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間話 事象の地平線。

 





 ここは何もない暗闇。

 光どころか物質も存在しない。

 地球の科学者がここに居れば、事象の地平線(ブラックホール)と呼んでいたかもしれない。

 そんな物質が何も存在しない場所。


「お父さん…」


 そんな場所に言葉を紡ぐ存在がいた。

 しかし、ここには物質(大気)が存在しないため、少女の呟きは本人にも聞こえる事はない。

 その少女自体も物質として存在している事はなく、思念体のようなモノでここに存在している。

 つまり骨伝導で自分の声を聞くことも叶わない。そんな孤独な場所なのである。


「お父さん…」


 しかし少女は呟きを止める事はない。

 唯一の心の拠り所は、父との思い出と約束。

 それだけが、少女をここへと繋ぎ止める唯一の楔であった。




 そんな少女が、ここに囚われて10年以上の月日が経ったある日。

 眠る事も出来ず、今があれからどれだけの月日が経ったのかすらわからない少女の心は、失われつつあった。


「お父さん…」


 いつもの様に呟く少女とそれを無かったことにする空間。そこに初めて変化が訪れた。


「お父…えっ!?灯り!?」


 少女の前に燈が灯った。

 その優しい光は、少女の冷え切った心を優しく温める。


「お父さんの匂いだ…」


 少女は思念体である。視覚・嗅覚など五感は閉ざされている。しかし、五感以外の感覚でそれを感じ取ったのだ。


「暖かい…」


 その灯火は少女を包み込んだ。


『拝啓…最愛の(キミ)へ……』


「えっ!?」


 少女の無くなったはずの聴覚に、確かに少年の声が聞こえた。

 10年以上の時を経て、初めて変化を見せたこの場所に、少女の戸惑いは止まることはない。


『お父さんは何故か軍人になってしまいそうです。だけど、必ず生き延びて紗奈に会いにいくから、待っていて欲しい。

 この手紙が貴女へと届きますよう祈りを込めて。

 敬具』


「え?…まさか、お父さん!?」


 自身の名を呼ぶ声は、聞いたことがない声だった。

 しかし、その優しく語りかける口調には覚えがあった。紗奈の父、宗一郎のモノだ。


 声と共に灯火は紗奈に景色を見せる。


「えっ!?なに!?」


 久しぶりの刺激に紗奈は動揺する。

 その映し出された景色では金髪の青年がこちらを向いている。

 そして何かを話しかけているが、紗奈にはその言語に聞き覚えはなかった。

 そしてその声に応えるのは、先程の少年の声だった。


 言葉はわからなくとも、それが転生した父の見ている景色である事を、紗奈は理解出来た。


 やがてその景色は燈と共に消えていく。

 再び暗闇が支配する空間へと戻ったその場で、紗奈は独り言ちる。


「お父さん…生きてる…良かった…」


 言葉はわからなくとも、少年の声には活力が感じられた。

 そして先程の言葉を思い出す。


「手紙…届いたよ。待ってるからね…私!待ってるからっ!!」


 紗奈の失われかけていた心が救われた。








「ふふっ。異世界って大変だね。戦争も見たよ。お父さん視点だからお父さんの生まれ変わった姿は見えないけどね。

 でも金髪の人はイケメンだからわかんないかなぁ。気が合えば好きになっちゃうかも?」


 その後も間をおかず、宗一郎からの手紙は紗奈の元に届いていた。

 今回の手紙はイェーリーを失った後に書いたモノだ。


『拝啓、最愛の(きみ)へ。お父さんは人殺しになってしまったよ。でも紗奈に会えるならなんだってするつもりだ。これは紗奈がなんて言おうがね。死後の世界で叱ってくれ。

 ところでお父さんはある事で悩んでいたんだ。それをね、紗奈以外の人が親身になって一緒に悩んでくれたんだ。

 その人にも転生の事を伝えるつもりはないよ。でも嘘を吐くつもりもないんだ。嫌われてもなるべく思った事を素直に伝えるよ。それがその人の気持ちに応える事になると信じて。

 紗奈がここにいたら、もしかしたら気が合ったかもね。

 あ。異性として気が合う事だけはお父さん許さないからな?        敬具』


 灯火はやがて消えた。


「嫌いになんてならないよ…お父さんのする事は、全部私の為だもん…

 でも、私の事ばかりじゃなくて、自分の人生を謳歌してね?」


 紗奈の望みは、自分と母のせいで宗一郎に失わせてしまった人生を取り戻させること。

 父娘(おやこ)のお互いがお互いの身を削る想いは成就するのか。









『拝啓、最愛の(きみ)へ。お父さんはくだらない権力争いに巻き込まれちゃったよ。

 お陰で権力を望んでいないお父さんだけが昇進しちゃった。世の中って上手くいかないね。

 後、同年代…って、言っていいのかな?今世のお父さんと歳が近い友達も出来たよ。

 もう少しでお父さんはこの世界で成人を迎える。漸く成人だ。早く君に会いたい。

 いつも紗奈の平穏を祈っています。      敬具』


 いつもの様に、手紙の後に燈が景色を映し出した。そしてそれもやがて消える。


「お父さん。社会人って地球でもそっちでも大変そうだね。でも、友達が出来たんだね!地球では私のせいで付き合いが出来なくなって、友達とは遊べてなかったよね…その分までしっかり遊んでね!

 あっ!でも悪い遊びはしちゃダメだよ?

 私は地球でも成人してなかったから少し羨ましいな。

 私もお父さんに会いたいよ。会ってたくさん甘えたい。お父さんも身体に気をつけてね」


 紗奈の独り言は暗闇に掻き消された。

 しかし、紗奈の想いが、心が、もう消える心配はない。

事象の地平面か地平線か…


ちなみにそれっぽいだけであり、実際に紗奈がいる場所がブラックホールかは、謎です。

ただ同じ様に何も存在しないという事だけは確か…



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