉まで出かかったその言葉を老執事は飲み込んだ。
貴族は血を残す事も使命の一つだから。
恐らく当主に悪気はない。外の子も男なら儲け物くらいにしか思っていなかったのだろう。
しかし、妻が死に社交界で体裁を保つ為にも後妻は必要。丁度いいのがいる。子供もいる。
問題は家格が低くとも向こうも貴族家の出という事。婚姻前に子が出来ることは稀にあるが問題はどんな条件を突きつけられるかだ。
しかし幸運にも向こうの出した条件は『息子に家督を譲ること』だけ。
当主にはどちらの息子も同じだっただけだ。ただ自分に都合の良い方を選んだだけ。
一時はそう考えて気持ちを抑えていたが、数年もすると後妻の態度が変わってしまい、老執事の我慢は限界へと達した。
ジャックの兄は一月だけジャックより早く生まれていた。
本来貴族はその血筋を守る為に出生届を国に出さなければならない。
日本の様に便利ではない為、届けの期限は産まれてから二年の間と定められていた。
これは不便な事も理由の一つだが、それだけだと二年は長い様に思う。
これはこの世界の赤子の死亡率の高さも含まれた期限という事になるのだ。
老執事は悔いた。こんな仕打ちをジャックが受けるのならば、ジャックの母を弔うより、何よりも優先してジャックの出生届を提出していればと。
あの時の当主の時間稼ぎは後妻の条件を満たすためのものだったと気付いていれば…
老執事はそんな自分が情けなく、ジャックとその母に申し訳なく、涙が止まらなかった。
婚姻の時期の問題もあるがそんなものは領地持ちの貴族であればどうとでもなる書類仕事でしかない。
戦乱の世。人の生き死は貴族であっても良くある。その中で貴族家に求められるのは血を絶やさない事。
「坊っちゃま…母君の願いを叶える方法がございます」
今日も継母と兄から謂れのない理由で暴力を受けていたジャックに、老執事が提案を伝えた。
「母上…?」
「そうです。かなり厳しい道ですが…この様な道しか示すことの出来ない私をどうか恨んでください」
執事が示した道は軍。
軍人になり最高位の将官の一番上である大将になること。
そして大将として率いた軍で他国を落とす、もしくはそれに相当する大戦果を上げる事が出来れば、時の皇帝から褒美として領地と爵位を与えられる。
執事が近年で領地と爵位をこの国で得た人達の功績や手段を調べたが、どれも軍属の人達ばかりであった。
つまりこの国で新たに領地持ちの貴族になるには軍で出世する他ないということだ。
「私には何も残っていない。しかし母が命を賭して残してくれたこの身体はある。その母の願いを叶える事がこの身体の…私の使命なのだろう」
この後、貴族学園で兄よりはるかに優秀な成績を残し、やっかみを受けるが…
そんな事はやはり、どうでもいいことであった。