7話 生き残る為、軍に染まる。
ゴーン。
早朝の鐘が起床を告げた。
「ふぅ…寝過ごさなくて良かったな」
ソウは自身に与えられた部屋で目を覚ました。
2階にある部屋の窓から見える外は薄暗い。
本当であれば二等兵の共同部屋に押し込まれる予定だったが、まだ12歳のソウにはジャックの従者として個室があてがわれていた。
「さ。ここでボーッとしていても叱られるだけだ。顔を洗って運動場へ向かうか」
朝、日の出前に起床して、外でのランニングが指示されていたことだ。
まだ見ぬ両道教育の文の片割れである武の教官からの指示であった。
文であれであったのだ。まだ見ぬ武の教官のソウのイメージは、次第に鬼や悪魔を想像するようになっていた。
(誰かに見られている…)
ふっふっふっふっ
タッタッタッタッ
呼吸と足音が重なる。
何もない広場を指示された通りに走っているソウは、どこからかわからないが視線を感じていた。
人に見られるというのは普通に生きていても感じる事であり、ソウに『あっちから気配がする!』などの特殊能力があるわけではない。
人に見られていようがいまいが、ソウが努力の手を抜く事はない。
何せ自身の最大であり、唯一無二の願い『寿命で死ぬ』為の努力なのだから。
ゴーン。ゴーン。
「うぇっ…」
朝の走り込みをやり切ったソウは疲れ切っていた。
この後すぐに食事が待っている為、吐き気を何とか抑えた。
食事はジャックの執務室。
又もすれ違う兵に怪訝な顔をさせているが今度はそれを気にする余裕が体力的にない。
服装は昨日までのボロではなく、ジャックに与えられたモノを着用している。運動時は動き易い服、勉学の時は従者用の服である。
早朝から疲れ切っている不思議な少年を横目に、兵達は食堂へ向かうのであった。
「…よく食えるな。与えている俺が言うのも何だが」
朝からステーキ二枚に動物の乳をコップで三杯分、野菜と果物のぶつ切りサラダがボールに入ったままテーブルに並んでいた。
「ふぁい。頑張ります!もぐもぐ。パンが無いので割と入りますね」
「うん。口にモノを入れたまま喋るな。それにしてもソウは凄いな。俺でも初日は食べ切れなかったぞ」
ジャックはソウの野望を知らない。
生き残る為にはソウは何でもやるだろう。
ソウの地獄は始まったばかりだが、ジャックの驚きも始まったばかりである事をまだ誰も知らないのであった。
「帝国暦ではないのですね」
今は勉学の時間。昨日に引き続きレンザが指導している。今はこの国の暦を学んでいるところだ。
「はい。もしや歴史をご存知でしたか?過去には帝国暦なるものがあったのですが、自国でしか通用しない為、他国にならい大陸暦へと移行したのです。
今は『大陸暦1313年春の時』ですね」
ちなみにソウが歳を重ねるのは『夏の時』を迎えた時である。
他には秋と冬があり、90日毎に『時』は移りゆく。
冬至が年越しとなり、その後を『空白の時』として5日程ある暦の調整期間になっている。
つまり地球と同じくこの世界が恒星を一周公転するには365日かかるということである。
(一年が地球と変わらないなら自転速度…いやサイズがわからんから自転周期か。それも同じかもしれないな)
色々と思考を巡らせてはいるが、死なない為に必要な事の優先順位が低いモノは後回しにしている。
今回の時間も後回しにしてすぐに思考を切り替えた。
「文字の自主学習もちゃんとされてますね。ちっ」
(今舌打ちしたぞ!?どれだけ鞭を使いたいんだよ)
一癖も二癖もある教官にため息が出そうになるが、この後、さらに癖の強い人物に会うことになる。
ソウが今後どれだけ強く、偉くなろうとも、会いたくないリストがあれば常に一位を独占する人物にこの後会う事になるとはこの時は考えもしなかっただろう。
この国では昼に休憩や間食の文化はあるがキチンとした昼食を必ず摂る文化はない。
何故こんな事を説明しているのかというと、いつもの執務室へと戻っていたソウの目の前には、山のような食事が鎮座していたからである。
「…頑張れ」
その光景には『激励は最後』と言っていたジャックさえも憐れに思い、応援せずにはいられなかった。
ソウの食事はジャックが管理していたのだが、早朝のランニングを見ていた教官が『それなら私が管理します』と手を挙げたのだ。
ジャックが考えているソウへの期待は文武両方であった。
武の方はソウの身体の大きさもあるが、何よりも全滅してしまった村で唯一生き残り一人で生活していた逞しさから、兵士になれば一角のモノになるだろうと期待していたのだ。
しかし、兵は傷つくモノ。怪我で腕や足を失っては兵士としては終わりだ。だが、文官としてはやっていける。
その為、行き過ぎた指導でソウが逃げ出しては困ると考えていて、武が中途半端になっても文で助けになればと思っていたのだが…
頼んだ手前断ることも出来ず、了承した結果がテーブルの上にある食事という事だ。
昼から山盛りの食事を食べたソウは食休みも程々に、運動場へと足を向けた。
(俺が気付かなかったせいで、村の人達はお腹を空かせて死んでしまった。そんな俺がどんなに苦しくとも食事を残す事なんて考えられないな)
村の人達への想いが、ソウの食事の手を緩ませる事は一度としてなかった。
「君がソウくんだね?」
ソウは武の教官と聞いて筋骨隆々の偉丈夫を想像していた。
文の教官の事を思えば人でなくても驚きはしなかっただろうが…
しかし、そんなソウの想像とは真逆と言っていい見た目の男性がソウに声を掛けて来たのであった。
「はい。そうです」
教官の見た目は175cm痩せ型で顔は女性でも通用しそうなくらいな見た目で優しそうな微笑みを常に貼り付けていた。
「僕はターナー・イェーリー。イェーリー大尉って呼んでね!」
「はい!よろしくお願いします」
ソウが応じるや否や
ボグッ
ソウの鳩尾にイェーリーの拳が突き刺さった。
「ぐぇ……おぇぇえ」
ソウは膝から崩れ落ちて昼飯を地面にぶち撒けた。
「さっ。立って。動きやすくなったでしょ?」
「ばい゛っ!」
空気を中々吸い込まない肺を無理矢理動かして応えた。
「あれ…?君って」
ニタァ
微笑みが張り付いていた顔からそんな擬音が聞こえてきそうな悪い笑みへと表情が変わるイェーリー。
「鍛えがいがありそうだねっ!」
朝の走り込みを見ていたイェーリーは元々ソウがちょっとやそっとでは挫けない心を持っていると判断していた。
今回の反応を見てその判断が誤っていた事に気付いたのだ。
ちょっとやそっとどころではない。おそらくコイツは何をしても挫けないであろう。と、イェーリーは判断し直した。
そこからの1時間、ソウはイェーリーにボコボコにされた。
「凄い!!君にはこの訓練は必要ないね!もうクリアかぁ…」
何度打ちのめしても立ち上がるソウ。
この訓練は戦場で攻撃を受けても焦らず対処する
心を鍛えるためだけのもの。
痛みに慣れることは様々な状況で役に立つのだ。
イェーリーが残念がったのは、行う指導の中で一番好きなモノがすぐに終わってしまったから。それだけだった。
「うーん。ホントはまだ続けたいけど仕方ないね。次は素振りだよ。おねがーい」
イェーリーが声を掛けると近くに立っていた兵達が樽を運んできた。
「この中から君に合う剣を探すよ。まずはこれを持って僕と同じ様に振ってみてね」
「はい!」
顔面が腫れ上がり原型がわからなくなっているソウの顔を見て、運んできた兵達はドン引きしていた。
腫れ上がった瞼で視界が殆どとれないソウには、兵達の空気を感じる術はなかった。
「…それは見えているのか?」
夕食時、いつもの様にジャックの執務室を訪ねたソウは、部屋の主の疑問に答える。
「はっ!見えております!イェーリー大尉から骨は折れていないとお墨付きを頂いているので、心配に及びません」
「…いや、どう考えてもやり過ぎだ。文句を言っておく」
「いえ!それには及びません!」
「まさか…イェーリー大尉に限ってそんな事は無いと思うが…脅されているのか?」
指導を緩めるよう苦情を言うと伝えれば返ってきたのはノーの一言。
辞められると困るということを考慮しなくとも、普通に考えればジャックの思考に行き着くが、そこにはソウの異常なまでの執念が考慮されていない。
「まさか!!大変わかりやすく教えて頂いています!」
「そ、そうか。ソウが良いならいいんだ…」
ジャックは驚きを通り越して引いていた。
『僕の指導に着いて来れたら戦場で死ぬ事はないよ。指揮官が無能でなければね!』
不意にイェーリーがこぼした言葉。
その言葉が異常な訓練を耐える原動力になっていた。
言ったイェーリー本人も気付いてはいないが。
その日ソウは、腫れのせいで自主学習を行う事が出来なかった。
翌朝、理由と共に原因を知ったレンザが、鞭を片手にイェーリーを追いかけ回していたのだが…これは別のお話。