間話 年越しは変わりなく。
「年明けだと言うのに寂しいものですね」
年が明けた。といってもただ夜に寝て朝を迎えただけである。
そんな三人は誰もいないハーレバーの街中を歩いていた。
「すれ違うのも衛兵の方達だけです。年末年始にちゃんとした食事が出るのなら、衛兵に職替えするのも一つの手かもしれませんね」
「前代未聞の退役理由になるな。もちろんそんな事は許されんが」
軍人は普通の仕事ではない。
プライバシーも何もないこの世界でも、機密が多いのが軍である。
それらは簡単なモノであれば訓練方法から始まり、今後の戦略など多岐に渡る。
そんな軍人が仕事を辞める場合、確固とした理由が必要なのである。
普通の兵卒であれば定められた期間が過ぎればその時に退役する事ができる。それは下士官、士官と上に上がるに連れて厳しさを増す。
ソウ自体は曹長として中隊を預かっている身だ。退役するにはまず部隊が解散しなくてはならない。もしくは上から配置換えの命令が下った時か。
それ以外の時に辞めるのは難しく、ソウの場合はそうでなくともディオドーラ大将を始め、軍内のお歴々の方々が許してはくれないだろう。
「職業選択の自由はどこへ行ってしまったのでしょう…」
「なんだそれは…」
いつもの病気が始まった。
ジャックはそう思ってソウの言葉をスルーした。この大陸、少なくとも帝国にそんな自由は存在しないのだから。
「はぁ…漸く解放された…」
年が明けた事によりジャックの兄であるウィリアムの軟禁期間は終了となった。自室で温かいお茶を飲み一息つくと、元に戻る。
「どいつもこいつも邪魔ばかりしやがって…」
この期間は頭を冷やす為にも設けられていた筈だが、ウィリアムにとっては恨みを募らせる時間となっていたようだ。
「ジャックが出世して…もし、陛下に目通りがかなってみろ…そこで出生の秘密をバラされたら俺は終わりなんだぞっ!?
エルメス家もただでは済まないはず!なのに何を悠長な事を…」
自身の無能さは棚に上げ、人の責ばかりせめる。そして弟からの報復を恐れるこの男は何をするのか?
ウィリアムはジャックに代わり、執事見習いの男に向けていた狂気のやり場探す。新たなおもちゃに選ばれし相手に同情を禁じ得ない。
「年越しといっても変わった事をするわけではないのですね」
辺境伯の新年の挨拶に参加してきたソウたちは、兵舎へと帰ってきていた。
変わった事と言えば元王城のバルコニーから話す辺境伯の挨拶を聞いたことぐらいである。
もちろん三人は市井に混じって挨拶を聞いていた。
北軍の中佐であるジャックは城へとお呼ばれされていたが、丁重にお断りをして。
「ジャック中佐はもったいない事をしました」
「それはもしかしなくとも城の食事の事だな」
「はい!私なら全ての予定を断ってでも参加しました!」
碌な食事を摂っていないソウには天の思し召の様に感じたのだろう。
別に飢えてはいないはずだが…
「確かに見栄えの良い食事は用意されているだろうが、政治の話ばかりで食事を摂る時間などはないだろうな」
「そこを何とかして頂くのが策士というモノです!もう少し食事に真剣になってください!!」
「…なぜ怒られているんだ?」
最近のソウは荒ぶっていた。主に食について。
「はぁ…休暇の終わりまでまだ十日以上もあります…死んでしまいます…」
ソウの顔は14.5歳相応の少年だ。
しかし、体格はアスリートそのもので、全く可愛げはない。そんなソウが弱々しく話した所で説得力は皆無である。
「安心しろ。黒パンと水だけで一年は生きられる」
「それは生きているとは言えません!!そんなのは堆肥と水だけで成長する植物となんら変わりませんよ!!」
「…うるさいな。ルガー。何か与えてやれ」
最早言って聞かせる段階はとうに終わっている。
ジャックは仕方なくルガーを使い、ソウを満足させることにした。
粘った者勝ち。
『あれ?コイツって役に立っているのか?』
最近は負担にしかなっていないソウであった。
「お祖父様!またお聞かせください!」
とある街に一際大きな屋敷がある。その中で一人の少女が祖父に話をねだっていた。
普段は強面であろうその表情を破顔して、少女に笑みを向けるのはガレッシュ・サザーランドである。
「おお!勿論だとも!王国戦にて活躍した漆黒の若き騎士の話だったな?」
「それですわっ!ああっ!ソウ様…一体どの様な方なのかしら…」
ソウは知らないところでオモチャにされていた。
「ごほんっ。我が帝国軍は王国の策にはまり身動きが取れなくなっていた。そこに一人の若者が立ち上がる。『副将軍閣下!私が憎き王国兵を蹴散らし、この膠着状態を打開して見せます!』儂にそう告げた黒髪の騎士の顔は、凛々しさと若々しさが同居するものであった。『其方の様な小童に何が出来る!?』そう問うた儂にその少年とも青年とも言える若き騎士は『帝国の華々しい未来を造る事が出来ます』と言いおった。『そこまで言えるのであれば見せてみろ!』儂はその若者に心を掴まれてしまったのだ」
ゴクンッ
少女の息を呑む音が物語の緊迫感を現していた。
そう。8割は物語である。間違っていないのはソウの見た目くらいであった。
もちろんこの後も誇張に誇張を重ねた物語は続いていくのだが、ソウの羞恥心の為に割愛する。
「漆黒の騎士様…お祖父様!次の帰省の際には是非お連れしてください!」
やめておいた方がいい。戦中以外のソウはただの食いしん坊だ。
「む。中々難しい事を…儂も是非休暇を共にしたいとは思うておるが、金色の賢者の元を中々離れんのだ」
「まぁっ!やはり二人は固い絆で結ばれていますのねっ!」
ジャックももれなくオモチャにされていた。
サザーランド中将の実家は子爵家である。帝国貴族の序列に当てはめると、ジャックの実家である伯爵家の下の家格に当たる。
サザーランド中将の功績と階級から退役時にはそれ相応の爵位と領地が約束されているが、この少女も含めて未だ騎士爵家扱いである。
しかしながら軍事国家である帝国に置いては、中将という肩書きは絶大なチカラがある。このサザーランド騎士爵家は爵位こそ最低であるが、子爵位同等以上として見られているのである。故に…サザーランド中将の孫娘の発言力は強い。
「またお茶会での話題が増えましたわ。ありがとうございます。お祖父様」
「なぁに。可愛い孫娘の為だ。いくらでも話をしよう」
ソウとジャックは知らない間に、全くの別人として、うら若き乙女達が憧れる有名人へとなるのであった。
サザーランド中将に悪気はない。
「ところで。レンザ大尉の姿が見えませんが…」
ジャックの傍らにレンザ在り。
大隊内ではソウ以上にそう思われている人物である。
「何を今更…レンザ大尉は帰省したぞ」
「それは予想外です」
そう言えば休みの間の宿題を出していたな。今更気付いたソウであった。
「レンザ大尉がジャック中佐の傍を離れるのを遠征以外で初めて見ました」
「アイツは付き人ではないぞ?」
そうは言うが、仕事以外にも身の回りの世話までして貰っている。
今回の長期休暇で必要な食料などもレンザ大尉が手配してくれている。
「中佐はもう少し大尉に感謝すべきです!」
ソウは自分で手配したのだ。それも知ったのがギリギリの為、良いものは選べなかった。
ソウの癇癪は続く…
「お久しぶりです!!」
元気な声が宿舎に木霊した。
今日は休暇最終日。漸く兵舎が賑やかさを取り戻すのだ。
そんな日を待ち遠しく思っていたのは間違いなくソウただ一人。
普通長期休暇の終わりを喜ぶ社会人などいない。稀にいるが…それは変人である。
その一人がソウということだ。
「お久しぶりですね。中佐はお変わりなく過ごされていましたか?」
ソウが元気に挨拶をしたのはレンザ大尉だった。その神経質そうな目には珍しく慈愛が込められていた。
「は!変わりありません!あのぅ…食堂はいつから始まります?」
「貴方も変わっていない様で安心しました。本日のお昼から利用可能なはずですよ」
その瞳から慈愛は消し飛び、呆れだけが含まれていた。




